Journal of Japanese Culture 2021 KCI Impact Factor : 0.48

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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

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2010, Vol., No.45

  • 1.

    未完了に関わる時の副詞―「まだ」․「いまだ」․「いまだに」を中心に ―

    김영아 | 2010, (45) | pp.5~24 | number of Cited : 1
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    本稿では、未完了のアスペクトに副詞的呼応をもつものの中で、「まだ」と、その連続として「いまだ」․「いまだに」を併せて考察した。「まだ」․「いまだ」․「いまだに」は、同根の語であり、意味的な近似が窺える。つまり、予想または予期する時期․段階に達しない意を表し、その際、以前からの事態が変わらず引き続いているさまを表せば事態の継続となり、また、打消の語を伴って予想または予期される事態の未実現を表す。しかし、三語を比較してみると、「まだ」․「いまだに」は会話文․口語に近い文中によく使われる口語的であるが、「いまだ」は、文語的で、比較的堅い文章中で用いられ、より文章語的の文体的な特徴を持つ。また、「いまだに」は、現在に継続している事態に対して慨嘆したり、継続していることへの意外さを表すが、継続している事態は、好ましくない場合と好ましい場合とがある。さらに、「いまだに」․「いまだ」と「まだ」を比較して、「いまだに」․「いまだ」は、〈イマ〉の語を含むために、発話時現在を基準時とする時の副詞の用法のみをもつが、「まだ」は、発話時現在から解放されて過去あるいは未来も基準時とし得る。そして、さらに、時の副詞以外の用法も持つ。「いまだ」は、非実現の事態を強く意識した表現をし、「いまだに」は、継続(持続)する現在の状態に焦点がある。最後に、「まだ」は、想定された事態成立や段階を到達点として強く意識して、現状の未到達․未完了を言うのが「まだ」の表現である。
  • 2.

    音韻レベルからみた日韓語の動詞結合― 音韻現象の分析を通して ―

    이충규 | 2010, (45) | pp.25~46 | number of Cited : 7
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    日本語と韓国語には、動詞と動詞の結合である「動詞結合」が豊富に存在するが、これらの例を材料にして対照研究を行う際は、①形態․②音韻․③統語․④意味の4つのレベルで総合的にアプローチする必要があると考えている。 そこで、李(2009b)は、その第一歩として、日韓語の動詞結合を形態レベルで考察し、両言語の動詞結合に関する対照研究においては、「語幹」という概念の導入が必要であるという結論を導き出した。 前稿に引き続き本稿では、日韓語の動詞結合を音韻レベルで考察する。具体的には、動詞と動詞が結合する際に生じる「音韻現象」について整理し、両言語とも「介在要素有りタイプ」と「介在要素無しタイプ」の間には、本稿で音韻場所❸と設定した所、すなわち、V2の頭子音に該当する所で音韻現象が生じ得るかどうかという点において相違が見られることを指摘した。「介在要素有りタイプ」の場合は、音韻場所❸で音韻現象が生じないのに対して、「介在要素無しタイプ」の場合は、音韻場所❸で音韻現象が生じ得るが、この違いを本稿では「介在要素の直後では音韻現象が生じない」という規定で説明し、介在要素が音韻現象を阻止する一種の制約装置として機能すると解釈した。「介在要素の直後では」という表現は、介在要素が明示されているからこそ可能なものであり、介在要素を明示させるためには、V1に「語幹」という概念を厳密に適用する必要があるので、本稿は李(2009b)の主張を音韻レベルで裏付けたものとして位置づけられる。
  • 3.

    『交隣須知』筆寫本과 刊行本의 일본어 어휘 비교― 初刊本에서의 어휘 수용 과정을 중심으로 ―

    Pyon, Moo-Jin | 2010, (45) | pp.47~66 | number of Cited : 3
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    本稿では、『交隣須知』の写本類における日本語が刊本においてどのように採択されたかを比較・分析することにより、本書の成長と背景に関わる一問題を考えてみた。その結果、初刊本において對譯の語彙を採択する際、まず增補本類のそれを参照し、次は標題語と意味的に同じか類義の関係にある日本語を取り入れようとした態度がうかがえる。また、標題語に対する日本式の漢字語や字訓を対訳語として積極的に導入しているのだが、その背景には、既存の増補本類の日本語と比べて、当時のより一般的で標準的な日本語を反映しようとする編集意図があったものと思われる。
  • 4.

