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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

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2009, Vol., No.40

  • 1.

    韓国人の日本語学習者における言いあやまり研究 -おもに子音(無声音、有声音)について-

    류경자 | 2009, (40) | pp.5~31 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本研究では,日本語音声の中で子音(無声音、有声音)について聴覚的,音声(調音)学的な特徴にその焦点をおき,韓国語を第一言語とする学習者が日本語を話す(読む)ときに起こる日本語の言いあやまりについて調査を行い,その分析を行った。 本研究では先行研究で明らかにされていない,次の二点に力点をおき,研究を行った。 1. なぜ,言いあやまりが起こるか,その原因を探るために言いあやまりの中でとくに注目されてい るインターランゲージ(Interlanguage:中間言語)に関する仮説を設定し,その仮説を言いあ やまりの調査から検証した。 2. 従来の主観だけによろ方法から脱却して,調査資料の検討,あるいは分析結果に基づく研 究をした。 これらは先行研究の何れにも十分に組み込まれていない研究である。 本論文では,このような問題意識に基づいて言いあやまり研究を実践的な(教育的な面)の側面から,より体系的にとらえていくことを目指した。 今後の韓国における日本語音声教育の方法改善の上では,本研究の調査分析結果に示されている面がとくに重視されなければならないと思われる。 本研究では,研究対象の外におかざるをえなかった,子音の知覚心理学特性への反映の問題,子音と発話速度との関係などは,今後の課題にしておきたい。
  • 2.

    音節數를 통해서 본 韓國語와 日本語의 語彙

    Minchul Shin | 2009, (40) | pp.33~46 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     文字通り「語の集合」としての語彙を対象とする従来の語彙研究では、語彙の一般的特性を用いた基本語彙の選定、品詞別構成からの文体的特徴の把握、語種別構成による外来要素の影響の度合いの把握などいくつかの成果を挙げてはいるが、これらを通してそれ以上の指摘は出来ない。  そのような中、語彙研究に新たな突破口を開けたのが田島毓堂氏によって提唱された「比較語彙研究」である。従来は語の集合としての語彙における数量的側面にのみ注目してきたのに対し、比較語彙研究では、もう一つの重要な側面である意味の観点を積極的に取り入れ、意味を数量化することにより語彙をさらに詳細に記述できるようになり、その究極的な目的は同一言語の古語と現代語語彙の比較、または、言語間の語彙の比較を通じて、語彙に反映された文化の差を指摘することである。しかし、今まで行われた一連の比較語彙研究を見ると、それが至難の業であることが分かる。その原因は、語彙という存在は言語内に止まらず、言語外的にも様々な要素が複雑に関係しているからである。従って、田島毓堂(2004)が言うように、さらに詳細な語彙の分析および比較、また、それによる比較語彙研究の目的の実現のためには、位相情報、語種や語構成に関する情報、重要度に関する情報、語感に関する情報など色々な情報を用いる必要がある。  このことに注目し、本稿では、集団規範語彙として選定した日韓両言語の「小学生基本語彙」を対象として音節という観点を用いた比較を行なった。これに先立って『窓ぎわのトットちゃん』という個別語彙を対象として音節による比較を試みたことがある。両方の分析の結果に大きな違いは見られなかったが、本稿では、差を指摘するに際し「χ自乗検定法」という統計技法を用いるなどより客観的な分析が行なわれたと思う。  分析の結果、日本語と韓国語の音節構造の違い、日本語の構造的特徴、韓国語における漢字語や儒教文化の影響などを指摘した。その中には既によく知られていることが含まれていると思うかもしれないが、語の集合としての語彙を対象とした研究を通じて明らかにしたことに意義があり、これにより音節という観点の有効性を再確認することが出来たと思われる。
  • 3.

    성서언어에서 본 한국어와 일본어의 인칭대명사

    An, Jeong-Whan | 2009, (40) | pp.47~66 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    本稿は韓国語の聖書と日本語の聖書において人称代名詞がどのように現れているかを通時的な観点から比較することに目的があった。本稿で対照対象にした聖書は次のとおりである。まず韓国語の聖書はロース訳(1887)・旧訳(1911)・改訳(1956)・共同翻訳(1977)で、日本語のは明治訳(1884)・大正訳(1917)・口語訳(1954)・新共同訳(1987)である。研究の結果を一言でまとめると、聖書の翻訳が重なるにつれて、それぞれの言語文化の特徴が聖書の中に着実に定着していくということである。人称ごとにまとめると以下のようである。  第一、1人称代名詞である。単数形の場合、初期は両方とも'나'と「我」とで一つだけであったのが翻訳が重なるに従って分化していく。つまり、韓国語では'나'と'저’が、日本語では「我」「わたし」「わたくし」が翻訳時期と意味的条件により出現を異にする。複数形は韓国語では'우리'と'우리들'が、日本語では「我ら」「我々」「私たち」「私ども」が出現の条件を異にする。  第二、2人称代名詞である。単数形の場合、初期はそれぞれ'너'と「なんじ」で一つだけであったが、翻訳が重なると共に分化する。韓国語は'너'・'그대’・'당신'が、日本語では「汝」「あなた」「お前」が聖書の翻訳時期や各々の意味的条件に従って出現を異にする。複数形は韓国語では'너희'・'당신들'が、日本語では「なんじら」「あなたがた」「あなたたち」「お前たち」がそうである。  第三、3人称代名詞である。3人称代名詞の変化は比較的単純である。ただし、日本語では3人称単数形が「かれ」一つだったが、韓国語では初期本で'저'と'그'に分けられていた。韓国語ではこれが後になっては'그'に統合し、日本語では女性を表す「彼女」が新たに登場する。複数形においても韓国語では初期に'저들'と'그들'に分けられていたのが後になって'그들'に統合し、日本語は「彼ら」一つだったのが性別によって「彼ら」と「彼女たち」に分けられる。
  • 4.

