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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

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2010, Vol., No.44

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  • 3.

  • 4.

    秋田大学における国際交流の現状と課題

    高村龍平 | 2010, (44) | pp.55~65 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    今日の日本の国立大学では、「国際化」がしきりに強調される。これは大学改革に伴い対外的に大学の特徴をアピールすることが求められているところから來ている。秋田大学でも国際交流センターを設置し、カリキュラム上の留学生の選択肢を増やすなどの施策を行っている。また、職員․学生․市民などの自主的な活動による留学生との交流も増えてきている。しかし、留学生の受け入れの面では、留学生センターの人員不足、留学生を受け入れる寄宿舎の不足といった問題がある。また派遣の面では、在学生が交換留学しやすいようなカリキュラム、派遣先での学習内容と派遣目的との整合性といった点で解決するべき課題がある。また大学間交流協定が結ばれていても、実質的には特定の部局間交流になってしまっているという実態がある。いま直面している課題のひとつは、大学構成員の国際化に対する意識を高めることで、大学間交流を実質化していくことにあるだろう。この点で韓国と日本の大学は同じような課題を抱えていると言えるのではないだろうか。
  • 5.

    非意図性を表す副詞の一考察 -「ふと」と「思わず」をめぐって-

    김승우 | 2010, (44) | pp.67~86 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は、「主体の意図に関わる副詞」として位置づけられている「ふと」と「思わず」を対象とし、意味・統語的観点から分析を試みたものである。従来の研究では、両者を類義語として扱いながら、意味面においての共通側面については主張されていなかった。また、いずれの研究も意味の側面に重点が置かれていて、構文環境や用法の制約などが明確に把握されていなかった。 そこで、本稿では、この2語の統語的現象を明らかにするために、単文と複文にわけて現象の分析を試みた。基本的に両者は単文では同列レベルの副詞であるため、<非意図性>と<瞬間性>の意味素性が共通に関与していた。しかし、複文では、本稿で主張した「ふと」の2つの側面のうち、⒜の偶発的なものは「ふと」のみの側面として「と」の条件節と「とき」の節に現れ「発見的事態を導く」という役割をし、それが「ふと」の本質的な用法であることが確認できた。また、⒝の条件・反射的なものは「ふと」と「思わず」の共通側面として、事態を引き起こす根拠が明確に明示される場合や因果関係を表す「て」と「に」の複文に現われる場合は、「ふと」と「思わず」が置き換えられると主張した。 次に、動作主の意志性の有無による現象を検討した。その結果、「思わず」の場合は、動作主が有情物(人間)のみであるが、「ふと」の場合は、「有情物」「非情物」の両者が動作主として用いられ、「ふと」が限定する動作主が非情物の場合、発見の構造に縛られ、文の主語にくる主体が「ふと」の限定する事態の認識主体として作用することが分かった。 最後に、動詞との相関関係について検討した。その結果、「ふと」と「思わず」は<非意図性>がその語彙的意味に内在しているにも関わらず、意志動詞とも無意志動詞とも共起するという特徴が見られ、両者共に意志動詞と共起する場合、その動詞の持つ意志性にも関わらず、副詞の語彙的な意味に左右されて無意志化されていることが明らかになった。
  • 6.

  • 7.

    일제강점기 조선에서의 한자문제에 대하여

    박화리 | 2010, (44) | pp.111~129 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本稿は、1937年の日中戦争以後朝鮮における日本語教育の実態を明らかにする一環として、国語学者として知られる保科孝一や朝鮮総督府学務局官僚であった森田梧郎などの<漢字問題>についての談論を中心に検討し、それのもつ歴史的な意味を探ってみたものである。とりわけ、標準化された「国語」が存在しないまま、朝鮮などの地で日本語が「国語」として教育された際に起こった問題について、日本語を母国語としない外地·外国を含めた「国語·国字問題」という側面から捉えてみた。 具体的には、国字改革論者らが日本語の海外進出をきっかけにして<漢字問題>の改善を求めた声を確認し分析したわけであるが、本稿を通じて、当時朝鮮の<漢字問題>は朝鮮人学習者の苦痛は言うまでもなく、国字改革論者らにとっても長い間解決できないまま残されていた問題の一つとして、「国語教育」においての大きな負担であったことを改めて明らかにした。 なお、本稿では、逆説的であるが、朝鮮における<漢字問題>をめぐる議論についての検討を通じて、国語改良運動の方向性に対する指標を示したつもりである。このような論点は、当時朝鮮と日本で殆んど同時多発的に提起された「漢字制限」の問題を、同じ観点から捉えてきた従来の研究に対する問題提起を意味するものでもある。言ってみれば、「国語·国字問題」に対する新しい観点からのアプローチが必要ではないかという提言につながるのである。
  • 8.