    韓国語大邱方言話者の発話にみられる日本語アクセント特徴

    Jung, Soo-Mi | 2010, (45) | pp.67~86 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    本稿では日本語のような弁別のアクセントを持つ韓国語の大邱方言話者の日本語アクセントの生成の実体を調べ、生成における傾向と母語の影響を明らかにした。次に、学習者の日本語アクセント生成は日本語の音節構造にも影響され、特殊拍がある音節では音節内の下降が生じにくく、特殊拍の前か後にアクセント核がずれる傾向が顕著であった。言い換えると、大邱方言話者は音節の単位でアクセントを生成する。また、アクセントがおかれやすい重音節の位置によって、語末に重音節があるとその音節末まで高くなるが、語頭に重音節がある場合は、そこにアクセントはおかれず、重音節に後続する軽音節にアクセントがおかれた。これは、語末にアクセントがおかれやすい母語の影響によるもので、つまり、大邱方言の場合、2音節から4音節までの語は語末から2音節目か語末まで高いアクセント型が優勢であるためであろう。一方、音節内での下降も少し見られたが、それは音節内で下降や上昇の型を持つ母語の影響によるものである。音節内での下降は特に二重母音と長音の場合に多く現れた。特に、二重母音の場合に自立拍と同様の傾向がみられた。このような特殊拍の自立度は日本語のアクセントでも同様の結果が見られ、今後、包括的な研究として発展していきたい。
  • 5.

    源氏物語の六条御息所 ─ 光源氏の「いとほし」「情」の心理を手がかりに ─

    김옥경 | 2010, (45) | pp.87~100 | number of Cited : 0
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    源氏の御息所との関係は、物語の出発からしてすでに他の女性たちとは違う側面をもっていた。というよりも、物語は最初からこの二人の愛情のゆくえといったものが関心事ではなかった。それは御息所の伊勢下向への意志が源氏の待遇に関わると認識していた桐壷院の源氏に対する訓戒からも明らかである。父大臣や皇太子の死によって、御息所はすでに社会的基盤を失ってしまい、いまや御息所をこの世に繋げるものは、源氏との関係のみである。したがって、御息所にとって源氏との関係は、男女の愛情を問題にする以上に、御息所の社会的な位置を決定づけるものとして重要な意味を持っている。御息所がそれを強く意識すればするほど、源氏もそうした御息所が心の負担となっていったのであろう。御息所に対する源氏の「いとほし」は、ただ単に弱者や劣者への同情心からというより、源氏の御息所に対する精神的負担がその心理の根底にあると同時に、御息所の高い身分を意識したことによる。それは言うまでもなく、御息所にとっての社会的基盤の獲得が、どれほど切実で大きい意味を持つものであったのかを言い表している。さらに、源氏は御息所との関係において「情」というものを意識的に喚起し、物語ではそのことを繰り返し描いている。それは、単に源氏の女性関係における理想的なあり方を際立たせるために描いているのではない。それを受け止める御息所に注意すると、御息所は源氏の「情」ある態度の背後に存在する冷たい心を感じ取り、深い挫折感を味わっている。これは一夫多妻の時代に男性の理想的なあり方として認められていた「情」ある姿勢も、女性の立場からすると、ただ単に理想性としては片付けられないものがあることを意味し、物語ではそれを御息所のように自意識の強い女性を通して言い表しているのである。
  • 6.

    일본고전와카 속에 나타난 배의 이미지

    Nam, Yi-sug | 2010, (45) | pp.101~118 | number of Cited : 0
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    韓国のお寺の本殿は亡者が地上から彼岸に往生する際の乗り物である般若竜船をかたどっているということ、そして極樂往生する際の乗り物が船であるという事実を知り、日本の古代和歌における船のイメージと相通じるような点があると考え、この点について考察することにした。そこで、日本の一番古い歌集である万葉集をはじめ、それ以降の八代集、さらに同時代の文献を対象に船の用例を分析し、次のような結果を得た。 ․船は海だけを渡る交通手段ではなく、天空をかける手段でもある。特に天神が国見をしたり、地上に降りる際は天の磐船を使う。さらに、<天鳥船․鴨といふ舟․天鳩船>のように鳥の名と合成された船の名前がついているが、それは鳥が冥土まで自由に速く往來することができるということから名付けられたということが分かった。․<水上に浮ぶ船><繋がぬ舟>などの表現を使い、何にも束縛されない自由を象徴する。․<浮き舟><浮きたる舟>の表現を用いて不安定な人生、はかなさを象徴する場合もある。․航海のような人生という重荷を負った人を指す場合もあり、<法の舟>という表現で見られるように彼岸の極樂浄土へ向かう般若竜船を意味する場合もある。 韓國の古典詩歌や日本の現代詩に現れているイメージとも比較したいが、それについては今後 またの機会を得て試みたい
  • 7.

