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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

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2012, Vol., No.52

  • 1.

    止攝 諸韻의 中古音 再構 - 한일중 및 베트남・티베트 자료를 중심으로 -

    Kim dae sung | 2012, (52) | pp.5~29 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    The aim of this study is to verify the validity of my reconstruction Wei rhyme(微韻) [ ii] and [ iui] in Zhi rhyme group(止攝), using the literature on Sino-Korean, Manyō Kana or Japanese phonetic alphabet, Modern Chinese dialects, Sino-Vietnamese and Sino-Tibetan. The main grounds are as follows:First, in kaikou final all the initials in Wei rhyme are /의/ in Sino-Korean,whereas in hekou final velars and laryngeals are /위/, bilabials /이/. The fact that kaikou and hekou final both have /이/([i]) represents the vowel and ending of Wei rhyme in Ancient Chinese is [i]. Second, the sound value of the other i or ï in Old Japanese has similar sound quality to Wei rhyme, the former [ i i](or [ ii]), the latter [ ii] and [ i ui]. The reason that Manyō Kanas in kaikou final were made few use of seems to have something to do with the medial of the third division for which ones in hekou final were substituted. Third, Sino-Vietnamese has [i] and [ui], which have the same sound value to Sino-Korean. Finally, bilabials in Sino-Tibetan were reflected as yi[ji]. It appears that being based on y[j] the medial was not [ i], but [ i].
  • 2.

    통시적 관점에서의 한일 대우표현 비교 -성서언어를 자료로 한 분석-

    An, Jeong-Whan | 2012, (52) | pp.31~57 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
    本稿は韓国と日本との聖書言語をもとに、通時的観点から両言語の待遇表現を比較するところに目的がある。両言語における聖書翻訳は19世紀末から今まで約100年の間に何回か行われている。だから、この期間における両言語の通時的研究は直ちに両言語の現代語の有り様につながっていると言える。待遇表現をテーマとする本稿の研究意義もそこにある。 さて、本稿では両言語の待遇表現を素材敬語と対者敬語、そして接辞による敬語表現に分けて比較したところ、研究内容は次のようにまとめられる。第一、主体尊敬表現と客体尊敬表現に分けられる素材敬語である。主体尊敬表現は両言語の文語訳聖書で各々「~시~」と「~給う」の形で現れる。一方、口語訳では、韓国語の場合は文語訳との間に何の差も見られないが、日本語の場合は違う。つまり、文語での「~給う」形が消え、新しく「お~になる」、「~られる」、「~てくださる」及び動名詞形など各々通辞意味を異にする四つの形をもって表現されている。次は客体尊敬表現である。客体尊敬表現においても韓国語は文語訳と口語訳の間に目立つ相違点は見つからない。しかし、日本語聖書の場合、主体尊敬表現の場合と同様、文語訳と口語訳とでは表現の仕様が異なる。つまり、文語訳では「たてまつる」、「まつる」などの補助動詞をもって表現されているが、口語訳では「お~する」という文型として現れている。 第二、文末形態によっての対者待遇表現である。対者待遇表現においても韓国語は文語訳から普通体と丁寧体の区別が明確に行われていた反面、日本語はそうでないという相違点を持っている。つまり、日本語聖書の文語訳では普通体と丁寧体という区分が行われていない。しかし、口語訳に入って「~ます」「~です」という新しい形態が出始める。結局、日本語ではこれらの生成により初めて対者待遇表現が文法範疇に属するようになるのである。 最後に、接辞による敬語表現である。韓国語では、文語訳と口語訳とを問わず接尾辞「-님」だけが敬語の意味を加えるものとして働く。しかし日本語では文語訳と口語訳の間に相当の違いが見られる。つまり、文語訳では接頭辞「み-」だけがその働きを見せる。だが、口語訳では接頭辞「み-」が「み-」「おん-」「ご-」「お-」等に分れるだけでなく、同じ働きをする接尾辞「-さま」も現れはじめるのである。 本稿では待遇表現における両言語の本格的な対照は行われて
  • 3.

