Korean | English

pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

2020 KCI Impact Factor : 0.27
Home > Explore Content > All Issues > Article List

2009, Vol., No.41

  • 1.

    日韓語の動詞結合の対照研究 ―「食べる/먹다」をV2とする例を中心に―

    LEE CHUNG KYU | 2009, (41) | pp.17~38 | number of Cited : 11
    Abstract PDF
     本稿では,日本語の「食べる」とそれに対応する韓国語の「먹다」をV2とする動詞結合を取り上げ,①日韓語の動詞結合の中で,「句」として分類されるものは,基本的に介在要素(日本語では{-て},韓国語では{-어}{-고}{-어다})を必要とする「介在要素有りタイプ」であること,②日本語の「複合動詞」は,形態構造上,主に「介在要素無しタイプ」の形で形成されるのに対して,韓国語の「複合動詞」は,形態構造上,主に「介在要素有りタイプ」の形で形成されること,③上記の二つの指摘が関わって,同一の形態構造を保持しながら,文脈次第で「句」とも「複合動詞」とも分類され得る動詞結合が,日本語には僅かしかないのに対して,韓国語には豊富に存在すること,の3点を確認した。そして,②と③の相違点は,「語幹の自立度」の違いによるものであり,具体的には「日本語の動詞は語幹の自立度が高いのに対して,韓国語の動詞は語幹の自立度が低い」ということが相違点の根本的な原因であることを主張した。
  • 2.

    漢字の共通部分を利用した 日本漢字音の指導法

    우찬삼 | 2009, (41) | pp.39~58 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    本研究では、常用漢字表の中には同じ音符を持ち、同じ音、あるいは似ている音で読まれる漢字が多いということに着目し、共通部分を利用して漢字音指導をしたらより効果的ではないかという基本的な考え方に基づいて研究をした。研究方法としては、日本の常用漢字の中で共通部分を持っている漢字を全て調査した。その後、調査した漢字を行別に細分化し、表で整理して提示した。そしてこれらの表によって漢字音指導法についていくつかを提示した。今までの表に上げたとおりであるが、その共通部分を持つ漢字の総数は1,008字として非常に多い。このうち、基本漢字の数は374字である。したがって理論的には基本漢字374字の漢字音を覚えると、1,008字の漢字音が読み取れるということになる。これは日本漢字音の指導に大変有効なヒントを与えると考えられる。  例えば「青」を音符として持っている漢字「晴・請・精・清」などの音は漢音では全て「セイ」、呉音では全て「ショウ」となる。そして本來「青」の漢字は「清明なこと」「澄みきったこと」という基本意味を持っているので、この「青」という共通部分に「日」が付いている「晴」は「清明な天気」の意味を表し、「水」が付いている「清」は「清い水」を表し、「米」が付いている「精」は「けがれのない米」を表すことになる。このように「清・晴・精」の漢字の共通的な音符は「青」であるので、これらの漢字音は全て「青」と同じ音になるのである。このような漢字は共通に入っている基本漢字「青」の音だけが分かれば「清・晴・精」の音も類推可能であるので、日本語教育の漢字音指導に大変有効であると考えられる。ここで提示した幾つかの漢字音指導法が万全であるとは言えないが、漢字音指導に大きなヒントは提供するだろうと思われる  本研究は、理論的な研究で実際に日本語教育の漢字音指導に役立つかどうかという実践的な研究は後の課題としたい。実践的な研究が全くないことではない。筆者は、今現在勤務している大学で常用漢字の科目を担当している。この科目で部分的には利用したことがある。学生の反応も大変肯定的であることも確認したが、本研究で提示した全ての漢字群を持って実験したことではない。これからは全ての漢字群を持って実践的な研究に取り組みたい。
  • 3.

