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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

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2011, Vol., No.48

  • 1.

    雑誌『太陽』の漢語副用語と和語副用語の比較

    Cho, Young-Hee | 2011, (48) | pp.5~24 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    漢語は古くから日本語に伝わり、幕末明治期を経て日本語に大量に流入され、今日にいたっては固有語の和語とほぼ同等の位置を占めるようになっている。本稿は、日本語の構文成分としての漢語の性質を明らかにしたいという問題意識から出発している。漢語は和語の助辞がついて(助辞がつかない場合も含め)日本語の構文成分となるが、特に構文成分としての機能の特徴を捉えやすいという理由で漢語副用語に注目した。 調査方法としては雑誌『太陽』(1901)から漢語副用語と和語副用語を採集し、両者を文中での意味用法によって事柄の副用語、状況の副用語、陳述の副用語に分類比較した。その主な結果を以下にまとめると、事柄の副用語の〈時間的進行の様子〉を表すものは和語副用語より漢副用語が種類が多様である。状況の副用語のうち、〈時〉を表すものは和語副用語より漢語副用語が種類が豊富であり、〈場所〉〈蓋然性〉の意味用法は和語の状況の副用語にはなく、漢語の状況の副用語にだけ見られた。陳述の副用語の比較では、〈打ち明け〉〈証拠付け〉〈断定〉〈まとめ〉の意味用法が和語副用語にはなく漢語副用語にだけあるという違いが見られた。そのうち、雑誌『太陽』に特徴的に見られる〈証拠付け〉〈断定〉〈まとめ〉の副用語は、ある叙述を述べる際の話者の述べ方を表すもので、特に前後する文の論理関係を明確にするはたらきをすることを明らかにした。また、〈証拠付け〉〈断定〉〈まとめ〉の漢語副用語は近現代語形成期のデータのほかのジャンルより雑誌『太陽』に集中的に使われる傾向が見られ、このような雑誌『太陽』の漢語副用語の特徴が、雑誌『太陽』の文章語的な文体と関係があることを指摘した。
  • 2.

    日本の言語文化教育学に関する研究

    류경자 | 2011, (48) | pp.25~38 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    言語文化教育を「学」として体系化しかつ自律させることが「言語文化教育学」であるとするならば「言語文化教育学とは何か」というテーマは言語文化教育にかかわるもの一人一人にとって生涯のといであるといえよう。本研究では、言語文化教育と言語文化教育学関係について「教育実践=研究活動」とする見解を述べた上で、言語文化教育学の新しい方向性とその確立をめぐって、最近の日本文化教育のパラダイムの転換の発想として注目されている言語活動の環境設計論、ラグパロール往還文化論に対する体系的な考察を試みた。こうした考察を経て、新しい言語文化教育学の構想が、人間と人間が関係とを取り結ぶためのコミュニケーション環境をつくるための言語活動環境設計と文化は互いに関係しあうことで動態的で多様なあり方であるというラングパロール往還文化論についての理論的な考察を行い、その実現のための、実践研究を通した教育実践の開示と議論の必要性について述べた。今後の韓国の日本語教育における言語文化教育の方法改善の上では、本研究に示されている面がとくに重視されなければならないと思われる。本研究では、研究対象の外におかざるをえなかった、韓国の言語文化教育学の理論の体系化、統合化については、今後の課題としたい。
  • 3.