    近代の文末表現について―啓蒙書を中心に―

    박효경 | 2010, (44) | pp.131~151 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    明治初期の啓蒙書で、口語を用いたものでもっとも知られている加藤弘之の『真政大意』(明治3年)、西周の『百一新論』(明治7年)清水卯三郎の『ものわり の はしご』(明治7年)の文末表現を全体的に調べ、分析してみた。『真政大意』と『百一新論』は全体の文の中で「でござる体」がしめるのが75%、76%で、各段落の始まりか終わりに「でござる体」を用いるという傾向が見えたが、『ものわり の はしご』の「である体」は全体の26%で、各段落の中で比較的自由に用いられていた。「でござる体」と「である体」は接続と活用にも大きな差があった。「でござる体」は体言だけではなく用言にも接続し、上接する用言も動詞▪形容詞の活用など、現在の指定表現とは異なり、体言に接続し一つの文を成立させる役割だけではなく、何らかの意味▪ニュアンスを添える終助詞的な用法でも使われていたと考えられる。『ものわり の はしご』の「である体」は体言に接続する用例しか現れなかった。また活用においても「でござる体」は断定▪推量などさまざまな形が現れたが、「である体」は断定でしか用いられなかった。しかし、「でござる体」の場合は、「~ではなかった」「~だっただろう」「~ではなかっただろう」のように過去▪否定▪推量を表す表現まで発達することなく消滅したのである。 「でござる体」が消滅した原因として、使い手がなくなったという外的な要因のほかに、文の中でも役割や用い方に上記の特徴が働いたと断定することは難しい。しかし、テキストの文末を全体的調べ、同じ時期の「である体」と比べることで、ほかの指定表現との違いは明らかにすることはできたと思われる。
  • 9.

    20世紀初期韓国人日本留学生の出版物に出現する日本漢字語の諸相ー『太極学報』を中心にー

    백남덕 | 2010, (44) | pp.153~167 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は20世紀初め在日本韓国人私費留学生によって東京で出版された『太極学報』(1906.8ー1908.11)に出現している日本漢字語の諸相を検討したものである。その結果、以下のことが明らかになった。 まず、『太極学報』の調査範囲である「講壇・学園」を詳しく調査した結果、それらの中には訳文や訳文である可能性が高いものが少なからず存在していることが明らかになった。 次に、『太極学報』に出現している日本漢字語15語について実際の用例を挙げることによってどのように取り入れられていったかその一端を明らかにした。これらは翻訳文とされる部分から受け入れられたものとして貴重な手がかりとなるものであると共に韓国開化期漢字語の成立に関する重要な情報源になると思われる。 最後に、『太極学報』の調査で明らかにされた日本漢字語(1,636語)を、『標準国語大辞典』(2002)に基づき、一般用語と専門用語に大別した場合、前者は一般用語914語(約56%)であり、後者は専門用語722語(約44%)であることが明らかになった。さらに、専門用語を個別的に分類した場合は「行政、法律、物理、医学、数学、哲学、地理、化学」等の順に多いことが確かめられた。
  • 10.

    일본어 한어동사의 용법 및 사용실태에 대하여

    Shin, Suk Ki | 2010, (44) | pp.169~184 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    韓国人日本語学習者の誤用例のなかで一番頻繁に現われるのがいわゆる漢語動詞の使用である。韓国人学習者は他動詞の能動▪受動形態の「하다:する」「되다 : される」の対応をそのまま自動詞にまで適応し誤用を起こすのである。つまり、日本語の「する」形態を韓国語の「되다」形に該当する「される」で表現するのである。本稿は日本語においては「する」形ですべて表現されるなぜ韓国語では「하다」と「되다」をまぜて使うのかにフォーカスを当てその原因についての考察が目的である。韓国語と日本語の漢語自動詞にも<非能格自動詞>と<非対格自動詞>があるが、意味的に受動形動詞に近い<非対格自動詞>を韓国語では受動の意味的特徴(「-意図性」「+被動性」)を動詞の形態で表現している特徴がわかる。韓国語では<非能格自動詞>と<非対格自動詞>がひとつの連続性を見せておりその連続性を動詞の形態で表しているのである。またこのような対応の様相は通時的に変化するものであり、これらの変化を、日本語の<非対格自動詞>も「される」の形態で表現される例から察せられるのである。日本語も韓国語と同じく<非対格自動詞>の意味的特徴を動詞の形態で表そうとする傾向を確認できたと思う。
  • 11.