    「捨石丸」에서의 萬葉歌 引用의 의미 - 『金砂』(권9)와의 비교 고찰을 통해

    이기명 | 2009, (41) | pp.59~80 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    「捨石丸」の冒頭に引用されている、大伴家持の萬葉歌は、その短さに比して、本篇で特別な意味を持つと考えられる。それは、<幸 → 不幸 → 幸>という作品の構図に、大きく關與しているという意味で、作品の母胎であると知られている、禪海法師の說話それ以上の意味をもつと言えるであろう。序盤での冤罪事件の発生はもちろん、末尾での、日高見神社の派手やかな風景にいたるまで、実に、この萬葉歌は、作品の要所要所で、その內在要因として作用している。  この萬葉歌が歌っている<陸奥での黄金の産出>という事實は、秋成にとって、大きな關心事の中の一つであろう。第一に、秋成の諸著述に見られる、作家の黃金についての言及に注目したい。まず、「貧福論」(『雨月物語(第9話)』)で秋成は、<土にうもれている黃金>を賛美しており、『膽大小心錄』・『茶瘕醉言』などでは、<土にうもれていない黃金>は惡性を発するという要旨を記述している。これらの言及は、家持の萬葉歌が歌っている、<陸奥での「黄金の産出」>に関する、秋成の否定的な見方が窺われる部分であろう。そのうえ、『膽大小心錄』には、土にうもれている黃金を發見して喜んだ人々が、結果的に、災いをこうむってしまう例話が多数掲載されている。これは本篇での、萬葉歌の引用につづく、ー思いがけないー冤罪事件の發生の意味が解読できる、興味深い部分であろう。第二に、秋成の萬葉集硏究書である、『金砂』(卷9)に注目したい。同書は、本篇とはさらに特別な関連を持つと考えられる。ここには、大伴家持の同じ萬葉歌群(長歌及び、本篇にも引用されている反歌1首)といっしょに、これに附與した長文の、秋成の私的な注釈が掲載され、この萬葉歌への、秋成の大きな關心が窺われる。秋成は同書で、<陸奥の黄金>に関連した、廬舎那仏、東大寺などの派手やかな佛敎の造形物について、「神にならひ。君の上に立たるにそ。朝野ひとしく是をのみ貴とめる」佛敎信仰の結果物だと批判している。さらに、これらを發願し、<陸奥での黄金の産出>を喜んだ、聖武天皇に向かっても、「聖とや申。武とあがむる。御謚こそふさはしからぬよ」と辛辣に批判している。『金砂』でのこのような秋成の一連の批判的言及は、祝願をこめて、<陸奥での黄金の産出>を歌った、家持の万葉歌の意図とは對照的な視覺だと言えるだろう。  すなわち、「捨石丸」での萬葉歌の引用は、この歌に内在している、当時の佛敎の世俗性を批判しようとする、作家の意図が秘められている、一種の象徵性としての意味を持つと考えられる。  とはいえ、秋成が佛敎それ自体を否定しているのではない。禪海法師의「青の同門」を主人公、捨石丸の<覚りの源泉>として位置づけているのは、まさに、その代表的なよい例であろう。このような秋成の佛敎觀は、上記の『金砂』などの、多数の著述にも表われているのは当然のことである。  一方、洞窟の開鑿という佛敎的な修行を達成した捨石丸が、死んだあと、捨石明神として拝められることや、大破していた日高見神社が派手やかに再建されるという、作品の末尾も、冒頭の萬葉歌と対比される、注目すべき重要な部分であろう。まさに、秋成においては、どちらにも偏らない神佛の調和こそ、望ましい理想鄕だったといえるのではないだろうか。このようにして、冒頭の萬葉歌が象徵している日本の古代の歴史は、作品の末尾で、江戸中期の新しい風景に再誕生されたといえるであろう。 以上、「捨石丸」での萬葉歌の引用の意味は、要約すると、次のように圖式化できるであろう。 ------------------------------------------------------------------------- 萬葉歌の引用 ; 再評價      ; (再創作された)結晶體 ⇩ ⇩ ⇩     幸   → 不幸 → 新しい幸   (陸奥の黄金と      (冤罪事件の發生・ (捨石明神の誕生と   廬舎那仏の派手やかさ) 敵の関係と洞窟開鑿修行)      日高見神社の再建) ⇡   (禪海法師の說話) -------------------------------------------------------------------------
  • 4.

