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pISSN : 1226-3605 / eISSN : 2733-8908

2020 KCI Impact Factor : 0.27
목적과 범위
본 학회는 1996년도 설립 이후 학회 명칭에 걸맞는 정체성 확립과 특화된 학술지 발간을 위해 부단히 노력하고 있다. 연 4회 발행하는 학술지 『日本文化學報』는 일본어학・일본어교육, 한일어대조연구, 일본문학, 한일비교문학, 일본학 등 광의의 일본문화와 관련된 참신하고 창의적인 논문을 수록하고 있다. 이를 통해 한국에서의 일본 관련 연구의 활성화와 학술 발전의 도모를 주된 목적으로 한다. 
권오엽 (충남대학교)
  • KCI IF(2년) : 0.27
  • KCI IF(5년) : 0.23
  • 중심성지수(3년) : 0.516
  • 즉시성지수 : 0.0735

최근발행 : 2020, Vol., No.87

  • 『お伽草子集』「和泉式部」에 관한 小考

    남이숙 | 2020, (87) | pp.5~22 | 피인용수 : 0
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    In“Otogi Zoshi”, Izumishikibu is described as a prostitute. Domyo was abandoned by her at an early age. He grew up and became a fine monk, but he committed adultery with his mother. Shikibu noticed that they had committed incest, and she became a nun. In the story, the image of Shikibu was different from her general character. Her romance was fictionalized. This kind of fiction was already used in medieval tales. Both of them were famous poets. Shikibu was a free-spirited woman, and Domyo was a monk who was famous for reading sutras clearly. This is why they were described as a romantic couple in stories. why did the main characters commit mother-child adultery? It can be said that the Muromachi period, during which this work was written, reflected the possibility that all moral and value pursuit in the world was not normal due to the war. Such plots seem crude and simple, but they seem to contain the author’s detailed intentions. Men are the existence of desire, and it is a man who pursues it. This plot draws the most fundamental desire of maternal and child adultery into the story and leads the main character to Buddhism. This is thought to be because Buddhism is most effective in preaching the last commandment after letting readers savor and enjoy human desires. It can be said that the was good at calculating the taste of stories between the aristocrats and ordinary people who were readers of the day.
  • 『源氏物語』蜻蛉巻の薫の独詠歌の意義についての一考察 ―物語の終焉との関わりを中心に―

    윤승민 | 2020, (87) | pp.23~39 | 피인용수 : 0
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    『源氏物語』蜻蛉巻における薫の独詠歌は、彼がこの歌を詠んだきっかけはさまざまであるが、歌の 内容は薫の空しい心情を表しているという共通点がある。この三首はただの薫の独詠歌として受けとめても 物語を理解するにはさほど問題はないようにも思われる。しかし、「画賛的和歌」という概念をこの独詠歌 に導入すれば、物語を総合的な観点からより的確に把握することができるのであろう。 この三首はいずれもこの歌を詠むことによって薫の心境が改めて語られ、かつ整理され、局面が転換す る機能を果たしている。ひとつの話題がいったん締め括られた印象を与え、一連の話題を一つの場面として 定位させるという作中和歌の役割をここでも見出すことができると思われる。つまり、より広い意味での「画 賛的和歌」として理解してもよいのではないだろうか。 これらの歌を詠むことによって我々読者は喪失感を抱き、さびしく一人ぼっちの薫の姿を想像することがで きる。それぞれの場面で、薫を主人公とした一幅の絵をみているような印象も受ける。まるで聴覚的な和歌 が視覚的な一つの場面を演出させているともいえよう。
  • 天皇制の過去と現在 ―天皇の代替わりと現代日本―

    가쓰라지마 노부히로 | 2020, (87) | pp.41~53 | 피인용수 : 0
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    近現代天皇制がいかに「特異」なものであるかを示すためには、徳川時代までの天皇・天皇論を見 ることが有効である。すなわち、徳川時代の天皇・朝廷は、武家王権の成立によって王朝が実質的に 交替したものの、武家王権にとって利用価値がある限りにおいて、辛うじて存在が許容されていたに過ぎな かった。天皇制を日本の歴史・政体の特質と捉える思想は、日本ナショナリズムの作動と共に本格的に 登場することとなるが、明治維新後に「伝統の創造」を課題とする国民国家の「伝統」の内容として整 備され、正統的日本論の骨格的部分に、万世一系の現人神(あらひとがみ)天皇を戴く日本という主張が 繰り返された影響が大きい。