    문학작품에서 술어 ta형과 ru형의 역할에 관한 일고찰 -표현내용의 관점에서-

    Joe, sunyoung | 2009, (40) | pp.67~87 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本論は、文学テクストにおけるta形とru形について新たな考察を試みるものである。従来、ta形とru形は過去形と非過去形といわれたことからもわかるように、テンスの観点からの分析が主であった。しかも、文学テクストにおける基本文末形はta形であるという認識から、主に注目されてきたのはta形の文の間に表れるru形であった。しかし、テクストの中においてta形とru形は常に交差しているということから、本論ではその両方を考察すべきであると提案したのである。  考察はta形とru形の割合を調査することから始め、地の文の中でのru形の割合が高い方である志賀直哉の「城の崎にて」の全文を対象にした。まず、ta形とru形の組合の類型を4つにし、その類型別にそれぞれの文の表現内容について詳細に調べ、ta形の文とru形の文が文章の中でどのような内容を表すために用いられているかについて分析してみた。もっとも多かった類型は11件のta形-ru形-ta形という組み合わせだったが、ta形-ru形という組み合わせも10件あり、やはりこの組み合わせに注目すべきであることが明らかになった。さらに、ru形-ta形も5件あり、ru形-ta形-ru形も2件あった。ru形もより積極的にその役割を果していることがわかったのである。さらにそれぞれの例文の表現内容を詳細に分析した結果、どのような類型かによってその表現している内容がちがうという印象が伺えた。この点については、これから他の書き手の文の分析とともに考察を深めていきたい。  最後に今回は取り上げられなかったテンスについては、今後の研究の可能性を覗かせておいた。
  • 5.

    テイル形式の意味と場面-シナカッタ・シテイナイ・シナイの比較から-

    키노시타 | 2009, (40) | pp.89~104 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    テイル形式はアスペクト研究の中で詳しく論じられてきた。特に工藤真由美のアスペクト形式(形態論的形式)の概念は談話的機能までも視野に入れた重要なものである。しかし、否定形はアスペクト・テンス対立が中和されて使われるため、アスペクト・テンス形式の特徴が分かりにくくなっている。 本稿では工藤に対する有効な批判である柳沢・山本を参考にしながら、テイル形式は<現象の解釈>のマークであることを主張した。このように理解することで、シナカッタ・シテイナイ・シナイの使い分けが説明できた。本稿の内容は日本語学習者に対する文法教育という観点からの基礎研究としても意義を持つものである。
  • 6.

    名詞의 次元性에 관한 韓日對照 硏究

    kim sung kyung | 2009, (40) | pp.105~127 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    この論文では韓国語と日本語の特定の名詞を対象に、その名詞が持つ次元性について調べる。すなわち、研究対象になった名詞に対して韓国人と日本人がどのような次元的イメージを持っているかをアンケート調査を通じて分析する。  アンケートでは、身体の格部位を表す具体名詞と人間の感情や観念を表す抽象名詞をそれぞれ15個ずつ提示し、それらの名詞と共起できると思う次元形容詞をすべて選択するようにした。その結果、名詞と次元形容詞の間には次のような傾向があることが分かった。 1)「크다/작다(keuda/jagda)」・「大きい/小さい」は、具体名詞と抽象名詞のいずれの場合においても、他の形容詞と両立して使用できるという回答が多かった。これは国広(1982)の「大きい/小さい」の"他の形容詞との両立性"とも一致する結果である。 2)韓日両言語ともに、抽象的な対象を表す名詞より、具体的な対象を表す名詞の方が次元性が高い。 3)抽象名詞においては「크다/작다(keuda/jagda)」,「깊다/얕다(gipda/yatda)」「大きい/小さい」と「深い/浅い」の選択率が高かった。特に「深い/浅い」の場合は、方向性を持っている抽象名詞(興味、感動、親しみ、ショック、疑問、同情、悲しみ)において選択率が高い。 4)韓国語において、抽象名詞と「높다/낮다(nopda/najda」が共起するという回答が多かったが、これは「抽象名詞+도+높다/낮다」が慣用句として使われる例が多かったからである。 5)「크다/작다(keuda/jagda)」・「大きい/小さい」は、1次元的な特性を持っている名詞(首、腰、腕、足、指)の場合において選択率が低かった。これは他の形容詞に比べて、1次元的な対象に対して使われる形容詞「길다/짧다(gilda/jjalbda)」・「長い/短い」は「크다/작다(keuda/jagda)」・「大きい/小さい」との両立性が低いことを意味する。 6)具体名詞「首」の場合、「길다/짧다(gilda/jjalbda)」・「長い/短い」と「굵다/가늘다(gulgda/ganeulda)」・「太い/細い」の選択率が高く、両言語ともに1次元的なイメージとして捉えていることが分かった。ところが、「두껍다/얇다(duggeobda/yalbda)」が58回選択されているのに比べ、「厚い/薄い」が選択された例はなく、韓国語では「首」を非2次元的にも認識するが、日本語ではもっぱら1次元的イメージとしてしか捉えていないことが分かった。 7)具体名詞「顔」の場合、「길다/짧다(gilda/jjalbda)」が103回選択されているのに比べ、「長い/短い」は53回選択されており、「顔」という身体名詞について、韓国人の方がより1次元的なイメージを持っていることがわかる。
  • 7.