    太宰治の「女生徒」考

    kim nakyung | 2009, (41) | pp.81~96 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本論は、太宰の純粋な創作によって、書かれたと知られている作品を有明の日記公開を通じ、新しく見直した論説であった。照合したところ、太宰はほぼ有明の日記を材料にし、書き写していたが、6つのエピソードを書き加え、作品を完成していた。特に、《ロココ料理》が自慢の料理であり、《幸福は一生、来ないのだ》と思いつつ、何かを待っていた女学生を書いていた。また、有明の社会意識は避けて、何か不安でたまらない彼女を描いていた。これを戦争と一緒に考えてみた。全てが従属されていた中で、いくら画一化させられても、精神まではなんとかできないという気持ちで《ロココ料理》を書き加えたのではないだろうか。味はどうであれ、中身はどうであれ、見た目だけ綺麗であれば、それで終りの料理。さらに、シンデレラは王子様に会えるのが普通である。しかし、シンデレラの中身いわゆる王子様はいなく、会うことができずに終わっていた。だから、《幸福は一生、来ないのだ》と思っただろう。ところが、王子様に会えなかった〈私〉は「待つ」の作品でも《ぱつと明るい》何かを待っていた。《明るい》とは何だろうか。勿論、《幸福》であっただろう。幸福に恵まれている〈私〉を《いつか見掛ける〉と締めくくっているのは《幸福》が目の前であるという希望のメッセージ─であろう。《幸福》は単なる《幸福》ではなく、《自然になりたい、素直になりたい》《正しい希望、正しい野心》を望んでいた太宰の文学への姿勢であり、希望であっただろう。
  • 5.

    <부름> 받은 여자들 - 최정희의 「幻の兵士」와 사타 이네코의 「気づかざりき」의 ‘응답’ 

    명혜영 | 2009, (41) | pp.97~118 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    文学者たちが自由にものを書けない1940年代に発表された、チェ・ゾンヒの「幻の兵士」と佐多稲子の「気づかざりき」には、国家より呼びかけられた女性たちの’応答’が描かれている。「幻の兵士」の英順は日本兵の山本に恋をし、「気づかざりき」の昭子は見合い相手の現役兵に恋をする。こうして作品の根底には、ロマンチック・ラブが複線として敷かれている。女性たちの恋の相手である二人の兵士はすでに、’国家’のために命を捧げる覚悟の人たちである。そのため、彼らは恋人より国家が最優先で、恋愛は二の次なのである。しかし二人の女性は、真のロマンチック・ラブを実行しているため、彼らが生きて帰ってくることを望む。このような仕組みを細かく読み取っていかないと、表面上の内容だけでは、あたかも戦争に協力している作品として読んでしまいがちである。1940年代に発表されたチョ・ゾンヒの「幻の兵士」と佐多稲子の「気づかざりき」からは、当時の文学者たちが避けて通れない苦渋に満ちた’ある選択’を読み取ることができる。
  • 6.

    일본문단에서 그려진 로컬칼라 조선 - 장혁주 「쫓겨 가는 사람들(追はれる人々)」과 김사량 「토성랑(土城廊)」을 중심으로-

    Heeyoung Sa | Kim,Soon-Jeon | 2009, (41) | pp.119~138 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    日本帝国の植民地下で韓国の作家たちは日本語と韓国語で創作活動を行った。即ち言語の二重空間であったと言えよう。韓国の作家の中で日本文壇に輝くデビューして活動を始めたと言えるのが張赫宙と金史良であろう。二人とも日本語で創作活動をしたが、現在韓国の韓国文学の研究者らにより張赫宙は`親日作家'として、金史良は`民族作家'として評価されて、それが堅くなって固着化・概念化しつつあるのも事実であろう。しかし、創作言語として日本語を使った動機が、二人の掲載されたいろいろの雑誌の作品を詳しく分析してみた結果、張赫宙と金史良は二人とも世界に朝鮮の文化と芸術を広く知らせ、植民地朝鮮の桎梏的な状況を告発しようとした共通点があったのを認めよう。 本稿では張赫宙の故郷の慶尙道を背景にした「追はれる人々」と金史良の故郷の平壤を背景にした「土城廊」を中心に、なぜ作品創作において使用言語を日本語にしたかを把握し、当時日本文壇から`ローカル・カラー'(local color)だと呼ばれていた朝鮮色をどのように作品に取り入れたのかを分析してみた。 その結果、二人とも`ローカル・カラー'として`朝鮮のもの'をモーティフにして、朝鮮の意識と文化を叙事したばかりでなく、植民地下で日本の資本主義の浸透と搾取により自作農から小作農に転落し、結局故郷を離れ離れしなければならなかった朝鮮農民の悲惨な暮らしを形象化して世界に植民地朝鮮の桎梏を告発したのである。日本文壇で日本語で書きつづけることによって、近代文学において韓国と日本の架け橋の役割を果たし、韓国の近代文学の外延を拡張させたことにその意義があると言えよう。
  • 7.

