Korean | English

pISSN : 1229-6309

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2008, Vol., No.24

  • 1.

    A comparative Study on allomorph of the idioms in Korean and japanese

    kwon ik ho | 2008, (24) | pp.21~38 | number of Cited : 0
    Abstract
    本硏究では、慣用語の一般的な特徵を整理し、慣用語の變異形に関する全般的な槪念と特徵を考察してみた。また、慣用語の變異形を統語的制約、即ち統語的固定性の観点から韓日對照を行ってみた。今回は變異形の類型の中で連体形、尊敬、否定、命令など4つに分けて、韓日それぞれの慣用語の變異形の特徴を対照考察することにした。 その結果、両語とも統語的な制約、つまり統語的固定性が強ければ強いほど変異形となるのが難しくなることが分かった。しかし、部分的また状況によっては慣用語の統語的固定性が弱くなり、統語的な変形即ち変異形の可能性が高くなることも分かった。ようするに、統語的な変形を受けられる慣用語は両国とも変異形になることが比較的多く、あまり受けられない慣用語は変異形になることが比較的少ないということである。そして、今回の研究で感じられたのは韓国語より日本語の方が統語的固定性が比較的きびしく、変異形の可能性も低いことである。また、統語的固定性が慣用語の持っている全般的で絶対的な変異形の基準ではないことが今回の研究で明らかになった。従って、韓日両国の慣用語の變異形の考察も、まず意味論的次元から再接近して試みなければならないという必要性があると思われる。 今後の課題として、本稿では及ばなかった意味的観点からみた変異形の考察についても体系的な研究を試みたいと思う。
  • 2.

    The attrition over the remaining Japanese in Korea

    木口政樹 | 2008, (24) | pp.39~54 | number of Cited : 1
    Abstract
    日本の統治時代に日本語を学びながら、戦後60年、ほとんど日本語を使ってこなかった韓国人高齢者の話す日本語を収集し、そこに見られる特徴を分析したものである。言語変容のなかに衰退的傾向と生産的傾向が存在することを指摘する。特に「行くです」などまったく新しい形式となる「Vデス」の形が見いだされた点に注目したい。
  • 3.

    The acquisition of style shift in Japanese by korean speakers when expressing “cause” and “reason”

    lee kil yong | 2008, (24) | pp.55~74 | number of Cited : 1
    Abstract
    This paper focuses on the acquisition of style shift competence of 4 Korean speakers through the analysis of expressions of cause and reason used in both formal and casual speeches. First, it was observed that, in a certain stage of the acquisition process, the learners built their own original style sift system as their competence in the language increased. They acquire the forms “kara”, “node” and “nde” in an accumulative way and begin to shift between them according to the situation’s formality. Also, it became clear that style shift between these three forms was due to two linguistic factors: phonetic similarity and semantic constraints. In other words, the learners tend to avoid the form of “node”, “nde”, because of its similarity with the simplified polite form “ndesu”. As for the semantic constraints, they avoid the “ndesukara(nodakara)” form because it has an implicit meaning of reproof when the speaker offers new information unknown to the hearer.
  • 4.

    Linguistic Features of Affixes in Korean and Japanese neologism

    YimYoungCheol | 성민희 | 2008, (24) | pp.75~98 | number of Cited : 1
    Abstract
    社会が急速に変わることによって社会の意思疎通手段である言語もその変化に歩調をあわせて新たに作られ、意味変化を起こしたり、時には消えたりする。そして言語の多くの層の中でこのような一連の社会変化を最も直接的に現わしてくれるものが正に語彙と言えるだろう。 新たな文物や制度の導入は新たな語彙の生成を不可欠にさせ、消えた文物や制度もなおかつ該當する語彙の消滅や意味変化に直接的に係わるからである。このような語彙を構成する単語の数は単に韓国語のみならず、どんな言語であっても極めて膨大でその語彙は絶えず変化する開放的な集合であるため、非常に無秩序のように見える。 そこで本研究では語彙の中で高い生産性を持つ接辞に注目し、韓国と日本の新語の中で接辞について論じようとする。 研究資料としては、アンケート調査で集められた1000個の韓国の新語リストを土台にして、その中に接辞が付く単語のみを抽出して派生語が新語全体の中で占める割合を調査した。 また接辞の種類によって接頭語、接尾語、語尾に分類し、日本の新語での接辞と比較․分析して韓国と日本の新語での接頭語、接尾語、語尾の特徴とともに発生要因についても考察する。 以上のように本研究では韓国と日本の新語において現われる言語的な特徴を接辞を中心にして分析し、考察を進めることとする。
  • 5.

