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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

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2010, Vol., No.47

  • 1.

    真偽判断にかかわるモダリティ形式のタ形の意味 -各テキストにおける現れ方とタ形のタの意味を中心に-

    김혜연 | 2010, (47) | pp.27~40 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿では、モダリティ形式のタ形が「過去時における」判断を表すという仁田(1989)、益岡(1991)を批判し、モダリティ形式がタ形を取っても「発話時における」判断を表す場合があるなど、モダリティ形式のタ形の意味は一概ではいえないことを示す。そこで、本稿では、真偽判断にかかわるモダリティ形式「かもしれない」「にちがいない」「ようだ」「らしい」「はずだ」のタ形を対象にこれらのモダリティ形式のテキスト(会話文、小説・新聞)による現れ方やタ形のタの意味を考察した。その結果、真偽判断にかかわるモダリティ形式は「かもしれない」「にちがいない」、「ようだ」「らしい」、「はずだ」の3つのタイプに分類されることを明らかにした。 「かもしれない」「にちがいない」のタ形は会話文にはほとんど現れず、小説・新聞に現れることを示し、この場合のタ形のタは「かたりのタ」であると述べた。 また、「ようだ」「らしい」のタ形は会話文、小説・新聞に現れるが、会話文においては<推量>の用法は現れず、<様態><伝聞>を表すという制限があることを指摘し、この場合のタ形のタを「命題に近いタ」であると説明した。それに対し、小説・新聞に現れる場合は用法の制限なく現れ、この場合のタ形のタは「命題に近いタ」や「かたりのタ」であると述べた。 最後に、「はずだ」のタ形はテキストに関係なく現れるが、会話文においては主に反事実を表し、この場合のタを「ムードのタ」から説明した。また、小説・新聞においては反事実を表す場合と表さない場合、さらに、<思い出し>を表す場合があることを示し、この場合のタ形のタを「ムードのタ」や「かたりのタ」と関連付けて述べた。
  • 2.

    일본어교육을 위한 일본어 접사 연구 -한국인 일본어 학습자를 대상으로-

    An, Jeong-Whan | 2010, (47) | pp.41~60 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    外国語の教育において語彙教育はとても大事なものであろう。本稿は韓国人の日本語学習者を対象に日本語の語彙教育の一つとして派生語を作る接頭辞と接尾辞について考察した。筆者は本格的に日本語の接辞を述べる前に、まず導入部においての効果的な接辞教育の方法で韓国語の接辞と比較することを提案してみた。二言語の仕組みが類似しているため、この方法をとると、接頭辞と接尾辞それぞれの特徴を含め接辞に対する基本的な理解が学習者にとって簡単にできると思うからである。一方、接頭辞と接尾辞に分けて述べた本研究では各々のところで次のようなことがまとめられた。第一、教育的な観点での効果的な接頭辞と接尾辞との下位分類の仕方。第二、生産性の高い接頭辞と接尾辞を中心とした韓国語への対応語探し及び例示語による確認。第三、日本語の派生語構文を韓国語に受け入れる時出会うようになる難点等を、派生語教育の情報ものとして提供してみた。
  • 3.