    일본어역 성서에서 본 일본어의 특징(2) - 성서개역에 따른 일본어의 변천을 중심으로 -

    An, Jeong-Whan | 2010, (44) | pp.185~206 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    日本語聖書はヘブライ語(旧約聖書)やギリシャ語(新訳聖書)を原典とする訳書である。最初聖書が日本語に完訳されたのは1880年に刊行された明治訳である。その後、日本語聖書は何回かの改訂過程を踏むようになる。そのうち、代表的なものは大正訳(1917)と口語訳(1954)、そして新共同訳(1987)である。これらはすべて個人訳でなく、翻訳委員会による公人訳だという共通点を持っている。本稿はこれら公人訳の聖書を対象にして、聖書の改訂過程から見られる日本語の変遷の中で日本語の特徴を抜き出すことに目的があった。 聖書の日本語は訳語として日本語では一つの位相語に当たる。そのような限界にも関わらず、日本語聖書の通時的な考察は訳語の変化のようなことから日本語において意外な特徴を分からせるかも知れない。この研究で明確にしたい日本語の特徴は次の二つである。一つは何回かの改訂にも関わらず、全然変っていないものは何であろうか。そしてもう一つは改訂過程で変りつつある語彙や表現の中で日本の言語文化の特徴を示すものと思われることには何があるかということである。 研究結果をまとめると、次のようである。重なる改訂にも変らないでいるものは修飾語が被修飾語に先行するという日本語のシンタックス構造であった。もちろんこれはSOV構造としての日本語の特徴であるが、本稿では後置詞構造までも前の自立語が後に付いている付属語を修飾すると見做したので、修飾語が被修飾語に先行するというシンタックス構造は今までの認識を上回る日本語の特徴になると思う。もう一つの改訂にも変らない日本語の特徴は韓国語との対象から見つかった。それは日本語の表現構造の中心は主題と陳述からの題述構造であって、主語と述語による主述構造である韓国語とは違うということだ。これは助詞「は」と「が」に関係あることで、1910年代の二国の訳本対照から得られた。つまり、日本語の「は」が出現するところに韓国語では日本語の「が」に当たる'가'が位置することが非常に多かったのである。その後の訳本では少しずつ韓国語の助詞に変化が見えたが、依然として日本語の「は」のある位置で韓国語の聖書では‘가’を見つけることが多い。 次は聖書の改訂と共に変るものである。逐字訳を基本とする聖書翻訳ではその翻訳原則を変えない限り、改訂をしても大きな変化は起らないものである。しかし、日本では文語訳から口語訳への改訂もあったし、訳本同士の時間の差もあるので、語彙や表現方式はある程度変るようになっている。本稿ではその変化の中で日本の言語文化と関連づけられるのを調査してみた。その一つが語彙においての変化である。代表的なものとして、前の訳本では同じ訳語だったのが改訂過程で幾つかの違った形態に分けられることである。たとえば、口語訳で「父よ」に訳された英語の'father'がその後の新共同訳では「父よ」と「お父さん」に分けられていたが、そのような分離の背後に日本の言語文化と一致するかどうかというのが影響することがわかった。そして人称代名詞も聖書の改訂と共に人称別に大きく分化していくことが確認できた。これも聖書の翻訳に日本の言語文化が反映された証拠になる。最後に、表現方式における変化で、本稿では待遇表現を調べてみた。その結果、文語訳では敬語表現が「給ふ」一つで単純だったが、口語訳からは複数の形に分化していくのを見ることができた。その他に、敬語使用の重要な基準と知られていたウチとソトとの区分というのも敬語選択において絶対的な前提にはならないことも確認できた。
  • 12.