    시바료타로(司馬遼太郞)의 독창적 역사기술방법 - 『언덕위의 구름(坂の上の雲)』의 작자등장기법 -

    Lee, Bok-Lim | 2009, (41) | pp.139~160 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    司馬遼太郞は初期の時代小説を経て史料を重視する歴史小説を書きながら自分の独特な記述方法によって小説を完成している。特に司馬は『坂の上の雲』のように激動の時代を主に背景にしている。その理由は鳥瞰的な視線で、歴史の緊迫した時代に生きていた人間の能力を見るのが小説の目的だと言ったからである。さらに司馬は実際の人物と事件を根拠にして歴史小説を書いていた。彼は小説を書くために徹底的に資料を集め、歴史的な事実の調査を行った。このなかで感動を受けたものを「余談」や「筆者」などで、自分を作中に登場させながら記述している。また、いろいろな新聞記事や人々の証言などの具体的な証拠に基づき、その時代の様子を生き生きと表現している。その上で作者固有の歴史観が成り立ったろうと思い、本研究では作者登場技法を中心に司馬の歴史観について考察してみた。 すなわち、「余談」の文体は、主人公の能力とともに旧時代の武士らの能力を合わせて日本人の能力を表現している。さらに自分の思考を具体化させるために「筆者」として登場させ、実証的な資料を提示しながら作者の国家観を見せている。その他の文体では作品の本質を述べているし、司馬の思考を補足している。 このような司馬の独特な記述方法によって、彼の思考がそのまま小説に反映され、彼の歴史観になったと考えられる。この歴史観が人々によって、さまざまに議論されてきたのである。 司馬は、作品の冒頭でこのような人間の能力を顕官の中から選ばなかったと言っている。それは、時代のヒーローではなく、彼らの後ろで自分の任務を誠実に行う秋山兄弟のような人々によって、歴史は作られると考えたからである。これを証明するために司馬は每回自分をいろいろな形で登場させ、具体化した事実的な証拠を提示しながら主張していると思われる。
  • 8.

    한일 농촌지역의 사회적 자본검토

    권병욱 | 2009, (41) | pp.161~180 | number of Cited : 9
    Abstract PDF
    本硏究は韓國と日本の農村地域の社会的資本を視野に入れ、その違いや変容を見出すのである。社会的資本とは非常に新しい概念であるが,その存在は古くから我らの社会に埋め込まれ, 人々の様々な行為に影響を及ぼした。伝統的に言えば兩國の社会的資本は農業生産や農村生活に基づいて現された. 特に、これは共同体や村などの閉じこまれた社会に見られいろいろな問題の解決や相互扶助を呼び起こしてきた。もちろん村の自治組織やさまざまな住民組織によって成りうる紐帶を通じて強められる。 産業社会の渡来や進行にともない、最近、小子化や高齢化が進み、農村地域の労働力の構造が変わりつつある。昔の農村地域の姿は消えてしまったげれど、まだ農村地域の特徴は残っている。  韓国の場合,伝統的に親戚関係がまだ強く残ってそれがひとつの社会関係に結ばれ、その血縁に基づきながら社会的行為を行うし、互いの共同協力に役立つ。それ以外には親しい関係に基づく仲間同士の労働力のやり取りも重要な社会的資本の一つである。これは主として女性の畑労働に用いられると知られているが、実は稲植えや虫、草かりなどの作業にも利用される。最近は農機械や農薬の普及あるいは新しい農作の展開によって組織される作目班の登場によって新しい社会的資本が創られている。 
  • 9.