    日本語音声教育における聽取の難易度* - 韓国人学習者のレベル別聞取り判断を中心に -

    Lee, Hyang-Ran | 2011, (48) | pp.39~58 | number of Cited : 4
    Abstract PDF
    本稿では初級者と中上級者を対象として習得困難であると思われる「アクセント(固有名詞、外来語)」「特殊拍(ン、ッ、ー)」「母音の無声化」「~ン+ラ行音」「ザ行音」などの日本語の音声項目について聞き取り調査を行ない、拙稿(2010)の発音調査の難易度と比較しながら分析検討した。第1は、聞き取りの難易度の高い順はアクセント、ン+ラ行音、母音の無声化、ザ行音、特殊拍で現れ、発音調査の結果とは若干の差がみられた。第2は、S Kとも聞き取り、発音の難易度が最も高い音声項目はアクセントであり、学習レベルと難易度の差があまりない音声項目は「ザ行音」であった。第3は、日本語のレベルが高いほど聴取や発音の難易度が低かったが、アクセントの面で高高現象や-2の傾向は日本語のレベルとはそれほど関係なく現れた。第4は、特殊拍の中ではS Kとも促音が聴取の難易度が最も高く調査された。第5は、聴取では語中語末の[oː]は一番難易度が低く、語末の[eː]は発音聴取とも難易度が一番高く調査された。第6は、「母音の無声化」は聞き取り判断も非常に困難で、アクセントとも関わりがあって、初級者にはアクセントのばらつきも大きかった。第7は、「~ん+ら行」の正しい発音は[n ]であるが、学習者の発音や聞き取り判断では[n ]、[ ]、[nn]に3つのパターンに現れた。[ ]で発音したり、聞こえたりしたのは母語干渉(「連絡[열락]、便利[펼리]、線路[설로]」などに発音されること)の影響が考えられる。第8は、発音、聴取において「ザズゾ」が「ジャジュジョ」になる傾向がみられたが、韓国語の「ㅈ、ㅅ、ㅊ」と日本語の「ジャ行音」は調音点が同じ歯茎硬口蓋音であるためである。「ザ行音」の聴取では語頭、語中、語末の順で現れ、語頭の「ザ行音」特に「ぞうさん」のように語頭の「ゾ」が最も聞きにくい発音と調査され、先行研究の結果を裏付けている。
  • 4.

  • 5.

    国語科授業のためのリライト教材の作成と指導の工夫 ―日本における外国人児童生徒を対象として―

    요나와토모코 | 2011, (48) | pp.79~98 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    外国人児童生徒は、親の都合により本人の意志に関係なく日本に入国し母国と制度の異なる日本の学校へ何の準備もなく編入学させられる。1970年代の中国帰国者の帰国を始めとして、インドシナ難民とその家族の来日、また1990年代に入ると出入国管理法の改正に伴ってブラジルやペルーなど日系人労働者とその家族の来日が増え始めた。現在では文部科学省の調査によると「日本語指導が必要な外国人児童生徒」は28,575人と過去最多である。在籍人数は「1人」が最も多く半数近くを占めている。学校現場では、何ヶ月かたてば友達との交流や生活のための日本語はなんとかできるようになるが、教科の学習のための日本語はわからないという状況がよく見られる。これは、外国人児童生徒が第二言語を使って学習する場合、「授業や教科書の内容」を「文脈の助け」を借りずに理解しなければならず、また学習する内容が自分の経験と結びつかない概念である場合、認知的負担が大きくなるという二重の困難を背負わされることによる。文部科学省では平成4年度から「外国人児童生徒帰国児童生徒」の日本語指導等に対応した教員の加配措置を講じているが、外国人児童生徒が在籍する学校全てに専任の教員を配置することはできない。そのため、日本語教育や児童生徒の母語についての知識がない教員による取り出し授業での日本語指導や教科指導が行われている場合もある。教科の学習、特に国語科は日本語への依存度が高く指導が難しい。しかし、国語の教材は様々な分野の内容を含んでおり学齢相当の思考をさせるのに適切な教材である。本研究では、外国人児童生徒が国語の教材を学習するにあたり、視覚的にとらえやすい挿絵を加えたり、教科書本文をよりわかりやすい日本語に書き換えたリライト教材を作成し、先行授業を行うことによって外国人児童生徒が国語の授業に参加しやすくなるように指導の工夫を試みた。
  • 6.

    語彙指導を目指したカタカナ語の指導の試み -韓国人日本語学習者の場合-

    하타 유카리 | 야마시타 나오코 | 2011, (48) | pp.99~116 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    外来語などのカタカナは、日本語学習者にとって学習が難しいものの一つである。先行研究において、指導が必要であることは指摘されているが、実際には日本語教育の現場で十分な指導がされているとは言えない。カタカナ語について調査研究を行い、実証的な検証を積み重ねることで、効果的な学習のための教材や教授法を開発することが重要であると思われる。畑山下(2010)でカタカナ語の聞き取りによる調査を行った結果、長音や促音等の特殊拍の誤りと濁音半濁音の誤りが多く、誤用には母語の影響と思われるものもみられた。そこで、本研究では、最も誤りの多かった長音を中心としたカタカナ語の指導がどのような効果を及ぼすのか検証した。中級の韓国人学習者35名を指導群と統制群の二群に分け、指導群には拍に焦点をおいた指導を行い、指導後、両群に指導前と同様の聞き取りテストを行い、結果を比較し分析した。その結果、指導群は指導後に誤用が減少し成績が上がった。特に、長音をはじめ特殊拍の誤りが減少した。また、調査後に行ったカタカナ語に関する意識調査の結果から、カタカナ語に難しさを感じる学習者が多く、その多くが指導を望んでいることが明らかになった。さらに指導効果の検証を重ね、より効果的なカタカナ語彙の指導法と教材の開発を目指したい。
  • 7.