    萬葉集의 歌謠 속의 與・及字 硏究 -韓・日・中 자료의 비교분석을 통하여-

    안희정 | 2010, (47) | pp.61~82 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    本稿は、万葉集の和歌、すなわち非漢文体を対象に、「與」と「及」の用法について考察したものであり、更に訓読法についても検討したものである。和歌の中で「與」は計243回用いられているが、音仮名「よ」の表記として173回、訓仮名「と」の表記として6回、訓読「と」の表記として48回、動詞「取與:とりあたふ」の表記として1回、そして特殊助動詞「こす」の表記として15回が用いられた。また「及」は計43回用いられているが、助詞「まで・までに」の表記として32回、訓仮名と訓読「しく・じく」の表記として10回、動詞「いたる」の表記として1回が用いられた。その結果をまとめると、次のようになる。 1.「與」が特殊助動詞「こす」の表記として用いられた用法は、古代中国語にはない用法なので「日本語的な用法」として使われたと考えられる。2.和歌で用いられたすべての「與」の訓読と語順の検討を通じて、巻12-2858に見える「與」は、特殊助動詞「こそ」と関係のないことを明らかにし、更に未だに残存している異読の問題に対し一つの基準が提示できたと言えよう。3.「與」は、「と」の表記として計54回(訓仮名6回、訓読48回)使われたが、訓仮名としての6回すべてと訓読としての48回のうち44回が日本語の語順で表記されていた。4.「與」の表記の訓読により語順が異なる可能性がある巻13-3234の「天地與日月共」について、「アメツチト ヒツキトトモニ」と讀むべきであり、更に5音句の句末に「與」が位置すべきであるという日本語語順の説に同意する根拠を提示し既存の説を補った。5.郷歌に「與」の表記はない。6.巻18-4111の「時及能(ときじくの)」の場合、淸音「しく」の表記として用いられる「及」が濁音「じく」の表記に用いられている。濁音「じく」の表記はこの例だけであるが、このように日本の固有語を清濁混用で表記していることは大伴家持の表記法の一端が窺える例であると考えられる。7.格助詞「まで(に)」の用法は、古代中国語の「及」にはない用法で、これは日本の固有語の格助詞「まで(に)」に結び付けられていたことから生じた用法であると推定されるので「日本語的な用法」と言えよう。8.和歌で「及」は介詞あるいは連詞として使われることがなかった。従って、「與」は介詞あるいは連詞として、「及」は格助詞「まで(に)」として使い分けをしていたのではないかと考えられる。9.古代韓国語の資料で「及」は「悼二將歌」で動詞として1回、訓仮名として1回が使われたが、訓仮名表記である助詞「와(日本語の格助詞「と」に當たる)」の用法は、和歌で「また」あるいは「と」として使われていないので少なくとも「及」の表記には渡来人の表記法の影響はなかったと考えられる。
  • 4.

    日韓語の動詞結合の形成過程と分類 ―「日韓語の動詞結合形成モデル」の構築を通して―

    이충규 | 2010, (47) | pp.83~100 | number of Cited : 8
    Abstract PDF
    本稿では、日韓語の「動詞結合」がどのように形成され、どのように分類できるか、その形成過程や分類を「日韓語の動詞結合形成モデル」を構築することによって把握しようと試みた。当該のモデルは、動詞結合の形成過程と分類を操作手順の段階を想定して説明するものであり、①各々の動詞が基本形の形で独立して存在する第Ⅰ段階、②どの動詞がV1になり、どの動詞がV2になるかが決定される第Ⅱ段階、③第Ⅱ段階の各要素がそれぞれ結合し、形態的に動詞結合が完成する第Ⅲ段階、④第Ⅲ段階の動詞結合を下位分類する第Ⅳ段階、⑤第Ⅳ段階の動詞結合を二種類に大別する第Ⅳ・Ⅳ段階、⑥第Ⅳ・Ⅳ段階の動詞結合を更に二種類に大別する第Ⅵ・Ⅵ段階の全6段階になっている。各段階ごとに同一の基準が適用されているので、日韓語の動詞結合は、その形成過程や分類が基本的には同じであることを確認することができる。一方、日韓語の動詞結合の間に見られる相違点として、①日本語の母音「i」の存在、②介在要素の数の違い、③複合動詞の分布の違いの三点も形成モデルを通して確認し、これらは日韓語の動詞結合に関する対照研究を行う際に重要なポイントになるということも合わせて指摘した。
  • 5.