    <국어의 가나 문자 표기법>에 대하여 -한글의 音節末障碍音 가나표기를 중심으로-

    Lee, Kyong Chul | 김대영 | 2012, (52) | pp.59~76 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    本研究では、<国語の仮名文字表記法>による日本語の表記の問題について、表面性中心(surface-oriented)の理論である最適性理論(Optimality Theory)と対応理論(Corresp ondence Theory)の枠組みによる解決策について考察した。まず、日本語に借用語が受け入れる際に用いられる最小限の音声の実現制約を次のように提案する。 ‘Peak, *Complex ≫ Coda-condition, *C]V ≫ Max-IO ≫ Ident-IO[F],Max(coda) ≫ Dep-IO’上の制約によってハングルのカタカナ表記を分析すると、以下の二つの結果を得ることができた。一つ、ハングルの音節末の障碍音は日本語の持つCV音節構造により、開音節化されるのが一般的である。これはCoda-Conditionの違反を避けるためである。ただし、語尾に位置する音節末の障碍音/p, t, k/は日本語の語中で促音という特集音素で実現できる音価である。この場合、促音を入れずにただ開音節化した表記は促音を入れた表記に比べて上位の制約であるMax(coda)を違反することになる。従って、促音の入れた表記が日本語の借用語としての表記に適合する。二つ、語中に位置する音節末の障碍音に関しては*C]VとIdent-IO(closure), Max(coda)の制約が重要に働き、最適となる。しかし、上記の制約でも促音が挿入される全ての現象が説明できるわけではない。特に、今回の調査資料には存在していなかったものの、音価の構成によって一単語の中で促音が何回も出現できる危険性もまた内包されている。これらの問題に関しては例外になりうるような単語を選別し、今後の研究の課題として残しておきたいと思う。
  • 4.

    유대타동사의 의미용법과 분포상황에 관한 고찰 -사전 분석을 통해서-

    최병규 | 2012, (52) | pp.77~100 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    現代の国語辞典の動詞の語句の説明の上には必ず自他の区別が明記され、その下に活用の種類が書かれているが、この自他の分類は絶対的なものではなく、辞書によっては所々くい違いが見られる。自動詞と他動詞の関係は両者が対立するもの(有對他動詞)、対立する他動詞がなく自動詞だけのもの、その逆のもの、自動詞と他動詞に共用される自他同形(兩用動詞)という4つの場合が考えられるが、本稿では有對他動詞とその一種であるとされる兩用動詞について、その意味と用法及び分布状況に焦点を合わせて分析を行った。まず、第2章の有對他動詞の意味と用法関係については、従来の主体と客体の関係を考慮に入れて、この二つが同じ名詞の場合を「典型的な対立のあるもの」,違う場合を「典型的な対立のないもの」と分類し、さらに前者は(a)基本的な意味のもの(b)派生的な意味のもの(c)両方の意味を備えたものに下位分類して分析を行った。一方、後者はさらに(a)性質の違うもの(b)主体と主体の部分のもの(c)慣用的なものに下位分類して分析を行った。第3章では有對他動詞を中心に奧田靖雄の『連語論』に基づき、対応する自動詞がどのグループに多く存在し、その原因は何であるかを分析した。その結果、自他のペアのある動詞は、(1)<対象への働きかけをあらわす連語>、その中でも下位グループの<物に対する働きかけをあらわす連語>に特に多く、それはこのグループの意味的な特性の上から当然の結果であろう。第4章では、自動詞と他動詞に共用される、兩用動詞の意味と用法について調べてみた。これらには実際使用上2種類があり、よって方法論的に二つの説明の仕方、つまり、自他動詞と結合する名詞が同じであるかによる<説明の仕方1>と、実際にどっちの用法が主なものなのかによる<説明の仕方2>の分けて分析を行った。
  • 5.

    近代國民國家와 標準語政策의 史的考察 ー多文化社会를 향한 言語政策의 観点에서ー

    Hyung, Jin-I | 2012, (52) | pp.101~116 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    近代国民国家における標準語の概念は、フランス革命から始まった。さまざまな地方の言葉が話されていた当時のフランスの言語状況において、言語の統一は革命の成功とつながっていた。そこで、地方の言葉には迷信、反革命、連邦主義者、誤謬、損害などのネガティブな価値判断を与え、「撲滅」対象とし、標準フランス語には真理、才能などのポジティブな価値を与えた。 1900年代から本格的に始まった日本の標準語政策も、フランスにおける標準語の価値判断に基づいている。1903年日本全国における方言調査を実施し、「東京の教育ある人々の言葉」という、きわめて抽象的な概念の言葉を人為的に「つくっていく」のである。そのようにつくられた言葉は、「標準語」として国家的な権威が与えられ「美しい日本語」、「正しい日本語」として機能するようになる。反面、方言は「矯正」の対象となる。日本における標準語政策は、1950年代以降、「共通語」、「公用語」などの用語に置き換えられることで、国家主導の気運を払拭しようという動きをみせているが、依然として閉鎖的な規範をいえる。 朝鮮における標準語政策は、朝鮮総督府による綴り字改訂から始まる。その改訂において「京城の言葉を標準とする」という基準が設けられ、今日の標準語に至っている。そしてその後行われる「朝鮮語学会」のハングル研究の基盤となる。朝鮮における言語政策の特徴は、音声言語からなる「標準語」ではなく、文字言語を対象とする「綴り字改訂」に重点をおいていたことである。 いずれにせよ、近代国民国家における標準語政策は、フランス革命当時の標準語vs方言、善vs悪からそれほど変わっていないと思われる。但し、多文化社会に向けてさまざまな論争が起きているのは注目すべきであり、さらに活発な議論をしなければならない。
  • 6.