    万葉集의 與・及 표기자 수용과정 연구 -韓・日・中 비교에 의한 새로운 연구 방법론 모색을 위하여-

    Ahn, Hee-Jung | 2010, (44) | pp.207~231 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    本稿は、万葉集の中で和歌以外すなわち、題詞・左注などの漢文体を対象にし、万葉集に見える「與」と「及」の表記字の用法を通じて、その受容過程と訓読法について考察したものである。結果をまとめると、次のようである。 「与」は、総28回用いられているが、介詞と見られるのが4回あった。注釋書によって訓読が異なり、介詞とも連詞とも見られる卷1-84、卷2-140の場合は、文脈だけではなく文法構造面からの分析によって、「副詞類型」に属する介詞であるので、大系本の訓読の方が望ましいと言えよう。連詞と見られるのは6回あったが、卷4-680の場合、小学館本によると、頭註では連詞で、訓読では介詞の扱いをする矛盾した説明がなされている。更に「ト格」をとっている「与」すなわち、「A+与+B+別」の「与」に対し、「ヲ格」をとる動詞「別」と関連づけ、これは違例であり、和習漢文の影響であるので「日本語的な用法」であると説明している。これに対し、古代中国資料の検討を通じて「A+与+B+別」と「A+別+B」の類型は、ともに正統漢文体であって、その類型の差は「別」の自動詞と他動詞の使い分けから起因したものであることを明らかにし、諸注釈書の分析の誤謬を指摘した。したがって、卷4-680の「与」は連詞の用法として正しいと考えられる。動詞として使われたのは総12回あるが、「送與」と「贈與」のような複合動詞「おくりあたふ」に用いられたのが3回、単独動詞「あたふ」に用いられたのが9回見えた。「与」は「上位者が下位者にあたふ」という意味で使われ、日本語では敬語性をもつものの、中国資料での該当字の例を検討し、本来の「与」は敬語性とあまり関係のない字であることを明確にし、これにより日本語の中での「与」の敬語性は日本語受容過程から生まれた日本語的な意味追加であるという見解を提示した。韓国金石文の資料では、判読が困難である1例を除いて、介詞で3回、連詞で4回、動詞「分与」が1回見られ、その他に音借字で6回(地名表記1回、終助詞表記1回、動詞表記1回、人名表記3回)が見られ、万葉集と比べると多様に用いられていた。「及」の場合、介詞はただ1例に過ぎないが、その理由について古代中国資料に基づいて漢時代以前の表記方式を踏襲したものではないかという意見を述べた。連詞は総10回が見られたが、介詞:連詞の比率が1:10で、「及」は主に連詞用法を担當しており、使い分けが曖昧な例はなかった。10例は基本類型である「A+及(and)+B」に2回、「及」の独特な用法である「多様な文章成分」に3回、「未尽」用法に3回、「多項」用法に2回が用いられ、「及」の本来の用法に適合した使い方を見せていた。動詞は総7回が見られ、「およぶ」の訓読に4回、「しく」の訓読に2回、「いたる」の訓読に1回が用いられたが、この内「いたる」と訓読している巻19-4168の訓読について古代中国資料と万葉集全体で「いたる」を検討し、「およぶ」と再読すべきであるという見解を提示した。韓国金石文の資料での「及」は、連詞用法として、基本類型に2回、多項に2回、未尽に1回、そして動詞に3回が見られた。万葉集と同様に「及」の元来の用法に充実した使い方ではあるものの、官等名に12回、官職名に1回、人名に2回の例が見られ、万葉集に比べて様々な用法が行われていた。
  • 13.

    山田孝雄に関する一考察

    형진의 | Han,Yu Seon | 2010, (44) | pp.233~248 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    山田孝雄は日本の三大文法の一つである山田文法で知られている研究者である。そこで山田=文法として受け止められているが、山田の研究活動全体を見渡すと、文法研究はその一部にすぎず、ほとんどが国家主義思想に基づいた思想書や日本の歴史、古典の研究などである。そして文法研究も「日本人論」の研究として行った。一般的に文法は言語体系の記述として理解されているが、山田文法でみられるように、文法は思想や言語観、国家観などによって大いに影響されるものである。 山田は1902年著した『日本文法論上巻』を筆頭に文法研究に励んだが、文法研究の本来の目的は「日本人論」であり、「日本文化論」であった。つまり文法研究を通して、あるべき「日本人」の姿を描こうとしたのである。そしてその「日本人像」は彼の膨大な著作が物語っているように天皇制ナショナリズムに基づいた「日本人像」であった。その流れにおいて山田文法は、日本人の心理作用、直感、感性をキー概念として展開していく。そして山田の「日本語」に関する言語観は、言語=日本人の思想であり、それは「万世一系の天皇」を中心とする思想を基にするものであるため、「永遠に変わらない」ものであった。したがって、近代日本の「国語」においても一切の「改良」を認めず、口語を中心とする規範に激しく反対した。これは近代日本の「国語」政策とは対立するもので、山田をはじめとするいわゆる「保守派」の反対によって、敗戦をむかえ、アメリカ主導の教育使節団による「現代かなづかい」と「当用漢字表」が出されるまで、「国語」政策はギクシャクした。
  • 14.