    丁寧度判定で測定したポライトネス・ ストラテジーの要因に関する決定木分析

    林炫情 | 玉岡賀津雄 | 宮岡弥生 and 1other persons | 2010, (47) | pp.101~116 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    本研究では、ある行為xのもつフェイス・リスクの大きさは、相手との距離(D)、力関係(P)、事柄の負荷度(R)の3つの要因が加算的に働いて決まってくるというBrown & Levinsonの普遍理論に、日本と韓国の文化差の影響、聞き手が話し手から見て同性か異性かという性差の影響がどのように絡み合ってポライトネス・ストラテジーに影響しているのかについて、多元的かつ階層的に把握しようと試みた。分析では、複数の要因群から予測に有益な要因を選択する手法である決定木分析を用いた。分析の結果、言葉遣いの丁寧度は、場面によって違いが見られ、雑談の場面よりも依頼の場面のほうが高いことが分かった。また、ポライトネス・ストラテジーを決める要因は、全体的に「社会的距離(D)」>「力関係(P)」>「文化差」>「話し手と聞き手との性差」の順でより強く影響していた。特に、「社会的距離(D)」>「力関係(P)」は、雑談場面か依頼場面かといった負担の度合いに関係なく、強くかつ安定した影響要因であることを明らかにした。
  • 6.

    中国人学習者の日本語学習に関するビリーフ ―日本語専攻学習者と非日本語専攻学習者の調査をもとに―

    야오야오 | 2010, (47) | pp.117~136 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は中国人日本語学習者のビリーフに関する考察を行ったものである。筆者はビリーフを学習者が言語学習に対する認知と情意であると定義する。日本語学習者の多様化が進むとともに、学習者の特徴を把握したうえで学習指導を行うことが重大な課題となっている。中国の大学において、日本語を主専攻とする学習者と日本語を第二外国語とする学習者に分けられる。筆者は前者を日本語専攻学習者、後者を非日本語専攻学習者と名付ける。学習者の教室活動への取り組み方やストラテジー使用に差が現れるため、学習者のビリーフを把握することが非常に重要である。同じ中国人日本語学習者と言っても日本語を主専攻とするか否かによって、日本語に対するビリーフが一致するとは限らない。従って、筆者は日本語専攻学習者と非日本語専攻学習者に応じた指導法や教室活動を探るために調査を行った。以下の3点を明らかにした。 (1)日本語専攻学習者と非日本語専攻学習者は日本語学習に対してどのようなビリーフを 持っているか。(2)両者のビリーフは違いがあるのか、その違いはどこにあるのか。(3)両者の違いによってどのような指導法や教室活動を導入すべきか。 結果から見ると、日本語専攻学習者は積極的に自分に合う勉強法を探る傾向があることがわかった。受け身の学習姿勢から実際に日本語を運用する場面に視点を移っているとも言えよう。一方、非日本語専攻学習者は教師主導型の教授法を好む傾向があり、教師依存の傾向があることがわかった。結論的に、教師は日本語学習者と非日本語専攻学習者のそれぞれのビリーフを正確に把握し、両者に同様な教授法を使うのではなく、それぞれに応じた指導法を検討する必要があるだろう。
  • 7.

    에도시대의 기행문학과 온천 문화 -아리마 온천을 중심으로-

    PARK CHAN KI | 2010, (47) | pp.137~156 | number of Cited : 4
    Abstract PDF
    本稿では、江戸時代の温泉番付等により日本三代温泉といわれる温泉の中、有馬温泉を中心に展開される温泉案内書及び温泉紀行等を紹介する。その中、本居大平の『有馬日記』(1782)、大根土成の『滑稽有馬紀行』(1827)等を中心に江戸時代の温泉文化がどのように形成され、大衆化の過程を辿っていったのかを考察してみた。具体的には、七日を一回とする湯治のシステ厶、入浴の形態、湯女の存在と彼女らをめぐって行われる芸能伝授の場面と逸話等多様な形での温泉文化が読み取れる。 しかし、温泉紀行の中には、温泉で行われる湯治の具体的な様子についての記述はあまり見当たらない。それは、おそらく、服を脱いで身体を露出する入湯の行為がごく日常に関する卑俗なことであったから、文学の素材として取り入れにくい点もあったであろう。江戸時代の温泉の原点は七日間を一回とする湯治にある。江戸時代になると交通路の発達により、伊勢参り、熊野詣でとともに一般庶民も温泉旅行が可能になり、温泉場は湯治の空間だけではなく、湯女による文化伝授の場、また、地域住民と湯治客の間の情報交換の場、遊興の空間として拡張されていったということも考えられる。
  • 8.