    古地図に顕れる朝鮮初の自国認識 「混一彊理歴代国都之図」を通じて-

    JUNG KWON | 2009, (41) | pp.181~196 | number of Cited : 5
    Abstract PDF
    「混一彊理歴代国都之図」は1402年(朝鮮太宗2年)に制作されたものであり、 かつて中国を世界の中心と捉えその他の国を皆夷狄視していた頃とは異なった目で世界を見ていることが分かる。世界に対する視野が広く西洋までにも開けており、その中で韓半島を位置づけている。ここで注目すべきことは韓半島が他の国と比べ実際より誇張され大きく描かれ、そうすることによって自国がどの国にも勝る大国であることを強調していることである。  また「妙香山」だけを他の山とは違う方法で表記している。他の山は、ただ線をジグザグに走らせているだけだが、「妙香山」だけは山形で記している。それは何を意味するのか。この山は朝鮮の建国神話の舞台として有名なだけではなく朝鮮の祖先である檀君の誕生地であることが分かる。それまであまり重要視されなかった「東明王神話」․「檀君神話」が十二世紀から十三世紀にかけて重視されるようになった背景には、北方民族の興起と伴って崩れていく中国中心世界観に代わる新たな世界観が欲されたからであった。「東明王神話」から始まって、それを引き取るかたちで檀君神話にまで発展させた『三国遺事』、そして民族の系統化に注力した『東明王篇』・『帝王韻記』、これらの三書は北方民族の侵略に悩まされ、国家の自我を追求した十二․十三世紀において、その要求に対処すべきとして誕生した「神話」なのである。  このように十二․十三世紀において民族祖先として成長していった「檀君」の存在は1402年になって「龍谷図」に「妙香山」の特記という形で引き継がれていくことになる。「混一彊理歴代国都之図」は、今までそのヨーロッパの部と日本の部については多くの研究がなされてきたが、その韓半島の部についてはそれ程注目されてこなかった。しかし、以上の考察からこの地図が目指したものが、自国中心の世界観であったことがわかる。
  • 10.

    「조국」문화로서의 「한류」 재일한국․조선인의 「한류」미디어 접촉을 중심으로

    JiYoung Kim | 2009, (41) | pp.197~212 | number of Cited : 10
    Abstract PDF
    本論文は、在日韓国・朝鮮人の「韓流」経験を「祖国」メディアとの接触という側面から分析した研究である。これまで「韓流」は日本の中高年の女性が作り上げた「ブーム」として認識されてきた。だが、在日韓国・朝鮮人の「韓流」経験は「祖国」に対する具体的なイメージをもたない世代が増えるなかで言語の制約なしに「祖国」メディアに接触するきっかけになった。  本論文を通して明らかになった点は次の二つである。第一に、五割以上の回答者が「韓流」をきっかけに韓国で作られたメディアに接触するようになったこと、六割以上の人びとが「韓流」ブーム(2003年)以前に韓国を訪問した経験がなかったことが明らかになった。このような結果は多くの人びとにとって「韓流」というものが、単に「祖国」メディアへの接触きっかけになっただけではなく、「祖国」メディアを通して「祖国」の風景や生活様式を「韓国」そのものとして受け入れる経験となったことを意味している。  第二に、世代が「祖国」メディアへの関心の度合いや接触頻度に及ぼした影響をみてみると、二世が「韓流」ブームの時期(2003年)から「祖国」メディアに強い関心をもち頻繁に接触していたのに対し、四世や父親が日本人、あるいは、日本以外の外国人である人は、調査時点(2008年)の「祖国」メディアへの関心の度合いや接触頻度が「韓流」ブームの時期(2003年)より著しく高くなっていることがわかった。また、民族学校の未経験者がもつ「祖国」メディアへの関心の度合いや接触頻度が「韓流」ブームの時期(2003年)より調査時点(2008年)のほうが高いことがわかった。
  • 11.