    韓国の総合日本語教材 における 「前置き表現」の研究

    고혜선 | 2010, (44) | pp.249~273 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本論では、韓国で編集・出版された総合日本語教材の中で、初版年度2000年1月から2008年12月までの「中等教育用日本語教材」(19冊)と「一般成人用日本語教材」(45冊)を対象として取り上げ、それらに記載されている「前置き表現」について分析を行った。また、各教材に掲載されている「前置き表現」の使用実態とその問題点を明らかにし、教材への提案を行った。教材の問題点は次の4点である。①表現行為における「場」および「人間関係」の不明。②日本語母語話者の意識と一致していない「前置き表現」機能の使用。③あまり適切ではない場面の設定。④対象教材に記載されている「前置き表現」は全般的に後期部分。そこで、筆者はこれら教材について、日本語母語話者の言語習慣に考慮した適切な「前置き表現」習得のための教材改善案として、次の4点を提示した。①場面(「場」+「人間関係」)への提案⇒教材に登場する登場人物の紹介と同時に、人間関係を明確に設定する。②「前置き表現」機能の教材への提示③談話レベルによる会話の用例への提案④提出順序への提案⇒初級前期から「前置き表現」を用いて、「前置き表現」機能について明示する。
  • 15.

    江戸時代の文学と貧乏神

    KOH YOUNG RAN | 2010, (44) | pp.275~290 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本論は日本に広く流布されている福神と、対する貧乏神に注目した。七福神信仰が隆盛したのは江戸時代だと言われるが、その江戸時代の文学を通して貧乏神の実体を垣間見ることができると考え、漢字文化圈の貧乏神と比較しつつ、その変容の跡を辿ることにした。 まず、貧乏神は江戸時代の笑話集や浮世草子によく描かれていたが、その多くが「擬人化され」て、「滑稽の対象」となることが多かった。「擬人化され」た貧乏神は中国や韓半島の文献の中で、詩人の「怨恨の対象」として類型化されよく登場するのであるが、この貧乏神はすべて「窮鬼」と表現されていた。これらは江戸時代の文学に「擬人化された貧乏神」の原型として影響を与えたと思われる。 江戸時代の文学の貧乏神は「人間と疎通する」場合もあり、身近な存在としても認識されていた。しかし、その多くは「貧困をもたらす存在」としても同時に描かれ、それは「神としての能力」を前提にされたものであった。さらに、貧乏神は時には「富をももたらす」ことのできる存在であり、場合によっては善悪の価値観をも有するのであった。 以上の考察により、貧乏神は「擬人化された」領域と「神」の領域、つまり「笑い」と「怪」の領域を行き来しつつ描かれたと思われる。これを可能にしたのは、近世の出版文化であろう。具体的には、貧乏神の擬人化された容姿、つまり乞食僧のような容姿は、笑話として扱いやすいという点が挙げられる。次に、庶民の経済状況を反映する浮世草子など散文ジャンルによる貧乏神の「擬人化」の具現化が可能になったという点が挙げられる。最後に、江戸時代の奇談・怪談の流行による貧乏神の「怪」の具現化の可能性が挙げられる。 江戸時代文学の貧乏神の多様性は、江戸人の「富」への絶え間ない欲望を窺わせるものと理解できた。
  • 16.

    雨夜の逢引 ―平安朝の恋愛文化という側面から―

    도기홍 | 2010, (44) | pp.291~306 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     本稿では、平安時代の生活文化のりかいのため、「雨夜の逢引」を取り上げた。折口信夫の「雨夜の禁忌」という説に影響を受けた「雨夜の逢引の禁忌」とする説を立てるために、平安朝の仮名散文作品から用例を求めることは無理であること述べた。その理由としては、平安朝の仮名散文作品に登場する主人公やその享受層は貴族社会に生きる人たちで、折口信夫が「雨夜の禁忌」で言っている農耕社会とは縁の遠い存在であることを挙げた。 平安朝の仮名散文作品においては「雨夜の逢引」の用例が容易に見出せ、雨夜の男の訪れを男の愛情の深さとして捉える傾向が見られる。平安朝の女性は、男の来訪を待つことしかできないので、ひどい雨にも負けずに訪れてくれた男に深い愛情を感じていたかもしれない。特に、『落窪物語』において雨の中で3日も通い続けた道頼は時代を隔てて『枕草子』に高く評価されていた。しかし、むやみに感心するのではなく、夜がれをしていた男が雨の時訪れてくるのは普通の女にとって感心することかも知れないが、普段からまじめに通っていた男の雨夜の来訪に価値があるという清少納言の醒めた評語は注目に値する。 『蜻蛉日記』の作者である道綱の母の場合、夫の兼家に執着していた時は雨夜の不来訪を恨んでいたのであるが、夫への執着から目が醒めた時はひどい雨で訪れないのも無理ではないという見方をも示していた。 なお、『源氏物語』は他の作品とは違って、雨夜の来訪は叙述してあっても、それに対する男女の思いが示されている用例は見当たらなかった。代りに、「葎の門」や「山深く」「山路」といった特殊なところを「分け入」る行為をもって厚志を主張するという形に変奏していたのである。
  • 17.