    『あしたのジョー』における日韓パワーゲーム  ―矢吹丈と金竜飛の対戦―

    임상민 | 2010, (47) | pp.157~174 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    「まっ白に燃えつきる」というセリフで有名な『あしたのジョー』は、完全燃焼する矢吹丈の姿に力点が置かれ、日本だけではなく韓国でも消費される漫画である。しかし、そうした消費の枠組みからは、共に「燃えあがった」金竜飛がなぜ負けたかを考えることはできなくなる。矢吹丈の逆転KO勝ちを同時代に起きていた第2次朝鮮戦争の危機説と日韓の経済接近という文脈から解釈してみると、「朝鮮戦争」という過去をもつ金竜飛に覚える矢吹丈の「劣等感」は、朝鮮戦争による特需で太ってしまった戦後日本の罪悪感と先端産業の技術力だけでなく、日米間の安保条約の面においてもアメリカに劣っているというコンプレックスとして解釈できる。そして、対等な勝負を前提とする力石徹の「意志」を想起することにより「劣等感」を乗り越えていく矢吹丈の逆転KO勝ちは、1969年の「ニクソン⋅ドクトリン」をはじめとするアメリカのアジア政策の路線転換によって、アジアにおける米国の役割を日本が一部「肩代わり」することになり、安定的な輸出市場と低廉な労働力市場の確保、そして原料資源獲得などに苦心していた同時代の日本が、「日韓経済圏」という名のもとアジアに改訂版「大東亜共栄圏」を形成していく姿と重なる。つまり、二人の対戦は第2次朝鮮戦争の危機と同時に問われる日本の道義的問題を巧みに経済問題へとずらしていく非対称的なパワーゲームだったのである。
  • 9.

    한국의 평화선과 일본의 대응한계 -일본의회 독도관련 속기록을 중심으로(1952~1953)-

    Kwak, Jin O | 2010, (47) | pp.175~196 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    This study is analyzing the limit in Japan's claims over peace line, by taking a look at Japan's perception of peace line. The peace line issue was a pending issue between Korea and Japan, because it is an issue that deals with past historical affairs. Japan's perception of a peace line is contradictory from that of Korea. The Japanese Diet believes that regarding the peace line, President Lee Seungman declared sovereignty over territorial waters and international waters for Korean national defense needs. Korea rebutted the Japan Ministry of Foreign Affair's claim by pointing out that Japan showed an intention to invade. Moreover, regarding the precedents of the peace line, Korea gives examples of South American countries' declaration of sovereignty over water bodies. Regarding this wordy war over the Korean peace line, the Japanese Diet views the Korean peace line as an exclusive and self-righteousness act, and concludes that Japan can also claim the same as Korea. Consequently, the Japanese Diet considers the possibility of a similar declaration regarding the Korean peace line argument. In line with this attempt, the Japanese Diet criticizes Korea's peace line policy. However, Japanese attempts were limited due to the U.S. that was greatly concerned about the possible aggravation of Korean-Japan ese relationship. Thus, this paper analyzes what inquiries and solutions the Japanese Diet suggested to the Japanese government, in response to the Korean peace line. Moreover, this paper will analyze how the Japan Ministry of Foreign Affairs attempted to solve this problem, and what the limits of their solution was.
  • 10.

    韓国における日本大衆文化の定着と受け入れ様態

    Kim, Young-Soon | 2010, (47) | pp.197~213 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本論文では、韓国の大学生の日本文化受け入れに関する実態調査を利用し、日本大衆文化の定着性と受け入れ様態についての考察を試みた。はじめに、日本の大衆文化を指す代表的な言葉の一つとして「日流」を取り上げ、「日流」が指す範囲、用語の使われ方、社会的認知度等にについて検討した。次に、日本文化の受け入れに当たって重要なツールである日本語の学習状況について検討した。その結果、韓国の日本語学習が学校教育に組み込まれていることから、早期から始まり、かつ長期間にわたって実施する体系的な環境が整っていること、そのことが日本文化への関心増大、日本文化の定着へとつながっていることが確認できた。また、以上の事から、韓国では日本大衆文化が日常の一部として定着しており、日本で新たな大衆文化ブームを巻き起こした「韓流」の場合のように、改まった呼び方を求めるニーズが少なかったものと判断される。日本語学習の普及状況、日本の大衆文化の積極的な受け入れは、調査対象者の大学生においても確認できた。また、「日本」学科と他学科を比較してみると、授業や課題で日本大衆文化に接する機会の多い「日本」学科の学生が日本大衆文化をより多様な、積極的な方法で受け入れていた。
  • 11.