    『源氏物語』における遣戸考 ー浮舟の隔て具としての意味合いー

    김수미 | 2011, (48) | pp.117~132 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は今まで殆んど論究されてこなかった遣戸というものを取り上げ、考察してみたものである。特にここで注目したのは、薫と浮舟との初対面の場面に、二人の間に置かれた隔て具として「遣戸といふもの」(東屋巻92)が登場したことである。 当時男女の対面の際に遣戸が用いられているのは、『源氏物語』においてこの場面のみになっており、さらに『源氏物語』の中で遣戸の用例は、4例のうち3例が浮舟と結び付いて描かれている。このように王朝物語において稀な存在であった遣戸が、浮舟に関わって多く登場するのは、単なる建築空間の仕切りではなく、物語においてそれ以上の意味合いを有するからではなかろうか。このような認識の基に、本稿では、浮舟物語における遣戸という隔て具の意味合いを探ってみた。 まず平安時代における遣戸の様態を把握するため、当時の作品に見られる遣戸の用例を検討し、この対面場面における遣戸が、当時としては稀な母屋と廂の間に置かれた隔て具であることを確認した。さらに、ここでの遣戸は先行研究において飛弾工の説話を下敷にしているものとして指摘されるが、本稿では、この説話が、この場面みならず、浮舟の登場の場面や御堂の改築の記事などにも「工匠」「絵師」という鍵語で共通項を有し、場面構成や浮舟物語により深く関与するものであることを確認した。 以上のように、浮舟物語における遣戸は、いやしき家の隔て具という性格に止まらず、浮舟の居所と世界との隔てを象徴しているようであり、数奇な運命を背負った浮舟や浮舟物語において一種の象徴性を帯びた記号のような役割を担うものではないかと思われる。
  • 8.

    神話に見る英雄の神性

    ByungHoon Min | 2011, (48) | pp.133~148 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     韓国の建国始祖の誕生に関わる神話を概観すると、誕生を前後に主人公の神性が強調され、血統はもちろん、奇異なる出生の様相とともに、傑出した容貌や優れた技量が浮彫りになっていることがわかる。最初から支配者たる資格を賦与していることが見て取れるのである。これは新羅の赫居世、高句麗の朱蒙、駕洛国の首露に共通して表れているものである。一方、日本の神話には主人公の誕生に纏わる神話さえ見当たらないものがあり、誕生に関わる記録にも目立つ英雄性が確認できず、容貌についての描写も見出せないことが多い。むしろ、勇者とは掛け離れており、温厚すぎたり優柔不断だったりで、支配者の面貌が不在した場合と、あるいは正反対に、横暴すぎて、勇者の風貌は具えているが聖君としてのイメージに致命的な欠陥を見せる場合とがある。 そして、主人公の成長の過程と支配者への変貌の過程にもう一つの相違点が確認される。『東國李相國集』の「東明王篇」は、朱蒙が生まれてまだ一ヶ月も経たない時期に言葉を発したと書いており、七歳には弓矢を作って射ると百発百中で、狩りにも卓越した技量を誇ったと記している。駕洛国の首露は十日余りで身長が九尺にもなり、その容貌も中国の歴代の英雄に似ていたという。すなわち、誕生の瞬間から王としての風貌を兼ね備えており、権座に上るのは生まれる前からの定めのように語られているのである。 しかし、日本神話における英雄の成長過程に注目すると、兄弟に迫害を受けて逃亡する大国主神や火遠理命は流離先で偉大な神の娘に出会い、その娘の献身的な助力によって神の霊力を手にいれ、英雄に生まれ変わるというような展開を見せている。英雄とはいえ、自分の努力の賜物というより、最後まで他人の手助けや他人から貰った呪具などを利用して支配者になるような独特の様相を帯びているのである。主人公の生まれつき強大な力と、王として擁立しようとする勢力を前面に出している韓国とは違い、日本は流離と女性の助力、そして女性の父親である偉大な神の加護によって英雄が誕生するようなパターンのものが多い。一方、須佐之男命と倭建命のように、武勇譚で主人公の能力が強調されている場合があるが、敵を制圧する過程で正攻ではなく騙し打ちをしている点で韓国の武勇譚と区別され
  • 9.