    대중가요를 이용한<일본현대시> 수업의 전략

    Nam, Yi-Sug | 2009, (40) | pp.129~142 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本稿では、現代人の欲望や思考方式等をよく表わしている日本大衆歌謠をはたして日本現代詩の中に取り入れて授業ができるのか、もしそれが可能であったら、どんな歌謠を選別してどんなやり方で授業をやっていけばいいのかに關して考察してみた。  まず、大衆歌謠は感性の過剰露出․型に嵌まった決まり文句の使いすぎ․商業主義などと関係づけられ否定的に評価されてきた。だが、大衆歌謠はテキストにした際,短い文章で意味把握がしやすいし、聞き取りが難しくなくて學生の興味や關心がひける。さらに現代の歌謠は多樣なレベルの內容の歌があるので意圖することにより選曲できるという長所も有している。したがって、意圖する點及び学習者の興味や関心などを考慮して選別すれば日本人の生活と情緖を理解できる現代詩の副教材としても十分に鑑賞できる歌が選べられるといえよう。  次に、敎材化に適する歌謠については、人間の生き方及びそれに關わる物事や世界を理解し、意思疏通の能力を開發するのに役に立つべき內容の歌で、暗示的·象徵的特徵のある詩的表現が用いられている歌詞を持っている歌、當時點で學習者が關心を持っていて樂しんでいる歌であれば良いということについても考えてみた。 仮想の授業のために、Smapの「世界に一つだけの花」を選んで実際の授業を試みたのですが、この歌は强いメッセジを持っていて普通の歌謠の歌詞が持っている興味提供のレベルを越えていた。表現面でも詩語が求めている含蓄性や象徵性に富んでいる比喩を驅使しており,詩歌の特徵である韻律は繰り返して使っているメロディから十分說明できうる特徴を有している。  以上のような考察の結果、大衆歌謠は現代詩のテキストとして十分活用できるのではないかと思われた。私たちの周りをよく見るとこれ以外にも廣告文や標語などにも現代詩のテキストは探し出すことができるし、他のサブカルチャの中でも訴える力のある詩的な表現を探すことができる。本稿の中では扱っていないが、今後の課題にして、こういう材料を取り入れて現代詩の授業の領域を広げてより楽しい授業を試みたいのである。
  • 8.

    『이세 모노가타리(伊勢物語)』의 ‘히나(鄙)’에 대한 일고찰

    고선윤 | 2009, (40) | pp.143~159 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    『伊勢物語』は、獨立した125個のエピソードからなる、平安時代の最初の歌物語である。よって、昔男は、125個のそれぞれ違う舞臺の主人公として登場する。その舞臺は平安時代の貴族らの主な舞臺である平安京、いわゆる、「みやこ(都)」ばかりではない。『伊勢物語』の舞臺はみやこから離れた伊勢地方であったり、東國であったりする。いわゆる、「ひな(鄙)」がその舞臺となることがある。  まず、みやこを離れた昔男は、「ひな」の女から和歌をいただくが、それを語り手は「歌さへぞひなびたりける」「ゐなかの人の歌にては、あまれりや、たらずや」と評する。これは、「ひな」の人は、平安時代のみやこの人の必修條件である和歌を詠むことも、理解することもできないといる、先入觀のあらわれである。  昔男は「ひな」でもたくさんの女と恋愛するが、それは常に離別を前提としている。それに比べ、昔男は「ひな」にいながらも、みやこの女を恋しがる事が多い。よって、「ひな」とは、それ自體意味があるのではなく、みやこに心向くことを强調するための相對的意味として存在するものと見える。  昔男は友と伴に「ひな」で遊覽することも多い。風景を眺め「ひな」での餘裕を楽しめば良いものの、悲運の皇族として藤原氏體制のなかで生きる者として、その立場を「ひな」の景色に連想して、自分の不遇を表現している。  以上のように、本稿では、「ひな」での話に注目して、『伊勢物語』で描いている「「ひな」」とは、いかなるものか、その意味に接近することを目的とした。「ひな」は、それ自體が一つの價値がある存在というより、みやこを前提として、それと對比する差別的槪念であることを確認した。平安時代の貴族の主な舞臺がみやこであり、彼らが追求する理想が「みやび」であることを思えば、充分理解できる。
  • 9.

    『うつほ物語』における俊蔭の旅地-「唐土」と「知らぬ国」の使い分けを中心に-

    Kim, Hyo Sook | 2009, (40) | pp.161~177 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
      『うつほ物語』は、一言でいえば、俊蔭一族の秘琴伝授と栄華の物語といえよう。この一族に類稀な栄達を齎した秘琴は、俊蔭の異国への辛苦の旅の末、持ち込まれたものであった。その異国への旅立ちは、遣唐使としての栄光のみならず、私的な不幸をも招来したものであった。俊蔭の異国への漂流をどう捉えるか、それは『うつほ物語』を理解する上で、欠くことのできない極めて重要な問題である。つまり、その旅が、一族に繁栄を齎した栄光のものだったのか、それとも悲劇だったのか。それを紐解くひとつの鍵として、まずその異国を指す名称の分析が必要である。というのも、物語は、俊蔭が流された異国を、「唐土」とも「知らぬ国」とも語っており、この呼び方を考察することが、物語の理解に繋がると考えるからである。  俊蔭の異国への漂流、それは、帝をはじめとした朝廷側からすると、選ばれた文人官僚に与えられる栄光であったが、俊蔭個人には父母との別れを強要される悲哀でもあり、また結果的には帰国後の不幸までも齎したものであった。物語には、その遣唐使をめぐった認識のズレや歪みが、「唐土」と「知らぬ国」という異る異国の呼称として表れている。「唐土」は宮中社会の一員として俊蔭に担わされた遣唐使という公的な立場から語られる異国というニュアンスが強い。一方、「知らぬ国」とは、俊蔭の経験したことのない見知らぬ国という意味とともに、遣唐使としての栄光のはずだった異国への旅が、実は宮中社会との繋がりがまったく見出させない場所であったという意味において、「朝廷の勢力の届かない国」でもあり、俊蔭の悲しみ、憂いの私的な感情が表出される表現であった。そして物語全体を通して、俊蔭の旅地が、公的世界を代表する天皇側からはあくまでも「唐土」と呼ばれ、俊蔭一族からは「知らぬ国」と語り続けられているところにこそ、天皇家と俊蔭一族の乖離・対立関係が読み解かれるのではないかと思う。
  • 10.