  • 18.

    石川啄木の短歌における家族 ー妻節子を中心にー

    Yun, Jae-Seug | 2010, (44) | pp.323~336 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    啄木や啄木の作品を論じた先行論を見ると、啄木の家族は啄木や啄木の文学を支える存在として働いている。啄木の立場を陽のイメージにする役割のようである。 しかし、啄木や彼の作品を見ると、啄木の家族は啄木や啄木の文学のために犠牲を強いられる存在であったのかも知れない。とりわけ、妻節子はそうであったといえよう。こういった家族の支えに対する認識は啄木や啄木の作品にあまり入っていないように思われる。本稿では、犠牲を強いられる存在としての家族、特に妻節子の視線で啄木の短歌を読み直してみた。 妻節子は啄木や啄木の文学成立において多大な役割をはたした存在であったことは間違いない。節子は北海道漂泊の悲しみや貧困の東京暮らしの痛みをもっとも諸に受けた存在であった。しかし、節子は啄木の恋の短歌の主人公ではなくその恋を回想させる脇役にしか過ぎなかったのである。啄木は「痛み」のある現在の苦痛から逃れるための過去連想の対象として節子との恋を回想しているだけである。啄木の短歌における妻節子はこういった姿としてしか歌われていない。 啄木の名を日本近代文学史に高く位置づけた歌集『一握の砂』『悲しき玩具』を見ると、妻節子を詠んだと思われる歌は数少ない。勿論、詠んだ歌の数だけで、啄木の短歌における節子の意味を論じることも無理であろう。しかし、啄木は北海道漂泊の時、小学校の代用教員をしていたが、その時の教師橘智恵子を詠んだ歌の方が多いのはアイロニーであろうか。しかも、その内容は恋情の念を表している。啄木の短歌にはこういった陥穽があるからこそ、妻節子の視線で詠み直す必要が生じるのである。 
  • 19.

    미야자와 겐지(宮沢賢治) 동화에 나타난 <형(兄)>의 이미지 일고찰

    임유희 | 2010, (44) | pp.337~355 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    日本近代を代表する作家である宮沢賢治は、詩を含め、童話、短歌等、多様な文學ジャンルで活動した。個性の強い語彙を使ったり、風、雲、木、鉱物等の自然や、宇宙等の素材を繰り返し使用したりして独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残した。彼の作品に大きな影響を与えた人物といえば、本人自身の家族として、相互間で宗教の葛藤があった父親や、誰よりも親密性を感じていた妹(トシ)であろう。作品中に家族に関する内容や人物がよく描がかれている理由もこの点にあると思う。今回の研究により、宮沢賢治の童話に表れた家族、その中でも母親、父親の次に割合が高く登場する<兄>のイメージに関して分析し、実の兄がいない賢治にとって<兄>の表象を明らかにしてみた。生前、賢治が残した童話作品は『校本宮沢賢治全集』(筑摩書房)に、151篇が載せられている。その中で、重複した作品を除いた137篇の作品の中で<家族>が登場する作品は 約62篇であり、又、62篇の作品の中で<兄>なる人物が描がかれている作品は、約27篇で、本文の<表1>,<表2>のようになる。全般の童話作品の中で約45%の作品に家族が登場し、其の中で<兄>は約43%の作品に登場している。以上のような高い頻度数は関心度と比例することである。作品に表れた兄の主な役割は弟や妹の方を手伝うことや助けるようないわゆる、助力者及び保護者としての役割である。兄の助力者や保護者としての役割、このことは父親の不在性とも関連性が見える。家族構成員の欠如は賢治の童話における一つの特徴であるが、特に兄の助力者や保護者としての役割が強化されている時は父親が登場しない場合が多かった。父親が登場しない場合、役割が強化されている<兄>は、兄が家を守るべきであった古代の母系社会と類似性がある。父親の不在と関連性がある兄の役割は、言い換えれば、心象の母系社会の発露ではないだろうか。童話作品の中で母親の登場が一番数多いことも賢治の心象の母系社会を証明していると思う。いわゆる、実際の父親との葛藤から心象の母系社会が出発したことではないだろうか。又、宮沢賢治において関心度が非常に高い家族、其の中でも<兄>という人物は長男としての賢治、本人の理想的な兄の姿勢であると言えるだろう。又、兄弟という認識においても、基本的には親密感が内包されているが、従兄弟の関係はあまり親しくないパターンも見られる。兄弟のパターンは兄と弟、兄と妹、姉と弟等があるが、兄と弟の形の方が一番多かった。本考察を通して証明された、賢治においての家族に関する高い関心度や親兄弟と従兄弟を区分することは、利他主義であった賢治さえも家族というものは越えられない自己愛的なものであったのか、もしくわ、賢治において家族も他人であったのかという論議を呼びおこすことも事実である。此れゆえに、韓国と日本の家族に関する認識を根本として考察してみることがこれからの課題になろうかと思う。
  • 20.