    축제와 소동 -아오모리네부타축제(青森ねぶた祭り)의 카라스하네토(カラスハネト)를 중심으로-

    Lee, Deok-Ku | 2010, (47) | pp.215~232 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は、青森ねぶた祭りにおいてカラスハネトによる騷動の実態(カラスハネトの発生背景と経過)を察してその意味を分析した。すなわち、青森ねぶた祭りではなぜどんな理由からカラスハネトが発生し、彼らはどんなに騷動を起こしたのかを社会文化的な脈絡から察し、そのような騷動の意味に対して考えてみた。その結果、カラスハネトは、観光化された祭りに現われる一つの副作用の現象として人間關係の希薄化による現代の日本社会の青少年問題が背景になっている上、やりすぎた規制が呼んだ別の形の参加者であり、変化と個性を追い求める若者達の自己表現であることが分かった。青森ねぶた祭りにおいてのカラスハネトは地元の人の間に保存と開発の談論として発展したと言うのにもっと大きな意味がある。言い換えれば、青森ねぶた祭りは文化政策の振興を図る中央政府と観光収入を期待する地方自治体と住民の多様なモチベーションによって観光商品化され、その真正性に大きな変化があったが、若者達が祭りの主役になりながら再び大きな変化に直面しているのである。青森ねぶた祭りの観光化過程に現われたカラスハネトによる騷動は、観光インフラ側面のハードウェア的な開発だけではなく観光コンテンツとしてのソフトウェア的な側面の伝統民俗価値も一度変化すれば再び変化しやすいということを知らせるところに最もの意味がある。 昔も今も祭りと騷動は別ではなく連れされる概念として取られるが、その脈絡的意味は「生産から消費へ」と変化されていると言えよう。即ち、共同体中心の前近代的社会の中ではその社会が要する騷動を生産する装置として祭りが機能していたが、民主化․産業化された現代社会の中で商品(イベント化)になった現代の祭りでは現代社会が生産した騷動を消費する装置として祭りは機能しているのである。
  • 12.

    일본IT기업에 취업하기 위한 접근법 고찰 -사례 중심으로 방법론적인 고찰-

    전유선 | 2010, (47) | pp.233~258 | number of Cited : 3
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    国内で日本語の専攻者や日本語を学ぶ学生たちは国内で必要だから勉強する場合もあるが、学生たちの立場ではできるだけ学んだことを日本で実際に使いたがっている. また、足りない部分を日本で生活しながら勉強すれば役に立つと思う. これを実現するために現場で教えながら体系的な方法論的に近付いて考えてみた. 上記で述べた部分を満足させるのが海外就業研修である. 海外就業研修と言うのは就業されていない若者の海外就業を支援するために研修をして、海外に就業させることである. 人手の移動とサービス市場の開放に備え、国の技術とサービスの人手等の対外の競争力を高めるためである. 2001年から公共の海外就業の業務を韓国産業人力公団でしていて、2004年から組職を新設して事業を拡大した. また、2008年政府の国政課題で 「グローバル青年リーダー 10万人の養成」計画を選定して海外就業者を 5年間 5万人に拡大することにした. だから、本稿では日本IT就業の業種特性にしたがって履歴書、自己紹介、面接の特徴と指導の方法を調べてみた. このような日本IT就業教育の過程を成功的に導くために影響を及ぼす原因は様々である. その中でも履歴書と自己紹介の作成が成功的な就業のために大事である. その次は履歴書と自己紹介を基づいて、インタビューの質問と返事を完璧に覚えて自然に話せるようにしなければならない. 今まで述べたことは研修生の自分が努力しなければならない. また、直·間接的な原因である教育生の数、教育の時間、教育に参加する理由、先行学習の経験、教育現場で活用される教授の戦略、教育課程の統制類型、教育生に提供されるフィードバック等を教育機関と教育の担当者と教育生が三位一体になるのが重要なことである. 上記のような教育に必ず必要な多くの原因を解決してあげて環境を造成してあげれば教育の成果と就業率を高めることができる. しかし、これに対する接近はあくまでも海外就業研修を現場で教育をして来た本人の観点なのである.
  • 13.