    『古事記』의 女鳥王이야기의 후일담에 관한 一考察

    박미경 | 2009, (40) | pp.179~198 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     本論文は、『古事記』の女鳥王物語の後日譚には『日本書紀』の記録とは違って大楯連の死が語られていることに注目し、『古事記』が『日本書紀』には存在しない死を通して何を語ろうとしていかるかについて考察を行ったものである。 そのため、まず『古事記』中․下巻における死の様相について検討した。その結果、『古事記』中․下巻の登場人物の死は、平定や反乱を鎮圧する場面で現れており、その死の原因も王権への叛逆や王権実現(寄与)を妨げた結果であったことがわかった。これは『古事記』上巻の神の死が何らかの形での復活を前提としていることを考え合わせると、『古事記』中․下巻における死の様相の特徴といえる。 このような『古事記』中․下巻における死の様相とともに『古事記』が下巻の初頭をかざる仁徳天皇を通して「儒敎的天皇像」及び「皇后像」を提示しようとしていた点を考慮に入れると、『古事記』はやはり自分の主君に対する叛逆行為をも辞さなかった大楯連の死を通し、道義的かつ望ましい「臣下像」を提示していたのではないかと考えられる。 『古事記』は、しばしば大陸風の漢文体文と理念に基づき、対外に権威を誇示すべく編纂された『日本書紀』とは異なっていることが強調されているが、こうしてみると、むしろ『古事記』のほうが君臣の道義と体面を重視する儒教的倫理に徹底していることが窺われて興味深い。
  • 11.

    地蔵関連地獄説話:『今昔物語集』から『一四巻本地蔵菩薩霊験記』への変容

    Lee, Si-Jun | 2009, (40) | pp.199~215 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は『今昔』巻十七に所収された地蔵関連地獄説話の特徴を明らかにし、また、後代に成立した『霊験記』の同話との比較を通じて地獄観の変遷の一端を考察したものである。  考察の対象となった『今昔』の地蔵関連地獄説話は、『今昔』十七の計32話中、地獄と関連する14話である。まず、話型に関してであるが、地獄蘇生譚が計12話、地獄巡禮譚が計2話となっており、先行説話集のそれとほとんど変らない。一方、モチーフの内容において、注目すべき二、三点の変化も見受けられる。第一に、先行する説話集では、地獄の位置が現世と連続的な空間として捉えられる、第二に、先行する説話集では、閻魔王が裁判官としての権威が強調されるが、地蔵説話ではその権威が薄れ、専ら地蔵の地獄拔苦の功徳が強調される。第三に、先行する説話集では、堕地獄の理由が比較的明記されているが、地蔵説話では堕地獄の理由が不分明であるか、あるいは善業を積んだ人さえも地獄に堕ちる場合が多い。  『今昔』と『霊験記』の両書の相違点については、『霊験記』の方が『今昔』より地蔵専修の性格が強いこと、地獄観の変化があったことなどが挙げられる。
  • 12.

    外国文学受容と翻訳問題―『蜻蛉日記』英訳を一つの例として―

    SOONBOON CHEONG | 2009, (40) | pp.217~235 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    一定の文学作品の翻訳は、作品が属している文化を代表すると同時に、翻訳者の文化と時代の特徴を表わし、副次的に文化比較の手段にもなる。文学的翻訳のテキストとその概念の取り扱い方は、自文化と異文化間の相対的な価値を示す有効で強力な指標となりうるのである。  本稿では、『蜻蛉日記』英訳の様相を一つの例にして、外国文化受容と翻訳問題について考えてみた。『蜻蛉日記』は西欧において最も翻訳しづらい作品の一つとして数えられるが、それにはまず、「日記文学」というジャンルの曖昧性がある。『蜻蛉日記』は、最初「日記」という言葉にひきつられ「diary」として見られ、事実性だけが強調された。しかし、以後、形式の流動性を重視して「autobiography(自伝)」と定義され、また創作的虚構性を特徴として考えた「memoir(回想録)」説が出てくるようになる。近来は、平安日記文学の固有性を考慮して、『蜻蛉日記』をそのまま「Kagerō nikki」と称することが多くなっている。  翻訳本については、サイデンスティッカー氏の訳『The Gossamer Years: The Diary of a Noblewoman of Heian Japan』は、英訳本としては最初の完訳本で、英語圏における『蜻蛉日記』受容に多大な影響を及ぼした。これは、複雑に絡み合っている原文を、短く切ったり、省略したりして分かりやすい文章にしたものである。男性的視線によってストーリの大枠を伝えようとした面で、「形の翻訳」と呼ぶべきものであり、平安時代の社会的な面を主に考慮した翻訳と言える。それに比べてアーンツェン氏の完訳本『The Kagerō Diary』は、女性の文体を生かして作者の心情までを訳そうとした「心の翻訳」であり、文学的な面までを考慮した翻訳と言える。  ところで、そのような文学的な翻訳、すなわち「文化翻訳」が必ずしも「よい翻訳」になるとは言い難い面がある。文学作品の場合、翻訳は第二の文学作品を創造する営為である。いくら文化的に完璧に訳したとしても、文学作品として読者に感動を与えないものであれば、それを「よい翻訳」とは言えない。実際、女性の文体までを生かして『蜻蛉日記』の世界を再現しようと努めたアーンツェン氏の翻訳を、一角では『蜻蛉日記』を却って難しくし読む気を無くしたものとして非難する人もいる。外国文学受容の成熟度が、必ずしも「よい翻訳」と正比例の関係にあるわけではないことを再確認させる。それが翻訳の難しいところであり、翻訳というものをより有機的で柔軟に把握していく必要性を我々に呼びかけるものと思われる。
  • 13.