    韓国・中国・日本의 補陀洛 信仰

    마쓰모토 신스케 | 2011, (48) | pp.149~166 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    この論文では、韓国中国日本の補陀洛信仰を比較しながら、それぞれの特性について論じてきた。補陀洛は南方に実在する観音菩薩の居所と考えられてきた。そのイメージは険しい山があり住んだ池があるというものだった。また補陀洛は島であるという考え方も存在していた。この点は経典によって少し差異がある。そして、この補陀洛信仰を背景に、韓国では洛山寺、中国では普陀山という観音の道場が形成されていた。島かそうでないかという違いはあるが、両者ともに海に面した場所にあって、その地に観音菩薩が住んでいるという信仰形態を持っていた。一方、日本でも補陀洛信仰に基づいた霊地が形成されていた。日光二荒山は、神仏習合を前提とした神社で観音菩薩が神と習合していた。ここは海に面していないので山のイメージを反映した補陀洛信仰と言える。また、日本では紀伊半島を中心に補陀洛渡海という信仰があった。これは、南の方にある補陀洛を目指して船で出発するという信仰である。この場合、紀伊半島は観音の居所ではなく、別の場所にある補陀洛浄土を目指していた。そして、補陀洛渡海は「往生」と密接に結びついており、現身で行ける浄土であるという一方で、来世的な信仰を兼備していた。
  • 10.

    中国における『万葉集』の伝播とその翻訳状況について

    우쌍쌍 | 2011, (48) | pp.167~184 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    日本古典文学、ひいては日本文学の海外発信を研究するには、日本現存の最古の歌集としての『万葉集』の伝播と翻訳状況を検討しなければならない。しかし、これまで、それについて書誌学視点からの系統的な研究は見当たらない。本研究は、二十世紀初頭から雑誌に散在した『万葉集』の紹介や翻訳を整理し、日中関係の変化によって『万葉集』に対する関心の度合いが異なるという特徴を明瞭化した。特に、日本統治下に置かれた北京では、『万葉集』の翻訳は盛んであった。その状況に基づき、とりわけ『万葉集』の伝播に貢献した先駆謝六逸と銭稲孫の翻訳手法を検討した。謝六逸の自由詩風に反して、銭稲孫は古調文語で翻訳を試みたことがわかった。また、現在まで出版された『万葉集』漢訳本を分析し、その翻訳状況の傾向を見出した。
  • 11.

    변전(變轉)하는 공동체* - 오에 겐자부로의 문학을 중심으로 -

    송인선 | 2011, (48) | pp.185~208 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    大江健三郎は自分の文学を通して様々な共同体を描きつづけてきた。この論文は大江の文学における共同体の特徴を検討し、その変転の様相を捉えようとする試みである。大江が小説の中で描く共同体は、彼の故郷を思わせる谷間の村を背景とする地域共同体と、都市および近郊を主な舞台とし共同の目標を実現しようとする青年共同体とに分けることができる。ムラ(村)という共同体は地域と血統に基づいて自然に成り立つ。それに対して青年共同体は地域と血縁を排除し共同の目標やヴィジョンがその共同体を支える柱となる。考察の結果、一見相異に見える両系譜の間に<権威と抑圧への抵抗>という共通の原理が作用しており繰り返し登場する同じ系譜の共同体の中にも微妙な差異があることが分かった。つまり、大江の文学の中で持続的に登場する谷間の村は、初期作品の中では自律的な在来共同体と近代的な行政単位としての面貌が混じった姿を見せる。それが中期と後期作品になると、独立した神話と歴史が伝承する空間→国家という所属の意味を問い直す小規模の自律共同体→個体としての力を備えるための根拠地というようなヴィジョンを見せつつ変転してきたといえる。
  • 12.

  • 13.