    中世に作り出された民族の祖檀君

    박정의 | 2009, (41) | pp.213~224 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    『三国遺事』テキストに沿っていけば、一つの民族の根拠として壇君を民族の祖と語っていない。これは、中世全体の問題として考えなければならない。即ち、『三国史記』と『三国遺事』の「三国」を、そして『三国遺事』の壇君と同時代の『帝王韻紀』の檀君を、つまり中世の書を総合することによって主張されてきたといっても過言でない。それぞれ別個の古代史を互いに補完させることによて、そこに一つの民族の歴史を読んできたといえる。特に檀君に関しては、元々一つの檀君神話というものが存在し、それからいろいろな檀君神話が派生したことを前提とする一元的神話論に基づき、それらを合わせ本来の民族の祖としての檀君像を見出してきた。それは、中世につくられた檀君像である。 この根本は、『三国遺事』三国=『三国史記』三国とする三国、さらに『三国遺事』檀君=『帝王韻紀』檀君とする檀君である。但しこれは、時代的に逆から保障することによって可能である。つまり、『三国遺事』と『帝王韻紀』が、前代『三国史記』の一つの民族を保障するのである。  『帝王韻紀』の檀君は朝鮮半島の開国の祖である。『帝王韻紀』檀君=『三国遺事』檀君から、『三国遺事』の檀君も開国の祖となる。そして、『三国遺事』の「三国」から檀君は三国の祖となり、「三国」は一つの民族となる。ここで、『三国史記』と『三国遺事』の三国はともに朝鮮半島を示すため、『三国史記』の三国も一つの民族と解し、最古の史書『三国史記』からも一つの民族を読み取る。これから『三国史記』以前からも一つの民族であったことになり、中世に一つの民族が作られたことを否定することにもなる。史書が互いにその信憑性を保障し、『帝王韻紀』の檀君は『三国遺事』の檀君となり一つの民族観を成立させ、さらに檀君を語らない『三国史記』においても一つの民族として「三国」が成立するのである。  しかし、問題は、出発点である『帝王韻紀』と『三国遺事』の檀君が別個の神話だということである。『三国遺事』檀君=『帝王韻紀』檀君との出発点から論じた、檀君を民族の祖とする一つの民族は成立しなくなる。即ち、『三国遺事』檀君≠『帝王韻紀』檀君との出発点に立てば、『三国遺事』の檀君は民族の祖として成立しない。当然、檀君は三国の祖とならないので、三国は一つの民族と言えない。そして、『三国史記』から一つの民族は見られない。
  • 12.

    日本における韓国教会の成長要因に関する研究―Y教会分析―

    Jung Geun Ha | 2009, (41) | pp.225~244 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    本稿は、東京の新宿で急速な成長を成し遂げ、注目を浴びている韓国系キリスト教会の成長要因を捉えることを目的としている。東京の一部の地域ではあるが、信者数1000人以上の教会が現れ始めたのはごく最近のことである。 特に今回,調査の対象になったY教会は1988年に創立した教会で、調査時点の2006年には、まだ18年しか持たない教会である。しかし調査時にはすでに、毎週日曜日3000人を越える信者たちが礼拝に参加する大型教会として成長していた。 それは日本のキリスト教の歴史の中でも異例のことであり、今は日本のキリスト教の中でも一番大きい教会と言われている。本稿は、この教会の成長のカギを握ると思われる小グループ活動「筍(スン)」を分析することによって、教会成長の要因を明らかにし、それを通して韓国人留学生やニューカマーたちの実態に迫ろうとするものである。
  • 13.

    일본의 여백문화와 요세이(余情)(1)* ー특히 언어상에 나타나는 여백을 중심으로ー

    Lee, Jin-Ho | 2009, (41) | pp.245~262 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    現代社会は言語万能社会といっても過言ではあるまい。とはいえ、実際の言語行動の場においては、沈黙もまたコミュニケーションの一つとして認識されているのも事実である。つまり、言語上において、表現者の意図による<間>には少なくとも表現者なりの意味合いがあって、その<間>に対する理解は当然ながら享受者側の言語外的な余情に依らざるを得ない面がある。  ところで、我々膠着語的な観点からみると、中国語は本質的に<間>を孕んでおり、日本語もまた同質の韓国語に比してその使用範疇が広いといってよかろう。実際の談話の場においての時間的なものを除外したら、日本語にみる言語上の<間>は、語法上における自然的(本質的)なもの、情緒的(感覚的)なもの、人為的(意図的)なものなど、この三つに分けて考えることが出来よう。とりわけ、人為的なものはもとより、一部の情緒的なものにおいてさえも、日本語にみる<間>の理解は、体質的に享受者側の広義的な面においての余情に頼る傾向にあると考えられる。  こうした日本語における<間>の感覚は、従来指摘されてきた如く、それが水平構造論によるものかも、あるいは言語上における縮小志向の一断面を示すものかも知れない。しかし、言語上にみる日本の<間>の文化が本格的にあらわれるのは平安時代の国風文化以降であることに注目すべく、これを演繹的に考えてみると、おそらく『古今集』の作風が示すように、仮名文字の成立とともに、漢詩における観念的な表現が無意識中にでも移植される過程においての一現象ではなかろうか。いずれにせよ、こういった日本の<間>の文化は、欧米文化の輸入以来その範囲を狭めながらも未だに顕著で、他の分野とも合わせて考えてみる必要があろう。