    일제의 패전과 친일작가 張赫宙의 작가적 모색

    Hakdong Kim | 2009, (40) | pp.237~253 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本稿では親日作家張赫宙の文学的活動のなかで、日本帝国の敗戦直後から日本に帰化する1952年頃までを考察の対象にして、不安定な民族的アイデンティティのなかで執筆を試みた作家的行跡と、それを反映した新聞·雑誌の記事及び作品の特徴を考察してみた。  その結果、敗戦に直面した張赫宙は過去の親日的執筆に対する美化を試みたり、日本帝国を批判するなどの迅速な態度の変化を模索したほか、読者の好感を得るために敗戦による日本人の苦しみをヒューマニズム的立場から描く努力を傾けていたことが確認できた。そして、祖国に捨ててきた家族と民族に対する葛藤を描くかたわら、韓国戦争を扱った多くの著作の執筆を最後に日本に帰化し、作家的人生の新しい出発を図っていたことが分かった。
  • 14.

    森鴎外の『蛇』論

    Junyoung Oh | 2009, (40) | pp.255~271 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     本稿は、森鴎外の短編小説『蛇』を読み直そうと試みたものである。これまでの先行研究では幻怪小説、鴎外の自家用小説、日本社会の過度期的状況に対する文明批判小説、混沌とした時代状況を描いた小説などと多様な評価が下されていたが、そのいずれも清吉という登場人物にはあまり注意していない。そこで視座を変えて、清吉に注意しながら読めば別の断面が浮かび上がるだろうと考えたからである。  こうした目的の下で、まず冒頭部に描かれている蛇の形象が作品世界の中でどのような意義をもつのかを探ってみた。次に、清吉の言葉違いや東京からの里帰りの真の理由や蛇を処置する際の矛盾した言動などについて具体的な検討を行なった。最後に、お豊を取り巻く男たちの男性主義的な言説に注意を払いながら、作者鴎外の創作意図に迫ろうと試みた。  以上のような考察の結果、蛇が登場人物たちの二重性や虚偽をえぐり出す装置として機能していることを確認し、お豊の発狂の原因が清吉の内部に潜んでいる偽善性に起因していることを明らかにした。そして穂積家の混沌とした状況が男たちの偏向的で乱暴な男性主義的言説によって作り上げられているという事実を確かめることができた。  以上の考察を通して、『蛇』は穂積家における姑と嫁の不和の問題を描いた作品でもなければ、社会秩序を揺るがす存在としての「新しい女」の問題を取り上げた作品でもない。時代の流れに伴っておのずと出てくるあらゆる問題に人間はどう反応しどう動くのか、生動感にあふれる人間模様を描いた作品であると結論づけた。と同時に、遊び的な要素、余裕と観照の姿勢で生き生きとした人間をありのまま観察しようとした作者の創作態度を確認することができた。
  • 15.

    소세키(漱石)와 오가이(鴎外)의 청년상-『산시로(三四郎)』와 『청년(靑年)』을 중심으로-

    Yun Hye Young | 2009, (40) | pp.273~288 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    本論では、『三四郎』と『青年』の中に登場する男女主人公の造型の特徴を中心としてその差と原因について考察し、漱石と鴎外との時代認識と当時の青年像の一面について探ってみた。 『三四郎』と『青年』は、田舎の青年である三四郎と純一が上京して現実社会を認識していく過程を描いている作品だと言える。まず三四郎は激しく変化する東京の姿を見て驚き、漠然たる夢を持っているうぶな青年として描かれる。一方、純一は青年のような面と中年の姿を同時に持っており、現代社会を書く小説家になるという確固たる夢を持っている。両作品には明治社会の暗いイメージが描かれているが、広田先生を通して痛烈な批判をしている漱石とは違って、鴎外は純一の持つ中年性を作家への強い意欲と批判にだけ注いでいる。これはそれぞれ違う留学体験及び生い立ち、人文と科学という研究分野の違いから出てくる結果だと言えよう。 またバラとダリアとして形象化され、西洋から入ってきた人工的な香水の香りを漂わせる女性達は三四郎と純一が現代社会を経験する主な媒介體としての役割を果たす。美禰子が落した香のないバラの花は三四郎との関係が無意味に終わってしまうことを暗示し、美禰子の誘惑的な香水の香で三四郎は葛藤しまた彷徨する。一方、ダリアのイメージで描かれるお雪と香水の香を発散する坂井夫人によって純一の性的欲求が露骨的に描かれ、愛の感情がよく見えない『三四郎』の世界と違う面を持つ。  結局、最後の場面の三四郎の「ストレイ․シープ(stray sheep)」という言葉で現われているように漱石は時代の中で「迷う青年像」を描いたのである。一方、純一は愛情のない坂井夫人との関係から淋しさを感じるようになり、これは現代社会への幻滅と挫折に繋がる。しかし純一は伝説をもとにした小説を書く決心をするに至るが、これは鴎外の「あきらめ」の態度からその理由を探ることができ、現代社会に対する直接的な批判を回避する鴎外の態度がこうした主人公を造型したと言える。
  • 16.