    「玉鬘」巻と「初音」巻についての一考察

    Kim, Hyunjung | 2010, (45) | pp.119~136 | number of Cited : 0
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    「玉鬘」巻と「初音」巻は『源氏物語』の中でも源氏とその一族の華やかな生活を最もよく見せてくれる巻である。特に六条院での華やかな話が中心をなしており、「玉鬘」巻の末から「初音」巻にかけては、六条院と二条院に住んでいる源氏の女君たちに関連する話が詳しく述べられている。「玉鬘」巻で注目すべきことは、衣配りのことである。衣配りに関する記述は、色鮮やかな王朝衣装を通じてそれを読む人の想像力をかきたて、読む側がそれを着る女君のイメージを具体的なものにするという、非常に巧妙な手法を使っている。作者は女君について直接言葉で述べる方法を使わず、その女君を直接見たことのない紫の上が源氏の選ぶ衣装の色や絵柄などで女君たちの性格や人柄などを投影して想像し、判断したのと同じように読者も女君たちについての想像と判断を衣配りと手紙の返事を通してするようにまかせている。それは直接記述で表現するより、もっと様々な形の想像をかきたてる効果があり、優雅な衣装に投影された女君は大変奥深く感じられる。「初音」巻では源氏が新しく造成した六条院ではじめて迎える正月の話が述べられている。正月を迎えた六条院はこの世の極楽を思わせる華やかさの極致を見せているが、多く指摘されているように、実際にはその華やかさの裏側にある暗い面もいっしょに照らし出しているのである。 特にこの「初音」巻の構造には注目をすべきであろう。実際「初音」巻の構造を見ると、作者は六条院の最も華やかな正月の様相を描くことにおいて、明るい部分を描いたら、その次にその裏側にある暗い面を、またその次は明るい話を重ねていくことを繰り返している。「初音」巻のはじめから明るい話の後は必ずそれに対照される暗い話が伴われた。そして、そのようなことが非常に緻密に何度も繰り返されている構造となっているのである。 作者は光と影が、世の常であることを非常によく知っており、華やかな六条院を描くことにおいて、明るい部分だけの話で終わらずに影を物語の中にうまく構想して取り込ませている。そのため、明るい部分とその影がいっしょになって読者の頭の中で絵が完成され、より奥深く、より緻密な構造の物語にできあがることができたのである。
  • 8.

    『枕草子』〈笑ひ〉にみる憧れのまなざし、そして、その実現

    이태훈 | 2010, (45) | pp.137~148 | number of Cited : 1
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    『枕草子』「宮にはじめてまゐりたるころ(一七七)」の段には、まだ宮中生活に慣れず定子中宮の前で身を臥している作者の姿と、宮中を生活の場として自由に行き来しながら〈笑ひ〉を見せている女官の姿が対照的に描かれている。この段から、作者は初出仕当時の慣れない自身の姿を回想するとき、〈笑ひ〉が存在する宮中のコミュニケーションの輪の外側に自分がいたことをはっきりと覚えていたということが言える。『枕草子』「円融院の御果ての年(一三二)」の段と「職の御曹司におはしますころ、西の廂に(八三)」の段には、それぞれ藤三位、清少納言が笑われ者になって登場しているが、この両章段はいくつかの類似点を有する。そして、藤三位は彼女の出生や経歴から見て、清少納言が理想とする女性像の条件を備えていたことが分かる。初出仕のときから、宮中の一員になることに憧れると同時に、その宮中社会に存在する〈笑ひ〉にも憧れの念を寄せている作者。作者はそのような宮中社会の中の〈笑ひ〉を身近なものにできる日を待ち望んでいた。一三二段では、藤三位が笑われ者として登場している。しかし、作者にとってこのエピソードは、宮中の中心的存在の中宮や天皇の藤三位に対する君寵を確認できるものであった。このような理由により、作者が直接目撃体験した事件でもないのにもかかわらず、この記事が本作品の素材として選定されたと見ることもできる。そして、作者が宮中社会のれっきとした一員になっていた頃、今回は作者自身がこのような〈笑ひ〉による特別扱いを受ける機会に恵まれる。それが八三段の雪山にまつわる記事なのである。作者は、中宮に騙され笑われることを、出仕当初から憧れてきた宮中社会の一員になることの実現であるとして、この八三段の出来事を回想し書き記したという見方も可能である。清少納言は出仕当初、〈笑ひ〉に直接参加できず、ただ眺めていたのだが、宮中に慣れ、女房としての地位が確立するにつれて、積極的に〈笑ひ〉の場に参加、〈笑ひ〉を眺める立場から、〈笑ひ〉を主導していく立場に変わるのである。このような観点から見ると、〈笑ひ〉にまつわる叙述に、主君定子及び定子一家の栄華期と没落期叙述における方法的変化を追究する見方の他に、主君は没落していくが、清少納言自身は、時間が経つにつれ宮中の一員になり女房としての地位も確立していくその軌跡として、数々の〈笑ひ〉の場面を回想し、素直に本作品に書き残したという見方も存在しうる。
  • 9.