    『控帳』의 竹島와 安龍福

    권오엽 | 2010, (44) | pp.357~381 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    『控帳』の竹島記録は漁民中心である。朝鮮に漂流した漁民が無事に送還された內容、1692年に竹島にて朝鮮人を見つけ猟を諦めて帰帆した内容、1693年に朝鮮人を拉致して長崎経由で送還した内容、1696年に訪問した安龍福一行を歓待して帰帆させた内容、竹島への渡海を禁制する奉書を米子現地へ渡した内容、送還業務に当った者達を慰撫した内容などである。 朝鮮に漂流した漁民が送還された際には事件の内容と処理結果を記録し、竹島にて朝鮮人に会い、また拉致した時は事件を江戸に報告することに忠実であった。安龍福のことで会議を繰り返し処理方法を論議したが、朝鮮人の違法性や竹島にたいする領有認識は表していない。安龍福の違法性を論じながら領有の正統性を主張するよりも、むしろ彼らを歓待する鳥取藩であった。 竹島領有を深刻に考慮して判断すべき時もあったが、領有の正統性には言及していない。朝鮮人を長崎へ出発させた1693年6月7日に米子の漁民が竹島渡海の由来を幕府に報告したが、それは村川・大屋両家に尋ねた返事であって、自藩の認識に基づいたものではなかった。竹島の領有を問う質問について両家に尋ねて返事するということはそれを領有しているという認識を持っていなったということであり、竹島を漁民の魚采地以上に見ていなかったことを意味する。 拉致した朝鮮人を送還した内容、訪問した安龍福一行を歓待した事実などを伝える『控帳』には竹島領有に對する正統性や領有しようという執念が窺える記録がない。領内の漁民が渡海しているにもかかわらず漁民の渡海を許可したという「渡海免許」やそれを禁じた「渡海禁制書」も紹介していない。拉致が両国の領有問題に発展しても鳥取藩の正統性を表明した記録はなく、鳥取藩が竹島を領有地と認識していなかったことが分かる。 鳥取藩は拉致が朝日両国の問題に発展すると、慣例であった漁撈資金の貸与も商売扱いして許可せず、島で朝鮮人に会った場合の対応法も明らかにしなかった。これは鳥取藩が竹島渡海問題から距離をおき、領有を意識していなかったからこそ取れる対応であった。
  • 21.

  • 22.

    시텐노지왓소와 在日코리안文化의 役割 研究

    유기준 | 2010, (44) | pp.403~423 | number of Cited : 3
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    四天王寺ワッソ祭りは在大阪コリアンの祭りとして始まったが、現在は大阪市民の祭りとしてその性格が変わりつつある。四天王寺ワッソ祭りはこのような市民祭りとして生れ変わるために、ワッソの国際性、市民性、社会性、未来性の4つの方向性を掲げた。また、古代の交流から示唆点を得り、地域交流、国際交流、世代交流、青少年交流を通して、お互いの融合と共生を目指している。こういった目標の円滑な運営のために、四天王寺ワッソアカデミを設置し、ワッソの内容についてあらかじめ習得できる場を作り、日本の地域だけではなく韓国の関連祭りとも交流し、また、お祭りの進行を市民のボランティアを中心にしている。 在日韓国人は、四天王寺ワッソ祭りをもって少数者文化の閉鎖性から脱し、公的の場所で民族文化を公演することで、自らのアイデンティティの確認を試みている。また、日本人も古代衣装を着てパレードに参加することを異国文化に接する機会と思い、大阪は単に民族祭りの舞台であることにとどまらず、この祭りを通して大阪そのものが変容していくと思っている。つまり、大阪の人々は日常生活のなかに異なる文化を持つ人々がいること、そして、それが重要な価値もつことを自然に認識することによって、大阪のイメージを多文化共生の国際的な都市としての質的な変化を齎している。
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    저출산고령사회 위기극복을 위한 사회보장시스템 구축에 관한 연구 -공적아동보험제도 도입방안을 중심으로-