    1954년 일본의회 ‘독도 국제사법재판소(ICJ)제소’ 추진발언과 배경분석 ー일본의회 독도관련 기록 모음집을 중심으로ー

    Kwak, Jin O | 2011, (48) | pp.225~242 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    This paper which is titled ‘the 1954 Japanese Diet's 'Institution of an ICJ Lawsuit regarding Dokdo' Promotion Remark and Background Examination' is analyzed' focused on the Japanese Diet collections of Dokdo related documents'. This paper is consisted of four chapters, and in chapter one, there are former study results and an examination of why Japan is emphasizing on domestic publicity education regarding Dokdo's sovereignty, which is a pending issue between Korea and Japan. In chapter two, there is an examination of the grounds for the Diet's claim over Dokdo. As the San Francisco fortification treaty contract drew close, the Diet carefully mentioned the Dokdo sovereignty remark. Later, as the Korean government effectuated the peace line proclamation and as Japanese fishing within the peace line became prohibited,the Diet started to claim sovereignty over Dokdo. Eventually, the Diet is considering institution of an ICJ lawsuit. In chapter three, there is a case in which one crew member died during Korea's seize of Daihomaru, that was carrying out fishing work over the peace line in Feb.1953. As a response to this matter, the Diet considers Dokdo as a national border conflict, reconsiders the ICJ lawsuit, and as a response to questions of the Diet members, the foreign minister Okazaki mentions that he also considers instituting an ICJ lawsuit. However, the Diet eventually gives up instituting the ICJ lawsuit of Dokdo. The reasons are first, because of the insufficient proof of Japan's sovereignty over Dokdo, and second, because of Korea's lighthouse establishment in Dokdo and registration of the fact on the U.S. sea route map. In conclusion, chapter four, there is an additional content regarding the Japanese Diet's acknowledgment that instituting an ICJ lawsuit of Dokdo is difficult, and an analysis of the limits of instituting an ICJ lawsuit of Dokdo.
  • 14.

    류큐인(琉球人)의 아동관 -『류큐국 유래기(琉球国由来記)』에서의 산육의례(産育儀禮)를 기점으로- 류큐인(琉球人)의 아동관 -『류큐국 유래기(琉球国由来記)』에서의 산육의례(産育儀禮)를 기점으로-

    Kim,Hee-Young | 2011, (48) | pp.243~258 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    今後の沖繩研究には日本文化の源流を探ることを目的するのではなく、アジアㆍ太平洋地域のもつ多様性の中で沖繩を把握することが必要である。こうした視座に即して、本稿では14世紀以降、黄金期を謳歌していた琉球王国時代の人々の子供に対する特別な対応とその原因を辿った。さて、琉球人の子供に対して特別に対応していたという事例として、琉球国由来記(1713)に見えるように具体的で細分化された産育儀礼が発達していた点、そしてその産育儀礼の中には子供の人性のためのものがいた点、また子供の教育に努力を惜しまなかった点とともに、王府からその規模を制限する命令が下るほど盛大に成長祝いが行われていたという点等が挙げられる。そして結論として、琉球人の子供に対する特別な対応の理由は当時、子供の成長率が低かったことや、子供が生まれば村の構成員が増え、村の納税負担が相対的に減るという実質的かつ経済的な側面だけではなく、子供に先祖の名前を付ける習慣があるために先祖が子供に生まれ変わるという信仰が琉球人にあったという世界観を反映した側面があったことを指摘した。こうした先祖が子供に生まれ変わるという信仰はナイテイブㆍアメリカン等の間にも行われている。したがってこの点は人類文化の普遍的な特徴の一つと考えることもできる。ただ、琉球ではいかなる状況の下に於ても間引きや捨て子のような事例はなかったということが日本本土との違さだといえるだろう。
  • 15.

    『季刊三千里』の立場(1)ー総連との決別ー

    박정의 | 2011, (48) | pp.259~280 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    『季刊三千里』は、創刊号の特集が「金芝河」であったことからでもわかるように、終止一貫して南の反独裁民主化勢力との連帯の立場を堅持した。しかし、これから直ぐに、反韓親北であるとの判断は下せない。反政府(反独裁政権)=反韓親北という公式は、独裁政権が民主化勢力を抑えるために作られた公式にしか過ぎない。在日において、反韓親北であるかどうかは、親総連であるかどうかによって判断可能である。 『季刊三千里』は、その創刊から、総連とは異なる独自の路線でもって編集されたと言える。その論調は、在日のおかれている現状に根差したもので、特に二世三世に大きな影響を與えた。総連は大衆組織から党派的組織に変貌しており、総連の指導下以外での活動は許さなかった。このため、総連にとって『季刊三千里』は排撃の対象でしかなかった。そこには根拠をあげて論争するという姿勢はみられず、まず総連組織をあげて『季刊三千里』の購読を禁止し、一方的に「反共和国謀略雑誌」と批判するのみであった。 これに対し、最初は論争にならないと断った上で、全面的な対応は避け、総連の党派的体質を批判し、異なる考えつまり『季刊三千里』の論調も認めろと言う自衛的な対応であった。しかし、韓徳銖議長のあからさまな『季刊三千里』批判から様相は激変した。『季刊三千里』は、総連の唯一指導者の韓徳銖議長を直接批判することによって、総連に対しの対決姿勢を明らかにした。そして、総連の体質批判を越え、今の体質では在日朝鮮人の団結ひいては統一に弊害にしかならないと、総連を全面否定するに及んだ。 『季刊三千里』の立場は、親北(朝鮮)ではなく、反北(朝鮮)である。そして、「反韓親北雑誌」ではない。
  • 16.