    「歯車」小考Ⅱ -색채의 세계-

    노영숙 | 2010, (45) | pp.149~168 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    The Toothed Wheel is a six-chapter novel by Akutagawa Ryūnosuke, a posthumous work published in the October 1927 issue of the literary magazine Bungeishunju. Exposure to the Western art trends in vogue since 1910's was apparently a great stimulus to the writer who were looking for new avenues for writing novels. This is clearly evident in many artistic elements in his works, especially The Toothed Wheel which demonstrates unique use of colors in his narration. The writer's use of colors appears to be motivated by his intention to reveal his own desperate feelings more vividly. It is so effective that the fictional world created by the writer comes alive to the readership. Colors in The Toothed Wheel vary: black, white, red, yellow, green, pink, gray, and dark brown, and this variance is in synchrony with how the main character thinks and feels. The author's use of colors seems analogous to Picasso's technique of decomposing an object into various pieces and coloring them differently. Akutagawa himself once wrote a short essay in which he compared himself to Picasso. He feared that his work might be hard to understand, just like the paintings by Picasso who stubbornly and persistently pioneered a new field of art. Nevertheless, he was unrelenting in his intentions and convictions. Such artistic attitude culminates in the death of the main character who bravely faces extreme pains in his pursuit of art. The readers, in a sense, come to hear ultimate confessions by the author who faces imminent death in real life.
  • 10.

    이혼을 통한 여성의 자립과 글쓰기 ― 미야모토 유리코(宮本百合子)의 「노부코(伸子)」를 중심으로 ―

    박유미 | 2010, (45) | pp.169~186 | number of Cited : 0
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    本稿は、伸子の夫婦関係の実相に照明を当て、結婚という制度の女性抑圧の側面を明らかにした。人間成長の場にしたいと願い結婚に踏み込んだ伸子であったが、実際の結婚生活の中で'私'というものがなくなっていくことに気付き苦しむようになる。そして恋愛結婚に基づいた理想的な近代家庭が相変わらず女性にとっては束縛の対象となったことを明らかにしている。このように女性の自立と生き方について悩んでいた伸子の内面の葛藤に基づいて考察を試みてみると、女性としての自我と実存を自覚した伸子において、離婚は自我回復とアイデンティティの確立のための一つの過程として必要であったことを確認することができる。『伸子』は作者である宮本百合子の結婚と離婚に至る過程が描かれ、女性の人生そのものが見事なテキストになることを見せてくれる作品であると言える。家庭の絆や束縛で苦しんだ伸子は自分の悩みが自分だけの問題ではないと悟り、社会一般の問題に視野を広げるようになる。伸子は真実の愛情の結合としての夫婦関係がどうであるべきか絶えず問いかけ、探求したと言える。そのゆえ伸子の離婚はただの失敗に留まらず、精神的また経済的にも自立して生きていく切っ掛け、自分捜しの模索として意味付けることができる。そして女性として戦った自分の経験に基づいて、主体的な人間として生きていきたいという願いを小説に描くようになる。このように見ていくと女性の告白体小説、自己語りは女性解放のための実践記録であり、自己表現の方法を模索した結果だと言えるだろう。
  • 11.