    아베 고보(安部公房) 문학에 있어서의 <가족> ―<무능력한 아버지> 상(像)을 중심으로―

    이정희 | 2009, (40) | pp.289~302 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    しばしば安部公房の小説に描かれる家族というものは、父子、あるいは母子だけの場合が多い。どちらかの片親が欠ているのだ。しかし、母子の関係をとおして筋立を展開するといった物語はあまりみえない。それに対して、子供のいない夫婦、あるいは一人暮らしの独身男性が設定される場合が多く、都市の変貌にふさわしい、新しいといえば新しい家族のタイプがよく描かれる。  父親の登場は短編小説にも見えるのだが、そのシチュエーションは父親と、視点人物と焦点化される人物を兼ねる「ぼく」との父子関係である。小説に登場する父親はおおむね<だめ親父>ばかりである。たとえば、『壁ーS.カルマ氏の犯罪』に出てくる<都市>のパパであるユルバン教授は「ぼく」の胸中の壁を調査するために「ぼく」の胸を切り裂こうとする非情な科学者として造型されている。また、<田舎>のパパは「ぼく」が窮状に陥っても、なんとか理由をつけて「ぼく」を受け入れて助けようとしない。この父親も父性愛に欠ける非情な父という造型とみなせよう。  このような父子関係の設定の背景にあるものは、父性が持つべき権威と抱擁力の欠如による<父なるもの>の喪失であろう。そしてそれにともなう家族の崩壊である。  その上、安部公房の遺稿作品である『飛ぶ男』に出てくる父親は、超能力をもつ息子を利用して金儲けをしようと企んでいる。このような<だめ親父>の造型について「飛ぶ男」と父親関係をめぐって考察してみる。 作品に登場する父親像のイメージには安部公房に脳裏に刻み込まれた満州での体験が重ね合わされていたにちがいない。かつて日本の植民地だった満州。華やかだった植民地での生活も、敗戦とともにその崩壊が安部公房の家族にも訪れた。小学校の時代、日本の教師―それは父親的な存在でもあっただろう―によって五族協和の理念を信じ込まれていた少年公房は、敗戦後、戦争によって破壊され荒廃した「日本」の現実をみて、国家や父親にたいする強い不信をおぼえるようになった。 満州体験と敗戦後の光景を眼のあたりにして、彼の内部で「国家」と「父なるもの」とが結び付き、それまでの父親像は解体していったのではなかろうか。そのようなイメージは一貫して保存され、初期から遺稿作品においても、<父親>の造型は<だめ親父>として登場していると思われる。
  • 17.

    川上健三說의 虛實(一)

    권오엽 | 2009, (40) | pp.303~326 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    韓国の独島支配を否定し、それが歴史地理的に日本の固有領土であるという主張は川上健三の『竹島の歴史地理的研究』に基づくが、同書は韓日両国の資料を幅広く引用しているにも関わらず資料の選択が便宜的であり、解釈が恣意的なので信頼を置けない。 竹島の渡海で繁盛を迎えた大谷家の古文書の情報を得てからは韓国に秘密を守るよう圧力さえもかけようとしたのが川上であった。外務省の官吏であった彼は独島(竹島)問題が韓日両国が尖鋭な問題であることをよく知っていたはずで、それに関する資料が見つかれば共有して円満な解決を図るべきであったのに、その程度の余裕をも持っていなっかたらしい。 彼は韓国の記録同士の差を根拠に全体を否定し、安龍福については当時の法を犯した点を強調するという方法で彼が陳述した内容ばかりでなく、その陳述を載せた記述まで否定する。それに反して日本側の記録は検証なしに信頼し、それを基準にして竹島の問題を定義する。韓国の諸記録が東海に鬱陵島と独島の二島が多様に呼称されながら存在するということを明記しているにも関わらず、それを否定して一島説を否定する。韓国の記録が鬱陵島のことに限られ、独島に当る島に関する記録がないということを根拠にする否定である。そして、朝鮮人は1904年以前は独島の存在すら知らなかったと断定し、その必要性によって、安龍福の独島認識をも誇張であり虚構であると断定した。  ところが、『高麗史地理志』『世宗實錄志』『新增東國輿地勝覽』などは東海にある二島が相見えるということを記録し、『新增東國輿地勝覽』の「八島総図」には于山島欝陵島が描かれており朝鮮がそれを認知していたことが分かる。勿論日本はこの内容も否定しているが、安龍福のみでなく大勢の朝鮮人がそれを認識してことを伝える『竹島紀事』という日本の記録がある。安龍福は対馬でムルグセム(欝陵島)へ鮑取りのために渡海したことを陳述した。これを根拠にして彼が松島(独島)の存在を知らなかったと川上は主張したが、完全な資料の歪曲であった。 対馬藩では欝陵島と磯竹島をブルンセミと称することも有ったようで、竹島を朝鮮ではブルンセミと呼ぶと聞くが、竹島と朝鮮語でブルンセミと発音するのか。欝陵島を朝鮮ではブルンセミと呼びはしないのか。欝陵島とブルンセミは同一なのか否かなどについて釜山の倭館に事実確認を求めた。朝鮮語通詞の中山は朝鮮人等から情報を集め答申した。 その答申は対馬が問い合わせたブルンセミがウルチントウとも呼ばれる欝陵島ではないということを明確に言って、ウルチントウの北東の方にかすかに見えるのがブルンセミであると整理した。欝陵島と独島の関係以外の説明とは考えられない。 またこれは釜山辺りの朝鮮人が東海に存在する二島をよく認識している当時の社会認識の反映であることを意味する。ムルグセムとブルンセミを武陵島と見做し、二つを欝陵島にする意見も有るが、「ブルンセミ之儀者ウルチントウより北東に当かすかに相見申由承候事」を離れた意見で成り立たない。
  • 18.

    「竹島考證」의 사료 왜곡 -‘한국 측 인용서’를 중심으로-

    Kim, Ho-dong | 2009, (40) | pp.327~348 | number of Cited : 6
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    『Jukdogojeung』 of Buktaekjeongseong was written in 1881(Meiji Era 14years) by directing from the Japanese minister of foreign affairs. Joseon government considered Japan's Ulleungdo disseizin on May 22 in the year as the invasion of the territory. Joseon made a protest with the Japanese minister of foreign affairs and decided to invest by sending Lee, Gyuwon in Ulleungdo. Under these circumstances, the research report was accomplished. "Songdo at that time was the island called Jukdo in Genroku Era 12 years, the territory was outside of Japan since early time". Ulleungdo was Joseon territory. On the other hand, he named Joseon's retrieving policy as 'empty-island policy' and tried to bring into relief the empty island as the deserted island in 『Jukdogojeung』 to distort Korean historical material. Kitazawa Masanari concluded Jukdo was Joseon's territory, but deployed his logic, 'If I take the deserted land, that is my land', in 『Jukdogojeung』. The Japanese minister of foreign affairs took his logic and insisted Dokdo was the ownerless land in 1905. Dokdo was incorporated into Japan's territory. It was one of the reasons Kitazawa Masanari put the ownerless land of Dokdo or the native territory in0 『Jukdogojeung』 in practice.
  • 19.