    外国語環境における教室活動について ―言語習得理論と用法基盤モデルから―

    丹野竜一 | 2012, (52) | pp.117~140 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     本稿は言語習得理論とLangackerの用法基盤モデル、Neisserの知覚循環モデル、認知的アプローチによる言語習得研究から外国語環境における教室活動のあり方を考察し、外国語環境の特徴を考慮し、JSL環境と外国語環境の共通点と相違点を踏まえて、外国語環境における授業の1モデルと教室指導上の注意点を次の6点提案した。① 認知理論に基づいた指導② 音声を重視した指導③ エグルール法(帰納法)を用いた指導④「意味-形式-場面」を重視した指導⑤ アウトプットと相互交流(interaction)を重視した指導⑥ 通訳翻訳訓練法の応用 これから求められるのは、JFL環境の学習者を対象にした事例研究の積み上げ、外国語環境での日本語学習にも用法基盤モデルや言語習得理論が適用できるのかどうかについての実証研究と認知心理学等関連分野からの検証、外国語環境の特徴を考慮した教材教授法の研究と開発である。現場の教師が従来の教え方に固まることなく、理論的実証的な研究成果を授業に応用する試みとともに、教室活動の一つ一つの練習の意味を問い直しながら、常に「いま学習者の頭の中はどうなっているのか。頭の中で何が起こっているのか」ということに敏感になることで、新たな教室活動の可能性に教師自身が気づくことにつながる。教育現場の気づきから生まれてくる新たな教室活動の可能性に期待する。
  • 7.

    言語文化教育におけるラング(Langue)・パロール(Parole)往還文化論

    류경자 | 2012, (52) | pp.141~154 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本研究では、言語文化教育の新しい方向性とその構築をめぐって、最近の言語文化教育のパラダイムの転換の発想として注目されているラングパロール往還文化論に対する体系的な考察を試みた。まず、ソシュールの理論であるラングパロールをめぐっての諸説について理論的な検討を行い、続いて日本語教育の中での言語文化教育の一つである「日本事情」について通時的に考察した。こうした考察を経て、さらに新しい言語文化教育学の構想を構築する基礎的な研究を行った。それは、言語文化におけるラングとパロールは、互いに関係しあうことで動態的で多様なあり方であるというラングパロール往還文化論について理論的な考察を行い、その実現のための、実践研究を通した教育実践の開示と議論の必要性について述べた。今後の韓国の日本語教育における言語文化教育の方法改善の上では、本研究に示されている言語文化教育についての理論と方向づけがとくに重視されなければならないと思われる。本研究では、研究対象の外におかざるをえなかった、言語文化教育学の理論の体系化、統合化については、今後の課題としたい。
  • 8.

    韓国人日本語学習者におけるCALL教材の授業利用と評価 ー『聴解:日本の生活「僕たちの日常生活」』を中心にー

    윤정훈 | 안병걸 | 2012, (52) | pp.155~170 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    尹他(2007a)では、数年間に渡る実践によってその効果が実証された英語教育の「三ラウンド制の指導理論」(竹蓋, 1997)に基づいて開発された日本語CALL教材「聴解;日本の生活「僕たちの日常生活」』を利用し、特別クラスにおいて実践を行い、有益であることが明らかになった。しかし、より現実的な利用のためには、教育現場における実践及び評価が必要であると考えられた。 本稿では、韓国の南ソウル大学校の日本語科の授業において教材を利用し、その結果を通して、日本語CALL教材の教育現場における実践例を示すとともに、総合的な評価を通して、教育現場における教材利用の可能性を明らかにすることを目的とした。その結果、実践例を示すとともに、事前事後テストと受講生の意見及び感想を通して、全体的に有効利用の可能なな教材であることが明らかになった。 本研究の意義は、(1)教育現場における日本語CALL教材の実践例を提示し、CALL 利用の参考資料を提供できたこと、(2)教育現場における日本語CALL教材の利用においても、有効利用の可能性が明らかになり、最終的には水町他(2003)と水町他(2006a)水町他(2006b)と尹他(2007)についで、「三ラウンド制の指導理論」に基づく日本語CALL教材の有効利用の可能性を裏付けることができたことである。また、今後の課題としては、(1)教材のレベルに合う中上級レベルの学習者を対象にした調査をする必要があること、(2)CALL教材のみを利用した授業実践を通してCALL教材のみの有効性を明らかにすること、(3)実験群と統制群による調査を通し、CALL教材を利用していない学習者に比べ、CALL教材を利用した学習者の成績の伸びを明らかにすることが考えられた。
  • 9.