    1960년대 오시마 나기사(大島渚) 영화 속의 재일조선인 표상

    Hakyoung Shin | 2010, (45) | pp.187~212 | number of Cited : 13
    Abstract PDF
    大島渚の1960年代の映画に表れる<朝鮮>表象は現在にまで続く日本の戦後責任を問う上で非常に重要な観点を与えてくれる。1963年に放映された『忘れられた皇軍』以前には、例えば『太陽の墓場』にみられるように、朝鮮人は下層プロレタリアと連なる存在として思考された。しかしその階層の中で革命の可能性を見いだしたということは1960年代の一般的な左翼の<朝鮮>観とさほどの差異はなく、大島の<朝鮮>表象もその程度にとどまっていたと言える。 しかし1964年大島は韓国を体験することになり、それをきっかけに<朝鮮>に対する認識の変化を表すようになる。言ってみれば、大島は『ユンボギの日記』(1965)から漸新的に、<朝鮮>について<他者>意識から<当事者>意識に進んで行くのである。そして1967年から68年にかけて集中的に『日本春歌考』(1967), 『絞死刑』, 『帰ってきたヨッパライ』(1968)を発表し、その中で「小松川事件」と「金嬉老事件」を扱うことで、大島は朝鮮を日本の鏡として認識し、客観化する視線を獲得していく。そしてその視線は当時の主流的な左翼の<朝鮮>認識とは異なるものであり、1970年代に入って露呈される彼らの教条性や硬直性をすでに見据えていたのである。 また大島渚の映画が現在的だという事は、それが従軍慰安婦の問題や戦後責任の問題を扱っているという歴史的観点が重視されるだけではない。『バッチギ』が『帰ってきたヨッパライ』を参照項にしている点で端的にみられるように、大島の映画はその表現においてもきわめて現在的である。 グローバライゼーションが押し進められるなか、新しい「東アジアの中の日本」が議論されて久しい。しかし歴史的に日本が自らのその位置をどのように捉えてきたのかは細心に検討しなければならない問題であり、その点で1960年代の大島の映画は一つの達成点として評価しなければならない。現在の問題点は直接には大島が到達した認識を評価し、その限界を指摘することで解決の糸口を見いだせるものであろう。
  • 12.

    「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ―

    Shim SooKyung | 2010, (45) | pp.213~230 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    大江健三郎はしばしば作品に父親の実体を追う内容を描く。『父よ、あなたはどこへ行くのか?(以下『父よ』)』、『みずから我が涙をぬぐいたまう日(以下『みずから』)もその系譜に属する作品である。ところで、其々1969年と1971年に発表されたこの二つの作品には主人公の男性によって「父」の「伝記」(『父よ』)と「同時代史」(『みずから』)が書かれているという共通点がある。 さて、この二つの作品の間には1970年11月の三島由起夫の自殺という出来事が存在する。 本論文では、『父よ』において作品の動力になっている「狂気」を「僕」をはじめとする登場人物の狂気の実体などについて分析し、又、1970年に起きた三島由起夫の割腹自殺事件を介している『父よ』と『みずから』における「伝記」と「同時代史」について考察した。 『父よ』においての母親の「狂気」は「僕」の追究する「父」の自己幽閉と死に関わる「本当のこと」を狂人ぶってまで徹底的に隠蔽し真実究明のためのすべての道を遮断しようとする行動そのものであり、「僕」の「狂気」は母親同然、父親の自己幽閉の理由と死に関する「本当のこと」を執拗までに追究する行動なのである。「僕」のこの「狂気」の底には、遺伝の呪縛とそこから自由になりたいという願望が潜んでいるわけである。「父」の「狂気」は「***蹶起」の後「天皇」を殺害するしかないという恐ろしい考え付き、すなわち、<不敬>の可能性と繋がっている。 なお、「僕」が書いている「父」の「伝記」は「僕」をはじめ、祖母や兄たちの記憶によるものであり、なにが「本当のこと」であるかは分からない。しかし、「ものを考えるとは、もの自体によって考えるのではなく、言葉によってものを考えるのだ」と認識している「僕」にとって、其々の証言そのものが「父」の復元の過程なわけである。とはいえ、この方法によっては無数な可能性が現れこそすれ、「本当のこと」の究明までには至らない。言葉だけが一人歩きする可能性がある。言葉によって復元されるが、真実が分からない状況、それはカオスの世界で、神話以前の世界であり、ゼロの領域である。「父」はゼロの領域であることを意味し、起源としての「父」は起源としての「天皇」と重なる。作品の終盤において母親によって「父」の自己幽閉と死に関する真実が明かされ、「僕」は「父」に関わるすべての記録を焼却してしまう場面は、「僕」の「狂気」の消滅と遺伝の呪縛から自由になることを意味する。それによって「父」の「伝記」も「僕」の物語として語り始められるのである。 『みずから』における「同時代史」は肝臓癌に犯されている男が「遺言代執行人」を通して記録している。その内容は「かれ」の「happy days」の記録であるが,「happy days」とは1945年夏のある日、父親と共にした記憶のことである。『父よ』と『みずから』は主人公の男性が共に父の伝記を記録する共通点を持っているが、『父よ』における「伝記」は「僕」が「父」の「狂気」から逃れようとする願望によって記録される。父親の死の真実が明かされた時、父に関する記録を焼却してしまうことからもよく分かる。それに対し『みずから』における「同時代史」はもう一度あの日の経験、すなわち、父親との一体感を夢見る男の物語である。「同時代史」は父との一体感への希求の表現である。また、「同時代史」は主人公一個人の特定の時間と範囲を越え、民族共同体の体験として記録しようとする点において「伝記」とは差が生じる。 最後に、この二つの作品には父親と対立する母親が登場し主人公が執筆する父の伝記を妨害する。大江の作品にはたびたび父と対立する母が描かれており、これに関しても研究していかなければならないが、この問題に関しては今後論議したい。
  • 13.