    신라왕자 아메노히보코의 신격에 관한 연구

    NO, Sung Hwan | 2009, (40) | pp.349~365 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    天日槍は新羅の延烏郞も大伽倻國の王子の都怒我阿羅斯等でもなかった。彼らには太陽信仰という共通點は持っているかも知れないが、それぞれ性格が違う別人であった。天日槍の性格を把握するために、彼が持っている神物と彼を祖先として祭っている末裔たちの特性を調べて見た。その結果、彼の神物には武具の刀, 矛, 鏡をはじめ赤石, 日鏡, 日矛のような太陽信仰と關連の深い物が多く、領巾と沖津と邊津という名前を持っている鏡のように海洋信仰と関係が深いものが殆んどであった。これを通じて彼の性格を見ると、彼は刀劍類を持っている太陽を崇尙する航海安全の神であった。 一方彼の子孫の中で歷史的な人物には、五十迹手と多遲麾毛理、そして神功皇后、三宅氏などが擧げられる。彼らの一つの共通點は、海と密接な關連を持って活躍していることである。例えば五十迹手は神功と仲哀の海路を案內し、多遲麾毛理は遠い海へ行って、柑橘を持って来た。そして神功も海を渡って外國を征伐し、また三宅氏も海上交通を掌握し、大和政權の外交擔當を独占していたのである。こうしたことからも天日槍は、海と深い關係を持つ神格には間違いはない。このように神物と子孫を通して見た天日槍の性格は、信仰的な要素が強く、刀劍類を持って、太陽を祀る航海の集團であると共に、航海の安全を守る神であった。
  • 20.

    일본의 십이지 동물설화 연구(Ⅲ)- ‘뱀(蛇)’ 모티프의 상징을 중심으로 -

    송영숙 | 2009, (40) | pp.367~385 | number of Cited : 3
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    本稿は、『日本の民話』(全26巻)の中で蛇のモチーフの話を分類し、その類型及び樣相を分析した上で、蛇に現れる象徵性を把握しようとしたものである。民衆の共同作品と言われる動物說話の中で、蛇が主人公に登場する話の類型と、そこに表れる蛇の象徵性を整理すれば次のようである。 最も多いのは、「蛇聟入」の類型で、次に多い類型は「蛇女房」である。この二つの類型は異類婚姻譚に関する話で、蛇の外形が男根と相似して、頭部は女陰を象徵して生命の根源に思われたことからきたのである。そして、稻作時代の水神の象徴である蛇を中心にいろんな話を派生させて、新しい鐵器文明が導入すると、蛇はタブーさせて針に差して退治になることに至る。これは靑銅器文明が强力な新しい鐵器文明によって衰えて弱ることを象徴するものとして書かれたのである。 三番目の多いのは「蛇の恩返し」類型である。蛇が家に入ると金持ちになる、蛇がとぐろを巻いて甑のようになっているを見ると長者になる、のような諺から分かるように蛇は福を管掌する力ををもっていると考えられたことが分かる。このような話に影響を受けて、一般民衆は福を招來する蛇に好意的にふるまい、その行為によって逆に蛇から恩返しを受るという単純な願いを象徴的に表したものである。 四番目は、「小蛇成長譚」という類型である。これは「蛇の恩返し」類型と同じに日常で福を招來する蛇に、想像中で蛇と一緒に生活しながら蛇から恩返しを受るというのを象徴するものとして書かれたのである。以上の內容を整理すれば、蛇は異類婚姻譚の主役として生命の根源に思われたことを象徴するものとともに、一般民衆に福を招來する役割として象徴的に表したものを分かることができる。
  • 21.

    일본 그린투어리즘의 전략과 실제

    유기준 | 2009, (40) | pp.387~405 | number of Cited : 5
    Abstract PDF
    グリーンツーリズムは、現代人のウェルビーング(well-being)と自然体験の欲求増加と、高齢化、過疎化、第一次産業の衰退など、様々な課題を負っている農山漁村地域の問題の解決に向けた一つの方法として擡頭された体験型観光行動と言える。 このような状況の中で日本のグリーンツーリズムは、農山漁村だけが主体になるのではなく、都市と農山漁村がお互いの必要による自発的交流といった新たなライフスタイルの普及という観点での、都市と農山漁村が連携して共生と交流という行動の目標を達成するための協同的な性格が強い。  このような目標を進めていくために、農山漁村の多様な情報を効果的に提供するための色々な施策の実施、特に子ども向けの農山漁村交流プロジェクトの実施、大都市圈における農山漁村地域民との出会いの場の設定など、都市住民が持っているグリーンツーリズムに対する潜在的ニーズを具体的な行動に結び付けている。また、グリーンツーリズムに携わっている人材の育成のためのテーマ別研修会と教育を行っている。農山漁村では<農村漁家民宿おかあさん100選>の制度などを活用して、農家民宿の経営と地域の活性化に成功した女性が農家民宿の経営の内容や活動実績を紹介するネットワークを構築するなど、農家民宿の品質を維持、向上させるための多様な努力を傾けている。 このような日本のグリーンツーリズムは地域の特性によって農林漁業体験民宿、都市の学生の修学旅行の誘致、学校などの既存施設の活用、棚田オーナー制度活用、民間交流施設の利用、民間団体の組織活用、ワーキングホリデー制度の活用などのように様々な形で行われている。 日本のグリーンツーリズム政策は農、山、漁村の環境が似ている韓国に与える示唆も少なくない。韓·日グリーンツーリズムの比較研究は今後行われるべき課題と言えよう。
  • 22.