    日本語母語話者と韓国語母語話者の 「再勧誘」に関する一考察 -ポライトネス理論の観点から-

    정재은 | 2012, (52) | pp.171~189 | number of Cited : 2
    Abstract PDF
     本稿では、日本語母語話者と韓国語母語話者の「再勧誘」行動をポライトネス理論の観点から考察し、その相違点と共通点を明らかにした。勧誘には相手とのやりとりの中で、話し手が相手の反応を窺いながら会話を進めていくという特徴がある。そこで、本稿では勧誘者側だけではなく勧誘される側の反応や意識にも注目して考察を行った。調査方法には、談話完成テストと意識調査の2種類を用いた。調査の結果、以下の点が明らかになった。(1)韓国語母語話者の場合、勧誘される側は「他者によく思われたい、理解されたい」というポジティブフェイスの欲求が強く、勧誘する側にも相手のポジティブフェイスを重視する傾向がみられた。ネガティブポライトネスストラテジーに配慮した発話も少数ながらみられたが、全体的な傾向としてはポジティブポライトネスストラテジーの使用が優勢であった。(2)日本語母語話者の場合、勧誘される側は「自分の領域に他者にむやみに踏み込まれたくない、他者に邪魔されたくない」というネガティブフェイスの欲求が強く、勧誘する側にも相手のネガティブフェイスを重視する傾向がみられた。ポジティブポライトネスストラテジーに配慮した発話も少数ながらみられたが、全体的な傾向としてはネガティブポライトネスストラテジーの使用が優勢であった。(3)「再勧誘」行動においては、日本語と韓国語のいずれにおいても両方のポライトネスストラテジーが使われており、それぞれの言語にはより好まれるポライトネスストラテジーが存在することが分かった。そして、その異同は両国の文化や価値観の違いによるものであると言える。
  • 10.

    類義語「急に」と「突然」に関する一考察 -新聞コーパスを用いて-                   

    조은영 | 2012, (52) | pp.191~209 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
     副詞「急に」「突然」は「ある事態が瞬間的に成立する」ことを共通点とする類義語で、これまで内省による質的な観点で研究がなされてきた。本稿では、新聞コーパス、3年分から1,000例ずつ抽出し、客観的計量的な方法で「急に」「突然」の現れる事態について、共起する述語を分析し、各類義語に現れる事態の特徴を明らかにした。 分析の結果、「急に」は、「なる」「する」順で、「突然」は、「する」「なる」順で多く出現した。「する」「なる」の他、共通的に「言う」「変わる」「出る」「失う」が現れた。「急に」は、連続する過程の中で成立する「増える」「減る」「上がる」、「突然」は、一回で成立する「現れる」「倒れる」「崩れる」とよく共起した。特に、「急に」は、時間的な幅での検討のみならず、空間的な変化や急いでいる動きの様子の「急にする」「急になる」が見られた。 本稿で先行研究の記述に付け加えられるのは、「急に」の現れる事態とは、人の感情精神感覚思考など外部に対する主体の内面の変化、連続する過程で成立する事態、自然物物事が時間的空間的に変化する事態、人や物事の動きが急いている事態が多い。一方、「突然」の現れる事態とは、地位や場所などを含め、主体の存在の外面的な動作の動きや状態の変化、病気など、ある原因による人の状態の変化、望ましくない結果になった事態が多い。成立する事態は、一回にとどまることが多いことである。
  • 11.