    시바 료타로(司馬遼太郎)의 메이지(明治)국가론―『언덕위의 구름(坂の上の雲)』의 역사서술방법을 중심으로 ―

    Lee, Bok-Lim | 2010, (45) | pp.231~252 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は、司馬遼太郎の中期作品である『坂の上の雲』の歴史叙述記法を中心に、明治の国家論について考察したものである。司馬の文学作品には、昭和期に関する発言が極めて批判的に叙述されている反面、明治期についてはかなり肯定的である。この作品また明治期を中心にして、それ以前の江戸期と戦国期の連続性と、昭和期の差別性に周知しながら、明治期が国民国家であったことを論じている。すなわち、江戸期に官学として位置していた朱子学の影響で発達した合理主義思想と、戦国期の歴代から受容された進取主義で勇猛な武士思想が、明治期へと受け継がれ、固有な日本的思想として結集して国民国家を形成した点を強調している。しかし、昭和期にはこの思想が自己中心的で非合理的な思想へと変っていき、帝国主義国家に進んだと指摘している。このように、司馬は時代の連続性と差別性を具体的に述べながら、明治期が国民国家となり得た民族性に対して明確な歴史観を示している。さらに、戦争と軍事同盟を他国と比較する文章を通じては、近代初期、日淸ㆍ日露戦争の正當性を主張しながら国民国家観を掲げた自国中心の歴史観を世界史的な視点から批判するなど、比較文明学的な歴史観を見せている。従って、司馬の特徴的な二分法的叙述法によって表われている歴史観は単純化されていないといえる。
  • 14.

    東北亞에 있어서 對馬島 領土 硏究

    김문길 | 2010, (45) | pp.253~268 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    21世紀に入ってきて国際社会で領土領有権をめぐって様々な問題が起っている。このような領土問題は資源問題のみならず国威問題としても台頭するので領土問題は一日はやく処理しなければならない。領土問題は韓日間の問題のみならず韓国と中国問題も絡み合っているため日本と中国間にもだいぶ深刻である。そして日本とロシア問題も解決しなければならない問題もある。 独島問題は私たちが領有権を持っているが日本がしばしばこれを取り上げ論じることによって両国外交関係を悪化させたり国際舞台で韓日両国に領土を囲んだ問題があるということを戦略的に利用する恐れがある。反面昔から私たちの領土の属島である対馬も研究しなければならない必要性があり、朝鮮国に属したという歴史的な事実を知ろうとしてもすることだ。本論文では対馬が私たちの属島であることを古地図と古文書を通じて明らかにするのが主目的だ。対馬は1245年ごろまで土着人は朝鮮の人である。百済の阿直欺の子孫阿比留族で1245年、宗氏の勢力によって比留族が滅亡された。(韓日関係史研究会、独島と対馬 p.183 参照)滅びる前アヒル族は漢字の吏読(イドゥ)音で韓国の文字を使ったし世宗大王(セジョンデワン)がハングルを創り出した後には同姓らが韓国の文字を使ったと考えられる。 一つ問題は檀君の時使った文が後日世宗(セジョン)焚いて訓民正音を作ったという説がある。 檀君の時ハングルがあったとすればかつて対馬にもハングルを使ったと見られる。 しかし残念なことにハングルの創製が何時からかに対して学界の論議が激しい。 対馬は13世紀まで百済系のアヒルジョクが生きた。そして同姓が支配した後、受直統治は属島である。日本は現在独島を自分たちの領土と叫んで竹島の日を制定して領土紛争を起こしているため、私たちもこれに対し早く対馬の日を制定するのは当然のことといえよう。
  • 15.