    2010년 민주당대표선거 분석

    Lee Jinwon | 고선규 | 2011, (48) | pp.281~300 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    2010年9月14日に行われた民主党の代表選挙では、民主党が抱えている政策的な問題は勿論、日本政治が直面している様々な課題が選挙の争点となった。代表選挙には、菅直人首相と小沢一郎元幹事長が立候補したが、二人の出馬は民主党内の権力争いと政策的対立の性格をもっている。2010年の代表選挙の背景には、党運営をめぐる両陣営の対立と政策路線選挙システムの構築をめぐる対立が存在していた。2009年の総選挙と予算編成過程で小沢幹事長の独断的な党運営へ非小沢グルプが反発し、民主党の政策路線と関連しては、財政問題政治家主導日米関係沖縄普天間問題等をめぐって異なる政策路線を打ち出し、選挙戦が行われた。 代表選挙の結果、菅直人首相が勝利したが、勝敗は党員サポータの投票が決め手となった。党員サポータ投票で勝利は世論が反映された結果である。最近、日本政治で世論の影響力は非常に大きくなっている。今回、永田町の政治論理と世論の論理が対立する形で選挙戦が行われたが、結局世論が勝利したのは、日本政治の変化を現している。また、古い政治のアイコンとなった小沢幹事長の敗北は、従来型政治に対する反対と新しい政治へ期待を示している。
  • 17.

  • 18.

    도상국의 지역발전과 지방자치단체 국제협력의 유효성에 관한 이론적 검토 -일본의 지방자치단체를 중심으로-

    정기숙 | 2011, (48) | pp.325~352 | number of Cited : 5
    Abstract PDF
    Following the rapid progress of globalization since the 1990s, the face of poverty have changed drastically as well as the world’s economic structure. Poverty is often related to the ability and potential in the region, and so any plans that seek to improve the situation must now more than ever take into account such factors on a regional basis. In this thesis I wish to investigate the effectiveness of placing more emphasis on local government as one way to overcoming poverty issues, and to see what significance and value they could hold for international cooperation as a whole. I intend to investigate the extent to which such organizations are bringing about an improvement in their region, and through this ascertain the merits of the system as a whole.
  • 19.

    일본정부의 대일평화조약 시기의 ‘죽도’영유권 인식* -일본의 국회의사록을 중심으로 -

    Choi Jang-Keun | 2011, (48) | pp.353~372 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本稿は對日平和條約が締結された前後の時期に日本政府が‘竹島’の領有權についてどのように認識していたかを明らかにしたものである。特に日本の國會議事錄に見られる内容を中心に分析した。国会議事録の性格は日本政府の政策に対して専門委員が政府委員に質疑で政策の内容をただすものであるので、竹島の政策策定当時の認識を伺えるいい素材であると言える。研究成果としては、対日平和条約を締結する以前には竹島が必ず日本の領土であるとの確信を持っていなかった。しかし専門委員が政府に対して対日平和条約で日本の領土になるように努力することを要求していた。対日平和条約においては竹島の地位は確定されなかった。その理由は、竹島は無人島で韓国と日本が領有権を争っていたので連合国の間に意見が統一されなかったからである。にもかかわらず日本政府は対内的に対日平和条約で竹島が日本領土として確定されたと嘘をついた。その結果日本国民の中に国会議員さえそのような認識を持っていたのである。それは誤った認識であった。その後韓国が平和線を宣言してその境界線を越える日本船舶を拿捕するか銃撃を射った。その際に日本政府はその責任を韓国側に負わせるに失敗した。結局日本政府は韓日会談で論議することにして竹島を紛争地域の扱いをした。このように竹島に対する日本政府の領有権認識は流動的であったということは日本の領土であるとの認識が欠如していたからであろう。