    覚一本『平家物語』における運命意識 ー因果的世界から運命意識へー

    오기훈 | 2012, (52) | pp.211~228 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
     『平家物語』という作品は平氏一門の栄枯盛衰を主題として描いたものであって、その全編をつらぬく原理的世界観である無常観は、常識化され、そのため戦前のほとんどの『平家物語』諸研究は、「無常文学」という観点に基づいて行われたようである。 しかし、無常観を根底にして『平家物語』を読もうとすることから、新たな方向性を提示する研究などが出された。その中、新たな読み方の軸として具体的に提示されたのが「運命」であって、これが当時の『平家物語』研究に非常に大きな反響を呼び起こし、また戦後の『平家物語』研究に多大な転機を与えることになった。 既成秩序が崩れてしまう、混沌とした時代が要請する人間の生き方を描くのに際して、『平家物語』は人間の限界を越える力、つまり、運命の存在を認めずにはいられなかった。勿論、『平家物語』全体をもっぱら運命意識という要素を表すための作品と位置づけることはできない。ただ、作品の全編を通して運命意識は大きな支柱的役割を果たしていて、ほとんどの事件が運命的な観点から出発し、運命的な流れに乗じて展開され、最終的に運命的に結論付けられてしまうことがわかる。 では、『平家物語』に見られる運命意識は如何なる性格であったか。まず、因果応報の思想の根底をなしている「果報」的運命意識である。これは様々な平安朝の作品のなかで頻繁に出ている宿世観を引き継いだ、絶対的な運命意識であり、果報的な運命意識である。 『平家物語』はこのような因果応報観に基づいて、平氏一人一人個人の運命を一門の罪による「果」として考えても、集団の興亡の運命にかかわると、もはや「果報」的運命といった見方から離れて説明解釈しようとした。それこそ集団に対する偶然的歴史的運命観である。そうした偶然的歴史的運命観を登場する人物らに様々な形で体験させ、語らせることで、作者は豊富な人物像を造型するに成功したのである。
  • 12.

    일본근대여성의 직업의식 고찰 -『세이토(青鞜)』1기(1911~12년) 작품을 중심으로 -

    Park, You-Mee | 2012, (52) | pp.229~245 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本研究の目的は、日本で最初の女性による文芸誌とされる青鞜の一期の評論と小説に見える日本近代女性の職業意識の考察にある。日本の女性の職業が社会全般へ拡がるのは大正期、特に第一次世界大戦の前後であり、そのゆえ、近代日本の女性の職業に関する研究においてもたいていこの時期に照明が当てられている。しかし本稿は近代女性の職業の意識がどのように変化していくかを明らかにするため、大正はじめごろの過渡期的な現象に注目した。結婚しない新しい人生を夢見、自立に憧れ、職業で成功したいと願っていた女性たちは、たいたい文学か芸術を追求していた。そのゆえ、らいてうをはじめ数多い女性たちが稼ぐための職業は軽視する反面、文学や芸術など才能をいかすことができる仕事を'天職'として自分の人生の意味を探ろうとした。女性の教育が高くなるに伴い自分の意志を持って新しい人生を開拓しようとする、女性みずから職業を持とうとする傾向を見せたとは言っても、小説に描かれている多くの女性は貧しい家の環境によって、もしくは結婚する前までという限定で職業に就く場合が多かった。たとえ本人の願ったことだとしても彼女たちの理想とは違って、現実の職業婦人の境遇は厳しいものであったので仕事に誇りや使命よりむしろ喪失や敗北を感じるようになる。しかしそうであっても職業婦人としての新しい状況が彼女たちに新しい人生観、社会観をもたらしたという事実を否認することはできない。職業が女性の新しい生き方として認められていたどころにその意味があると言えるだろう。
  • 13.

    〈치료탑〉이라는 예계(豫戒) -오에 겐자부로 『치료탑』・『치료탑 혹성』론-

    InSun Song | 2012, (52) | pp.247~267 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    大江健三郎が一九九〇年代に書いた二つの小説『治療塔』と『治療塔惑星』は、SF 的想像力が展開する〈近未来小説〉として知られている。この論文では、最後まで解けない謎として残る〈治療塔〉の多義的で象徴的な意味を追究するとともに、未来の地球と人類の姿を通して作者が科学テクノロジーに基づく現代文明を如何なる観点から捉え批評しているのかを検討した。そして『治療塔』と『治療塔惑星』の執筆中に可視化する冷戦の終息と湾岸戦争の勃発が、二つの小説の中では人類の過去と現在、未来を自由な想像力で行き来しながら寓意的なメッセージとして描かれており、結局それは、変動する世界秩序の中で形を変えて新たに頭をもたげる植民主義への作者の警戒にほかならないことをも確認できた。原爆ドームは、もしかしたら地球上に最初に建造された〈治療塔〉だったのかもしれない、という朔(男の主人公)の呟きから分かるように、〈治療塔〉連作は、人類と地球の本当の再生はわれわれの省察に拠るものであるという大江の緊急のメッセージを伝える小説である。過去の教訓を踏まえた上で魂の治癒を図り、支配差別暴力の世界観の廃棄を可能にするわれわれの省察は、とりもなおさず、個々の生命が平等に自らの尊厳を取り戻し再び再生のサイクルの中に置かれることを願って、各自考え方と生き方を根本から建て直すことを意味する。要するに、大江健三郎の〈治療塔〉連作は、現代人の転覆した価値観やそれに伴う具体的な生活様式が‘明日’の生存を封鎖しないように、歪んでいる‘今日’の総体的な治癒を促す作者の予戒として書かれた小説である。
  • 14.