    재일 코리안 축제와 마당극의 의의― 生野民族文化祭를 중심으로 ―

    Park, Su-Kyung | 2010, (45) | pp.269~288 | number of Cited : 9
    Abstract PDF
    本稿は現在多文化、多民族社会に入った日本社会の中で最も大きな外国人集団である在日コリアンの祭りとマダン劇を分析対象にする。先行研究としては在日コリアンの祭りについて2000年以後から日本国内では少しずつ行われている状況である。しかし、韓国国内ではほとんど見当たらない状況である。更に在日コリアンの祭りの中で行われるマダン劇についての先行研究は全然見当たらなく、研究がまだ始まっていないといってもかまわないほどの状態である。このような状況の中で本稿は在日コリアンの最初の祭りである生野民族文化祭を分析対象にする。 分析で用いる概念は場所性、ローカリティー、他者そして、カーニバルである。場所性に基づいて、どうして大阪市生野区で最初の在日コリアンの祭り(生野民族文化祭)が形成されたのかを論じ、また、それをローカリティー、他者と関連づけて、その空間の境界地としての新しい文化の発散の可能性を認めた。そして、マダン劇についてはバフチンのカーニバル理論を用い分析を行った。その結果、マダン劇はカーニバルの上下の転覆性が十分認めることができた。更にマダン劇は在日コリアンだけではなく、日本人にも多文化に接する機会を与えていた。以上のような点から在日コリアンの祭りとマダン劇は意義深い文化要素の一つであることが十分認められると考える。
  • 16.

    『三国遺事』によって作られた古代史 ー中等教育教科書を中心にー

    박정의 | 2010, (45) | pp.289~310 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    朝鮮時代末期を迎え、開化と同時に日本からの圧迫に対抗するように民族主義的歴史学が台頭した。教科書を中心とした当時の歴史叙述は、愛国主義・民族主義・独立主義の意識が強く反映され、そこに檀君を韓国史始初に登場させ、建国と民族の始祖として叙述した。ここに、民族意識を高揚すると同時に、悠久の歴史と伝統を持つという韓国史像が構築された。 これに対し日本政府は植民化政策の一貫として、韓民族の独立の象徴であった「檀君」の抹殺を図った。この時期、檀君の根拠として日本人の学者が否定した『三国遺事』が韓国において再登場し、『三国遺事』をもとに檀君の史実化への研究が民族史学者を中心としてなされた。彼らは武力行動は起こさなかったが、檀君神話研究を通して民族運動を展開した者たちと言える。当時の民族史学者たちは檀君神話を守り発展させることによって、民族の自尊心を回復させ自主独立の正統性をそこに見つけようとした。即ち、檀君を単に古朝鮮の祖として終わらせず、全韓民族の祖として独立の象徴として昇華させた。檀君は独立運動と共にイデオロギー化したのである。そして、この植民地に時代に作られたイデオロギーが、独立後も「檀君」を規制したのである。このイデオロギーが今も韓国の歴史教科書に生きている。近現代に作られた民族の祖としての檀君、人間社会の王としての桓雄、広大な古朝鮮の領域などの朝鮮時代の認識を全て『三国遺事』によるものとして、「悠久の歴史をもつ単一民族国家」という現在の国民国家観を完成させるという間違いを犯している。こうした、問い直さなければならない国民国家観が、現在の教育現場にあるという問題を指摘しなければなるまい。
  • 17.