    On the beliefs of the Korean learners in Japanese study

    Cheon, Ho-Jaee | 2008, (24) | pp.99~120 | number of Cited : 2
    Abstract
    本論文では日本語の学習法および教授法についての韓国人日本語学習者の意識を考察した。本論文では設問内容の結果を言語の内的要素と外的要素に二分類し、前者の言語内的要素はさらに日本語の発音、正確性、語彙および文法、言語4技能についての学習者の意識に分けそれぞれの設問結果を分析した。後者の言語外的要素についての学習者の意識はさらに言語習得、学習道具、コミュニケーション、文化学習についての学習者の意識に分け分析を行った。 まず前者の言語内的要素についての学習者の意識のなかで、第1に日本語発音学習についての学習者の意識は、日本語を流暢に発音すべきであることであった。第2に、正確性についての学習者の意識は、日本語の駆使において発生する誤謬そのものに対して相當否定的な視覚をもっていること、学習者たちは日本語の駆使に誤謬が必然的に発生することを認識していながらも、日本語の駆使そのものに対しては相當高い欲求をもっていることが分かった。第3に、学習者は日本語の学習において語彙学習と文法学習の重要性を大いに認識しているということである。最後に、言語4技能学習についての学習者の意識は話すことを、聞取りより難しいと考えていること、ひいては話すことより読むことと書くことのほうを難しいと考えていること、読むことと書くことより聞くことと話すことなどの実用的な面に優先的に学習意欲をもっていることが分かった。 次に後者の言語外的要素に対する学習者の意識の中で、まず第1に、言語習得についての学習者の意識は、さらに年齢と言語習得、能力と言語習得、日本語の特殊性有無、母国語と言語習得、學習空間と言語習得、學習行動と言語習得、性別と言語習得についての学習者の意識に分けることができた。学習者たちは年齢が低いほど日本語の習得が容易であり、知的能力と日本語の習得能力は比例し、日本語は特殊ではなく、韓国人は比較的に日本語の習得が容易であると答えた。日本滞在と日本語の学習、学習者自身の反復練習と日本語の知識は互いに比例し、毎日1時間ずつ学習すれば日本語が上達すると答えた。さらに日本語の聞取り能力と日本語の知識、聞くこと、単語および表現の暗記と日本語の知識が比例することを学習者たちは認めた。第2に、学習道具についての学習者の意識はほとんどの学習者が日本語の学習に視聴覚器材の使用が必要であると答えたという点で確認できた。第3に、コミュニケーション能力について、ほとんどの学習者はその能力が半無意識的に身につけ、形式より内容がコミュニケーション活動により大切であると答えた。最後に、日本文化学習については日本語の正確な使用と文化学習が比例すると答えた。
  • 6.

    the modification of Utagaki

    Ku Jeong Ho | 2008, (24) | pp.121~138 | number of Cited : 0
    Abstract
    日本韻文文学の始めとする歌垣は言霊信仰に基づく。それは古代農耕社会における国家の安寧と労働力生産ということと関係ある。一方、天皇の国土巡礼行事である、いわゆる国見や地方で行われる花見も国土の神に対する鎮魂も古代農耕社会の安寧ということで、歌垣と一致する。  本稿は『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、『万葉集』などの上代文献中、散見することのできる歌垣や国見に関する記述の検討を通して歌垣の変容と国見の様相を調べることによって、古代日本社会における歌垣の様相および変容、また、古代王権中心社会における国見の実相を確認することができた。花見に前身である地方の歌垣行事がいかに変容して行ったかについては資料不足で十分に検討することの出来なかったこと、今後の課題にしたい。
  • 7.