    엔도 슈사쿠(遠藤周作)의 역사소설에 대한 고찰

    Yook, Gun-Wha | 2012, (52) | pp.269~288 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本論文では、既存の研究分野ではほとんど触れられることのなかった遠藤文学の歴史小説に対する分析を通して、各作品の主たるテーマと特質、遠藤文学における歴史小説についての意味などを考察した。 遠藤の歴史小説は日本の戦国時代とキリシタン迫害を主たるテーマとしており、作家としての視線も純粋文学同様、‘弱者’に対する暖かい包容性を保っている。 遠藤の歴史小説に対する意義としては、実在した歴史上の人物たちの生き方を通して、真の人間としての生き方とはどんなものであり、真の幸福と安息はどこにあるのかについて、絶えることのない省察が展開されている点を上げることができる。 ただし、純粋小説より信仰の問題が弱めに表出されているという点が特色で、純粋小説ではキリスト教の唯一神と個人信仰の問題が作品の全面に持ち出されているのに対し、歴史小説では教会と組織という人間の集団と個人の問題が隠喩的に描出されている。 浮かび上がってきた小テーマの違いとしては、純粋小説は母性的な愛の神についての存在を、歴史小説は母性的な愛を施す女性や忠臣らの存在を、純粋文学は信仰の強者の中の弱い性格を、歴史小説は権力の強者の中の弱い心情を、純粋小説は‘背教’についての、歴史小説は‘反逆’についての真の意味を反芻させるようにしている点である。 しかし遠藤文学という大きな枠組みで見ると、歴史小説も純粋文学と同様、人間は強者と弱者という二分法で分けることはできない弱い存在とし、彼らの神の不在による悲劇的な人生と無常感は絶えず神の恩寵と助けを渇望することになるという‘人間共通の普遍的指向’を見せていると言えよう。 すなわち、遠藤文学の‘日本におけるキリスト教’と‘日本人にとっての神の存在’という大きいテーマの中に、遠藤の歴史小説も共に包含させることができると言える。
  • 15.

    에도시대 일화가 漱石와 鴎外 문학에 미친 영향 고찰* - ‘야채가게 오시치(お七)’ 사건을 중심으로 -

    Yun Hye Young | 2012, (52) | pp.289~302 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本論文では、江戸時代の一つのエピソードであるお七及びお七事件が大衆化された過程と、それが漱石と鴎外の作品の中にどのように投影されているかについて考察してみた。まずお七は井原西鶴の『好色五人女』の主人公として以来全国的に広がり、火と関係のあるお七事件は丙午年の迷信が広まりながら大衆性を確保し、明治時代へと伝播された。このような背景からお七及びお七事件は近代文学を代表する文豪である漱石と鴎外に作品に登場するに至ったのであろう。漱石の場合まず『虞美人草』においてお七から広がった丙午年の迷信を効果的に引用し、道徳が缺乏した自我の強い藤尾の性格を代表的に象徴しながら藤尾の愛とその行步に対して否定的な視覚を持たせ、また不自然とも思われる彼女の死に納得できるような仕掛けになっていると言える。また『三四郎』では外面では新しい女としての条件を揃えている美禰子の恋に対し漱石は「お七時代の恋」だと言っており、時の新しい女性の限界、強いては近代社会が持つ「外発性」を批判している。一方、鴎外は自分が知りたかった歴史的な事実がお七が作った袱紗と関係があることに興奮しており、『澁江抽斎』と『寿阿彌の手紙』の中に、できるだけありのままの事実を加工しないでお七及びお七事件を比較的詳しく記録している。鴎外の文学の中でお七は生きた歴史として復活しているのであろう。小説と史傳というジャンルの差はあるが、漱石と鴎外は大衆性を持ったお七を作品の中に挿入しながら自分達の優れた文学者的な力量を發揮し、作品のテーマを極大化させ作品の特徴を浮刻しているといえる。
  • 16.

    우키요에(浮世絵)풍경화 - 속(俗)의 기호행동론적 해석 - 히로시게 『명소에도백경』-

    김애경 | 2012, (52) | pp.303~327 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    本稿は広重の『名所江戸百景』シリーズを<記号行動論>という枠組みを適用して作品に描写された<俗>的な側面(人間描写)の分析を試みた。分析の結果、浮世絵作品のイメージを記号で見て、作品が対象体をどのように表現したかを分析するということは、表面的によくあらわれない潜在されたイデオロギーを科学的な方法によって把握することができた。また、今まで多様な主観的な分析用語を使わなければならなかった浮世絵の解釈において、統一された分析用語を使用することができた。このような側面で絵の<記号行動論>は象徴的意味の借用が多い広重作品の特徴上、現代人の視線からみると単純に"叙情的な表象"と表面向きの解読に終わりやすいテキストを分析することにおいて、その意味生成経路を理解できるようにして分析的論理とともに美学的な面の吟味も可能にすると思う。
  • 17.