    조선사절이 본 메이지(明治) 일본 ― 김기수의 『일동기유』를 중심으로 ―

    CHUNG, Eungsoo | 2010, (45) | pp.311~328 | number of Cited : 7
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    本稿は朝鮮使節が近代化の進行しつつあった明治日本をどのように見ていたかを考察したものである。テキストは第一次修信使節(1876年)の正使金綺秀(1832-?)の著した『日東記游』を使用した。 金綺秀は初めて接する近代の所産物に好感を示していた。彼が好奇に溢れる目で近代文物を観察したあと、漢文という表記文字の限界があるにもかかわらず、その観察結果を自分の旅行記に細かく記録したのが、これを裏付けている。  ところが、彼は見学自体には消極的な態度を見せている。当時の朝鮮朝廷が改革派と守旧派に別れていたからである。すなわち、この両勢力を意識せざるを得なかった金綺秀としては、その中間というべき方法を選択するしかなかったのである。それで「道理」を見聞の原則に決め、日本人が道理にそむかなければ従うが、また自分で進んで見学もしないという消極的な見学態度を維持していたのである。
  • 18.

    『茶道教諭百首詠』에 나타난 다도정신 연구

    Lim Chan Soo , 조용란 | 2010, (45) | pp.329~348 | number of Cited : 2
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    「利休百首」は茶道の精神․作法などが分かりやすく、憶えやすいように茶道の法則を詠じた教訓歌である。本稿は裏千家の第11代の家元玄々斎の茶道の精神性を強調し、点前の型を詳しく説明した「茶道敎諭百首詠」について考察した。 内容は心の部分と点前の部分にわけて分析した。茶道の心を表現した歌の内容を要約すれば、お茶を学ぼうとする意志が重要であり、この道には切りがないので、絶えず稽古すべき旨を示した。点前の所作に対しては、バランスの維持を強調している。そのためには行動の反対側にも気を使わなければならない。お客さんに対する思いやりと、どんな状況でも荒ててはいけない。素朴な構えで身分に合う道具を持ち、お茶を点てること、道具の飾りにも陰陽の調和を考えるようにしている。 点前に関しては、茶を点てる部分と飾りの部分、そして炭に対する部分に分けられる。特に炭のことに見詰め、道具ごとに特徴を生かした扱い方の選び、置く位置もいちいち指定し、細かい部分まで様式化していることが分かった。飾りにおいては果敢な省略や重複を避けて感動を起こそうとした。日本の茶道の型は変わらないまま受け継がれてきたと言われるが、茶道は接待芸術である限り、中心的な人物はお客さんである。つまり享有者によって変化され、時代状況によってその要求に対応しながら継承してきたと思われる。その結果、すべての形式を決めることで、不必要な行動を規制し, 状況による融通性を持つようにした。
  • 19.

    일본국내의 ‘죽도’ 영유권을 둘러싼 갈등 구조― 고등학교 학습지도요령 해설서를 둘러싸고 ―

    Choi Jang-Keun | 2010, (45) | pp.349~369 | number of Cited : 2
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    本稿は現在多文化、多民族社会に入った日本社会の中で最も大きな外国人集団である在日コリアンの祭りとマダン劇を分析対象にする。先行研究としては在日コリアンの祭りについて2000年以後から日本国内では少しずつ行われている状況である。しかし、韓国国内ではほとんど見当たらない状況である。更に在日コリアンの祭りの中で行われるマダン劇についての先行研究は全然見当たらなく、研究がまだ始まっていないといってもかまわないほどの状態である。このような状況の中で本稿は在日コリアンの最初の祭りである生野民族文化祭を分析対象にする。 分析で用いる概念は場所性、ローカリティー、他者そして、カーニバルである。場所性に基づいて、どうして大阪市生野区で最初の在日コリアンの祭り(生野民族文化祭)が形成されたのかを論じ、また、それをローカリティー、他者と関連づけて、その空間の境界地としての新しい文化の発散の可能性を認めた。そして、マダン劇についてはバフチンのカーニバル理論を用い分析を行った。その結果、マダン劇はカーニバルの上下の転覆性が十分認めることができた。更にマダン劇は在日コリアンだけではなく、日本人にも多文化に接する機会を与えていた。以上のような点から在日コリアンの祭りとマダン劇は意義深い文化要素の一つであることが十分認められると考える。