    "NABU"ofRaHye-SeokandBobbedhair;Throughcomparisonwith nude painting of The modern Japan and the European painter

    Kim HwaYoung | 2008, (24) | pp.139~156 | number of Cited : 0
    Abstract
    本稿では羅蕙錫の『裸婦』における女性モデルの「断髪」に関して注目してみた。 嘗て女性の長くて艶やかな髪は、「性」と強く結びつけられており、女性の身体をより肉体的魅力に富んだものに際立てる身体の一部であった。女性の長い髪に対する寓意は、朝鮮と欧米、日本とそれほど異なっていない。特に裸体画において長い髪は重要なモチーフになっているにもかかわらず、『裸婦』のモデルは髪をばさりと切っている。このモデルの断髪の問題を當時の社会的方面から探ってみた。 女性の断髪の登場は伝統的側面から激しく非難される。その一方、断髪は女性の社会進出と結びつき、男性と対等な女性のシンボルとして賛成される側面もあった。1930年代の朝鮮において女性の断髪に対する賛否の世論は多かれ少なかれ存在していた。羅蕙錫は自ら断髪した経験や欧米旅行の体験によって断髪に「軽快さ」を覚えることになる。また、それは頭が軽くなることを指すのみではなく、ある種の「性」の束縛から女性の身体を自由にすることを意味するものであった。『裸婦』は伝統的裸体画の図式から離れ、自由な女性の身体を具現していると言える。
  • 8.

    DemiseofArtforArt'ssakebyAkutagawaRyunoske-CenteringAroundtheDeathWorldDescribedin'GengkakuSanbang'-

    Youn Sang Hyun | 2008, (24) | pp.157~174 | number of Cited : 0
    Abstract
    1926年、芥川は‘僕の母は狂人だつた’(「点鬼簿」)と告白するとともに、實母ふくの遺傳、すなわち狂人の子であることを肯定している。これは狂氣の遺傳による死ぬのではなく、天才による生を志向しようとした彼にとって、まさに死を告げることであろう。  芥川は自分の文學創作において1915年「羅生門」を出發點とし、以後作品の中で狂人と愚人を登場させ、彼らを超人と聖人に變え、藝術至上主義を完成しようとした。同時にこのような藝術至上主義の中で、自分の決められた運命も克服しようとしたのである。しかし、現在精神的、肉體的な衰弱や不眠症からくる幻聽、幻覺は徐々に狂氣の遺傳を認識させ、いつか自分も實母ふくのように發狂して死んでしまう不安を深めている。そして、この不安こそ今まで追求してきた藝術至上主義の終焉にまでもたらしているのである。特に、當時彼の內面世界を投影したと思われる作品「玄鶴山房」は、實際彼の日常世界における不安や死をそのまま現わしていると言えよう。その中でも甲野の姿は一時藝術上の神になろうとした若い芥川にとって、結局神も、常人もなれなかった一人の狂人 -惡魔的な存在- の姿を見せている。  このように芥川は自分の運命を乘り越えるため始まった藝術至上主義への飛翔が自分の運命を受け入れる瞬間、藝術至上主義は墜落してしまい、またしても初期作品の世界へ戻るしかなかった。しかし、そこには過去にあった感傷的、抽象的死ではなく、實際的、現實的死が待っていたのである。
  • 9.

    korea Desrided in Yasunari Kawabata's Literature

    LeeJaeSung | 2008, (24) | pp.175~190 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本稿では、川端康成文学のなかに描かれた韓国・朝鮮に向けての視線に焦点を合わせて考察した結果、次のような結論に到達した。  まず、関東大震災の時、朝鮮人暴動の流言を信じる愚かで冷酷な日本人が多数発生したが、一方ではそういう日本人のあり方を憎む日本人も決して少なくなかった。宮島資夫の「真偽」を高く評価した川端もそのような一人だった。しかも、日本社会で差別を受ける朝鮮人達の立場も、冷静に見通した川端は、朝鮮人を他者として見る差別的視点を排し、過去に執着せず、現在に立ち向かっていく生き方を提示した。  そして、川端が作中に点景として描いた朝鮮の人達の姿は、概して、物静かで、慎み深く、我慢強い。しかも、それらは、乱暴だったり、慎みを欠いたりする日本人達と対比する形で書かれることが多い。「死者の書」には、新鮮で活発で可憐な朝鮮の娘が登場し、その娘に対する主人公の、切ないまでの憧憬が描き込まれている。しかも、朝鮮の民謡が引用され、それに対する川端の魂の郷愁が表現されている。  また、朝鮮の舞姫崔承喜の舞台を見た川端は、ためらわずに「日本一」との折り紙を付けたが、それは彼女の踊りが日本化されていたからではなく、。朝鮮民族の苦悩を最も鋭く表現していると見たからである。  ようするに、川端は朝鮮・韓国に特に深く関わったということはないが、出発の頃から晩年に至るまで、折に触れて、目に映る朝鮮の人達の姿を作品の中に点景として描き、また朝鮮民族の苦悩を思いやり、朝鮮・韓国の状況や歴史はやはり無視できないものとして認識していた。
  • 10.