    일본정년제도 변화와 고령자 고용창출에 관한 연구 - 일본기업의 고용사례를 중심으로 -

    Kim, Tae Young | Youngeon Yim | 2012, (52) | pp.329~350 | number of Cited : 3
    Abstract PDF
    日本では1970年代より高齢者に対する積極的雇用政策の取組みが始まり、現在まで継続して実施されている。高齢者の雇用を促進するための施策としては定年制に関する規制をはじめ、職業相談紹介の強化など様々である。このような労働力需要側である企業(事業主)に高齢者の就労決定を促すための助成措置を含む支援施策は、主として厚生労働省により多数実施されている。高齢者雇用対策における雇用調整への公的介入には、①実質賃金引き下げに作用する(賃金補助)支援、②法律制定や行政指導等による支援、③再訓練等により人的資本を高め生産性の向上につながる支援、④雇用環境整備による支援など大きく4つに区別される。また、公共職業安定所を中心に中高年齢者に対する再就職支援を実施している。このほか、高齢者等の安定した就職の実現を図るため、常用雇用に向けて高齢者を一定期間雇用する事業主に対して、中高年齢者雇用奨励金を支給するとともに、60歳以上の高齢者を雇い入れた事業主に対して、特定求職者雇用開発助成金を支給している2006年4月の高齢者雇用安定法の改正施行により、企業は2013年までに、①65歳への定年延長、②定年制廃止、③60歳定年を前提にした65歳までの継続雇用という三つの中で何かを選択することになった。ほとんどの企業は継続雇用制度を採択している。このような研究結果は既に高齢化社会に入った韓国社会にも示唆するものが大きいと考えられる。
  • 18.

  • 19.

    일본의 십이지(十二支) 유래 설화 - <쥐와 소의 경쟁>과 <쥐와 고양이의 갈등>을 중심으로 -

    송영숙 | 2012, (52) | pp.369~389 | number of Cited : 1
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    『日本の民話』において十二支の由来に関する内容は、<ネズミとウシの競争>タイプの4話と、<ネズミとネコの葛藤>タイプの4話に分けられる。前者のタイプは二匹の動物の体の大きさに焦点を会わせた内容で、体が小さくて弱者と見なされるネズミが、謀計をめぐらして自分よりずっと大きなウシを制圧し十二支で一等になる話だ。本稿では、このような話が生まれるようになった理論的背景を、足指偶奇説と陰陽時位説から推論して分析した。後者のタイプは、ネズミの嘘によりネコが十二支から除外されるという共通した叙事的構造となっている。すなわち、ネズミはネコに動物たちが試合する日を一日遅く嘘をついて教え、結果的にネコは十二支に入ることができなくなった。これを後で知ったネコは、その時からネズミを捕まえるようになったという由来談でもある。このように、十二支の由来説話においてネコが除外された由来を、本稿では吉野の陰陽時位説に立脚して結論を提示した。言い換えると、十二支で寅に当たるトラは動きの象徴性を持ち、同じ科に属するネコも同じような象徴性を持つため、十二支からネコが排除されたものと推論した。日本の十二支の由来民話の特徵は、十二支で一等と二等になる「ネズミとウシの競争」を中心に扱っており、ネズミがネコを騙す「ネズミとネコの葛藤」ももれなく登場する。残りの十二支の動物については、その順位がどのような方法で決定されたのかについて、まったく言及されていないのも共通している。これを仏教の十二支の由来説話と比較してみると、絶体者によって十二支が決定され、ネズミの謀計でネコが十二支から除外されてネズミが一等になるという同一の叙事的構造であることが分かる。日本にネコが入ってきたのは、唐の国から仏典を運ぶときにネズミの被害を防ぐためであり、ネコが高価で珍しい動物であった時代的な状況を考慮すると、日本の十二支の由来説話においてネコが除外される話は、仏教の十二支の由来説話が入ってきた影響であると推論できるであろう。民衆に親しみのなかった動物が、民話の中に主人公として登場するのは不可能なことであったからだ。特に、日本の十二支の由来説話において、ネズミが謀計をめぐらしネコに代って十二支に入り一等になる内容と、他の十二支の動物については特別に言及がないという同一の叙事的な構造もこれを傍証している。
  • 20.