    막부사절이 본 근대 미국 - 村垣範正의 『航海日記』를 중심으로

    CHUNG, Eungsoo | 2010, (47) | pp.259~278 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は、幕府の第一次遣米使節(1860)が近代アメリカをどのように見ていたかについて考察したものである。テキストは第一次遣米使節団の副使であった村垣範正(1813─1880)の著した『航海日記』を使用した。 村垣の目に映ったアメリカはまず「奇工の国」であった。彼は蒸気機関を使って様々な作業が進行されるのを見て、目を驚かす「奇工」だという。そしてこれを一刻も早く日本へ導入したいと思った。  彼が見たアメリカはまた「夷狄の国」でもあった。国務長官が使節と初対面するのに、少しの礼もなく、お茶さえ出さないのを見ると、本当に胡国に違いないという。だが、艦長までが水兵の葬式に参加するのを見て、その中に真心が潜んでいることをもわかる。彼がアメリカ人を面会するとき、その国に行ってはその国の礼をもって対すべきであると言いながら、アメリカ式で握手をすることにしたのも、このためであろう。 すなわち、村垣はアメリカの機械文明については、最初からそれを認めた。しかし、近代的な制度や文物については、日本的な基準を持って、これを夷狄の習俗と評価した。ところが、彼らと接触しながら、彼らの文物のなかにも真心や真実などが含まれていることに気づく。そして、そのために近代的な制度や文物に対する彼の態度も、好意的に変化したといえる。
  • 14.

    현 일본정부의 ‘죽도문제’ 본질에 대한 오해 -독도밀약설과 한일협정 비준국회의 논점을 중심으로-

    Choi Jang-Keun | 2010, (47) | pp.279~298 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    本研究は独島密約説と韓日協定批准国会における論争を中心に'竹島問題'の本質について現在日本政府の誤解について考察した。 まず、韓日協定の資料公開を要求したNGO団体によって非公開にしていた関連資料が一部公開された。その資料のなかには独島密約の関連資料が含まれていた。また韓日協定締結の関連者の証言によってその実体が明らかにされた。独島密約に関連するような内容が批准国会においても国務委員と野党側の専門委員との論争の中でうかがえた。 第2に、独島密約は日本が目指していた韓日協定を締結するにあたって独島領有権問題は存在しないという韓国側の主張を克服するために利用した。独島密約は'非解決が解決'という精神に基づいて日本が要求した。 第3に、日本政府は韓日協定で'竹島問題'を諸懸案と一括妥結方式で日本に有利に解決することを目指してした。しかし独島を実効支配していた韓国が領土問題は存在しない、さらに独島を問題にすると韓日協定を結ばないという強硬な立場をとっていたのでアメリカの要請もあって韓日協定の締結を目標としていた日本は領有権で譲歩を余儀なくされた。それゆえ韓国の要望を受け入れる形で'竹島'または'独島'という名称を使わないで'紛争解決のための交換文書'を作成するに至った。日本政府はこれをもって日本国民に向かって'竹島問題'を平和的に解決することに合意したと嘘をついた。第4に、当時日本政府は外交上日韓協定で独島を実効支配してさらに領有権問題は存在しないという韓国の立場を崩すことができなかったにもかかわらず、現在の日本政府が'竹島が国際法上にも歴史的にも日本領土であると主張することはこのような'竹島問題'の本質についての理解不足による政治的発言に過ぎないものである。獨島領有權に關するこのような日本政府の態度はいっそう領土問題の解決を困難にする要因になるばかりである。