    JUN HOSUNG | 2010, (44) | pp.425~435 | number of Cited : 4
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    本論は、近年国家的次元での大きな課題の一つである少子高齢化問題の根本的な解決策を見いだそうとした。国家次元で現人口を維持するには2.1の合計特殊出生率が必要であるが、韓国ではそれを遥かに下回る1.12(2008年度統計)の水準に留まっている。この数値は経済協力機構(OECD)に加入している国家のうち最下位である。アメイリカ2.12、イギリス1.9、特に燐国の日本1.3よりも低い数値、非常に深刻な状態に陥っている。 児童というのは、将来の経済活動人口になる予備軍であり、一国の将来を担う大切な資源となる。その人口が減っていくというのは、社会の基盤が弱体化され、経済活動人口の社会保障負担が増加し、さらなる少子化を引き起こす、悪循環が繰り返される。このような状況が予想されるなか、韓国政府は、少子高齢化問題の解決のため、税制、年金、補助金 等の政策を取り入れてはいるが、その効果はあまり上がっていない。 そこで、本論は、社会保障制度の三本柱の一つである、社会保険制度の導入を提案したものである。要するに、将来現役世帯(経済活動人口)の確保を共通分母とする児童を支援する、すなわち社会保険制度による保障は、国民を理解させるに充分であると思われる。子どもが多い家庭は、より多い受給が受けられるし、子どもがいない家庭は、将来の老後にその恩恵を受けられ、各々の均衡性は成り立つのである。このような次元から公的社会保険制度としての児童保険(仮称)の導入を研究し、検討するに値すると思われる。
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    通信使의 새로운 시각

    정장식 | 2010, (44) | pp.437~456 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
     朝鮮は、開國初から日本に關心と警戒を緩めなかったが、倭亂の惨憺たる兵禍の後、結局は倂呑を免れなかった。その原因は、日本を正しく評価しなかったことにあると厳しい反省の声がある。朝鮮が日本に派遣した通信使は、日本を偵探する目的で派遣した公式の「諜者」であったが、その觀察には前代からの根深い先入観と恐怖心を持っていた。その先入観は文化的な優越感に變質された。たまには、通信使が日本の進んだ文物や制度を紹介もしたが、朝鮮はこれを受け入れで民生の福利厚生に利用することには躍起にならなかった。1764年の正使趙曮と書記元重擧の日本觀察は、新鮮な視角であった。正使と書記は、使行での多くの問題は朝鮮側にあり、日本人の心は優しく、野蛮ではないと認識した。それで、日本を新しい視角で観察して、使行員は私心を捨て、秩序を守って交流すべきたと提案した。このような視角は、當時の朝鮮社會で起こっていた實事求是の學風で、このような日本見聞は 實學者にも影響を及ぼし、その後の日本硏究に新鮮な刺激と数多い情報を提供した。
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    일본 민주당정부의 영토정책에 관한 연구

    Choi Jang-Keun | 2010, (44) | pp.457~477 | number of Cited : 5
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    従前の自民党政府に代って新しく民主党政府になった。民主党は1998年中道左派の理念をもって創設されたものだが、実際左派から右派まで様々な理念をもっている。民主党政府の実力者としては、総理大臣である鳩山由起夫代表、党幹事長である小沢一郎である。前自民党政府は日米同盟を重視して対アジア外交はそれほど重視しなかった。ところが、新しい民主党政府はアジア共同体の結成を目指しているので日米関係よりも対アジア外交を重視するとした。このような対アジア重視政策は領土政策に与える影響も大きいと思う。領土問題には、中国との間の「尖閣諸島」問題、ロシアとの間の「北方領土」問題、韓国との間の「竹島」問題がある。まず民主党政府は、前自民党政府と同じように領有権について基本的にこれらのすべて地域に対して日本の固有領土であるとしている。第2に、「北方領土」の場合は4島返還を前提にして2島先返還を目標としている。「竹島」の場合は韓国が実効支配して相当の時間が経っていることを認めて、先に歴史的に所属を明確にした上で領有権を主張すべきであるとの認識をもているので、できる限り現状維持の方針を取っている。尖閣諸島の場合は日本が実効的に支配していることから領土問題は存在しないとの方針をもっている。しかし日中両国の間では暗黙的に紛争地域として認めあっているところがあるため両国ともに実効支配の強化を避けようとしている。第3に、民主党政府は対アジア重視政策をとっているため、できる限り解決しにくい領土問題で外交関係を悪くしたくないとしている。