    韓日両国の鬱陵島認識の起源

    Ito Masahiko | 2009, (40) | pp.407~426 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿では鬱陵島に関する記録上の初見、またはその前後の時期の文献における韓国と日本の同島に対する認識について考察した。韓国の文献のうちまず『三国史記』には6世紀初頭に「方一百里」の疆域を持つ于山国が鬱陵島に存在しており、異斯夫の計略により512年6月に降伏、以後年ごとにその地の産物を貢上するようになった。于山国の人々は「悍」ではあるが「愚」であった、との認識が表れている。次に『三国遺事』には于陵島(羽陵島)は阿瑟羅州(溟州)の東の海中、順風なら二日程かかる所にあり、その周廻は26,730歩である。于陵島の人々は新羅の東の島に住む「夷」であり、于陵島の人々は海の水深が深いことを恃み、驕慢で臣従しようとしなかった。彼ら「島夷」は「驕傲」ではあるが「愚」であり、結局は伊飡朴伊宗の木製獅子を恐れて降伏した、との認識がうかがえる。そしてこれらの記録に見える鬱陵島(于山国)に対する派兵は新羅の世界観、すなわち自国をその徳を慕って四方の周辺国が帰服してくる天下の中心と見る思想と関連していると考えることができる。  一方『権記』『本朝麗藻』『公任集』『狭衣物語』などの日本の11世紀の文献に見える鬱陵島および鬱陵島人に対する認識は以下の通りである。11世紀初頭に因幡の国に漂着した「于陵嶋人」11人は、日本人とは風俗の異なる新羅或いは高麗の外国人であり、日本語を話すことができなかった。彼らは天皇の詔書により帰国を許されたため「皇恩」に感謝している、またはそうあるべき存在であると思われていた。彼ら一行の中には詩を解する者がおり、その交流は人間的に惜別の情を起こさせるものであった。 結局、韓国の文献は鬱陵島を6世紀に明確に自らの版図に編入されたものと認識している一方で、日本の文献は鬱陵島(于陵嶋、うるまの島)および鬱陵島人をそれぞれ言語風俗の異なる外国、外国人とみなし、そこに住む人々は日本語を解さぬ言語の通じない外国人と考えていたことがわかる。鬱陵島は古くから韓日両国の人々の交渉の舞台となり、時には領土紛争の対象ともなったが、両国の鬱陵島に対する認識の起源はこのようなものであった。
  • 23.

    재일한인의 민족정체성(Ethnic Identity) 유형에 관한 사례연구

    Youngeon Yim | 2009, (40) | pp.427~444 | number of Cited : 6
    Abstract PDF
     本研究の目的は従来の在日コリアンの民族アイデンティティの危機意識に重点をおくよりはグローバル時代に在日コリアンの民族アイデンティティそのものがどのように変化してきたかを分析することである。民族アイデンティティの変化の背景にあるのは、日本の同化政策もあるが、1980年まで日本における在日コリアンの日本国籍の取得は彼らの経済事情や政治思想などが考慮対象だったので相当難しかったが、1980年代後半になると多様な国から入国する外国人が増え、日本の多民族多文化社会の到来によって帰化への制度的な装置が緩和されたことにある。  本研究の面接調査の対象は年齢と職業、居住地が多様な35人の在日コリアン男女で構成されている。 本研究の調査結果によれば、日本国籍を取得している在日コリアンは従来彼らが主張していた在日コリアンの亜流ではなく、彼らの独自的なアイデンティティと世界観を構築していることがわかった。具体的に在日コリアンの民族アイデンティティの主な変化は三つが考えられる。第一に、超国家的なグローバル時代を迎えて日本社会内における就職や成功という個人志向型から海外とのネットワークを重視するグローバル志向型に変わってきている。第二に、在日コリアン1世代の帰国志向型から同胞間のネットワークを重視する同胞志向型に変わっている。第三に、過去日本国籍を取得して日本人化を目指す帰化志向型から独自的な民族アイデンティティの構築を目指す独自志向型の出現である。  本研究の示唆点は日本の多民族多文化社会の到来とその影響によるアイデンティティの多様化と在日コリアンの民族アイデンティティの変化が日本社会の変化と密接に関連していることである。
  • 24.

    「북방영토」와 독도 문제의 성격 비교

    Choi Jang-Keun | 2009, (40) | pp.445~470 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    日本は独島とクリル列島に対して領有権を主張している。現在独島は韓国が実効支配している。クリル列島はロシアが実効支配している。クリル列島については現在ロシア政府が領土問題は存在しないと断言しているけど、過去のロシア政府は日本とロシアの間に領土紛争があるとその存在を認めていた時もあった。ここで本研究では、韓国と日本との間の独島問題と、日本とロシアとの間のクリル列島問題が全く違う性格のものであることを論述した。独島問題について言えば、歴史的に日本領土としての根源が全くない。日本が領有権を主張している根源は、1905年の編入措置である。それはすでに韓国領土であるものに対する日本の国内的編入措置を取ったにすぎないものである。1900年韓国政府が行政措置をとった時、独島措置があったことで日本の編入措置は侵略的行為であることが明らかである。近代に入って、日本の欝陵島と独島に対する侵略行為に対応して合法的に領土権を守ってきたので現在実効的支配を行っているわけである。対日平和条約と韓日基本条約に際しても日本の領有権主張を阻止して韓国の実効支配を継続してきたのである。一方、クリル列島については、過去のロシア政府が2島を譲ることもできると日本の領有権を一部認めたことがあったので、日本は領有権獲得を目標にロシアとの間にいまだに平和条約を結んでいない。これだけでも独島とクリル列島の問題の間にその性格の差が大きいであることがわかる。