    일본인 다문화가정의 생활과 지원 -충남의 농촌지역을 대상으로-

    Lee, Deok-Ku | 2012, (52) | pp.391~413 | number of Cited : 2
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    本稿は、この間の『多文化家庭サポート事業』が結婚移住女性の出身国家による特性や文化及び地域社会の特性をまともに反映することなく一括した方法に進行されて来たという問題意識から始まる。特に日本人女性結婚移民者の場合は、宗教的な理由を持って韓国の男性と結婚し、入国した場合が多くて、その後の諸問題を教会(統一)に頼って来たと言え、『多文化家庭支援センター』の利用率はそれほど高くなかったのが事実である。そこで本稿では、忠南の農村(洪城、禮山、青陽)地域に住む日本女性結婚移民者を対象にして、結婚の動機や子育て及び国の多文化政策などを含む移民生活全般に関する意識調査を行い、韓国社会における生活実態を明らかにした上、日本人女性結婚移民者たちが持つ特性などの分析をおこない、その特性に合った支援方案を取り出そうとした。その結果、本稿での日本人結婚移住女性は全員が宗教的な理由で結婚しており、比較的に滞在期間も長く、言葉を始め韓国での生活全般によく慣れている場合が多かった。しかし、 経済的な面においては平均以下の貧困に困る家庭が多く、その原因としては配偶者の怠けに因る場合が少なくないことが分かった。 総合的に日本女性結婚移民者たちは、韓国文化を積極的に理解して収容しようとする姿勢を持って、幸せな家庭を作ろうとしていると言える。ここには統一教会の役割もあったように見られる。従って、日本人多文化家庭における支援政策は、成長した子供に対する教育支援と共に配偶者及びその家族に対する教育支援に焦点を合わせ、統一教会と助け合いながら実行すればもっと效果的であろう。
  • 21.

    「武士道」뒤집어 보기(其三)

    정장식 | 2012, (52) | pp.415~432 | number of Cited : 1
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     武士(武士道)のイメージは誇張され、その実体も歪曲された。このように赤穂浪人の仇討ちも美化されて『忠臣藏』で伝われたが、浪人が「忠義の義士」に変わる過程で武士の復讐には誇張と歪曲が加えられた。殉死を意味する「追腹」,「義腹」,「論腹」までは良かったが、子孫が受ける恩恵を計算した「商腹」まで出て、殉死の意味は変った。『阿部一族』も、殉死をめぐって起きた武士の名誉と葛藤であった。乃木将軍の殉死は、中世の侍を志向した明治の侍が、過分な名誉に悩んだ挙げ句、殉死で不名誉を払い除ける道を探し出したのではないだろうか。 德川幕府は武士の暴力を制限したが、武士の名誉に関わる仇討ちは禁じられなかった。時代の流れで武士の存在は薄れたが、武士の名誉文化は命脈を保った。武士の仇討ちは人間本性を刺激し、劇的な要素があったので、赤穂浪人の仇討ちは美化されて人々のロマンとして残った。中世の切腹は名誉を守る勇名の誇示だったが、徳川時代には武士の死刑になり、これも変って首切りの変形になった。後には、「扇子腹」という首切りの変形も切腹と認めるようになった。組織の中で毀損されやすい武士の名誉を守って来た殉死、復讐、切腹は、武士の暴力の華やかな花火のように認識されたが、その裏は伝統の原形から変化を辿って来た。
  • 22.

    민족교회의 “어머니신앙”과 바이블 우먼

    최은주 | 2012, (52) | pp.433~451 | number of Cited : 0
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    本稿は日本社会において「民族教会」と表象される在日大韓基督教会を対象に、当教会の"オモニ信仰"という概念に注目したものである。"オモニ信仰"とは、当教会が標榜する民族的なアイデンティティに関わる概念として、信仰の先輩がすなわち自らの親に当る信仰の世代間継承を特徴とする在日大韓基督教会において、民族を表象する一つのメタファ-として'オモニ'が用いられたものである。したがって、教会の中の不可視化された領域において巨大な力を発揮してきたオモニ信仰に注目することは、在日大韓基督教会の民族的な性格を理解するために必要不可欠な要素である。 ここでは、教会の民族教会としての基盤がその長い歴史にある点に着目し、戦前のカナダ長老教会宣教協力期において、外国人宣教師たちによってバイブルウーマンと命名されていた女性伝導師の存在を浮彫りにする。それは朝鮮から由来するその名称とそれと関わる彼女たちの存在の意味、教会内の位置を分析することで、オモニ信仰の具体的な表現である「誠米」に内在するジェンダー構造を明確にするためである。女性の構造化された自己犠牲という誠米の基礎は、戦前の女性伝導師をめぐる考察から明らかになり、したがって、民族教会の"オモニ信仰"という概念に内在するジェンダー構造も明確になるのである。