    A View on Toson's Modern Verse―Focused on Receptiveness of Sonnet―

    Choi SoonYook | 2008, (24) | pp.191~214 | number of Cited : 0
    Abstract
    This study is aimed for the research on Shimazaki Toson's Literature, in terms of analysing his Japanese modern poetry focused on the receptive aspect of the Western European Literature. This thesis is emphasized on the analysis of the transfigurations of words, expressions, and thoughts in the Western European literature in the course of receptiveness and modification of them in Japanese cultural climate to create new poetry appeared in his poetry volume Hitohabune〔쪽배〕Natsukusa〔여름풀〕Rakubaisyu〔낙매집〕, beginning with Toson's first volume, Wakanasyu〔새싹집〕. As a concrete research measure, at first, it was to pursue the Western European literature traces, secondly, to clear the traces origin from whose and what works. So as to do those analyses, it was to turn efforts toward Toson's autobiography novel, Sakura no mi no jukusuru toki〔버찌가 읽을 무렵〕 and Haru〔봄〕which Toson's been infatuated in his youth as a text, to compare Toson's poetry with the Western European writers and their literatures, and to find out parallels and similar plot and frame of poem among them, and the distinct relationship between modern way of thinking in Japanese Meiji Period. As the method of criticism, the Text-criticism, but not Form-criticism was chosen, which was to deal with the Western European writers and their literatures in lines and to compare with Toson's poems. In the course of this study, it was found out that Toson has accepted Japanese poets like Basho, Toson read mostly the english romantics : Shelley, Byron, Keats, Coleridge, Wordsworth, and Burns. Because of his exploiting and mixing literature method such as the style and form of sonnet of Wordsworth and Burns. Toson's poems are not to be distinguished from translation with receptiveness.
  • 11.

    A study on Kobayasi Issa's 「Snow」

    하영미 | 2008, (24) | pp.215~236 | number of Cited : 1
    Abstract
    小林一茶は雪国、柏原で生まれた.。上代からの伝統季語の「雪」に対するイメージは肯定的なのが一般的だが小林一茶にとっては特別なイメージとして注目をあびる。それは、文化・文政期という時間的背景のなかで主観性の強い一茶の句姿はネガティブ(暗)な雪の句、ポジティブ(明)な雪の句の誕生と柏原(空間背景)という一茶の故郷を詠込んだ雪の句からその特徴ははっきりとされた。なお、結婚後、比較的に安定した生活ができた一茶は高齢でありながらも次々と誕生した子供らを句材にし、暖かい視線でポジティブな雪の句を詠み織り更にその句の趣きを増している。  一茶は論証した通り、従来の伝統的なイメージを踏まえた上に當時の時空背景・個人事情によって、「雪」のイメージの拡大をもたらしたと言える。  したがって、一茶の雪は指摘した如くネガティブでポジティブな二種類のイメージを持っていて、その二重の意味は「暗」・「明」とはっきりと分かれていたこと、またその二重性の底辺には一茶の時空背景と彼の生涯のすべてが深く溶合い、一茶だけの「雪」の句が誕生したと言える。
  • 12.

    The education about food and a daily meal as an information

    kimsunghee | 2008, (24) | pp.237~254 | number of Cited : 2
    Abstract
    Naomichi Ishige explains the present dietary life of Japan as this : today's food culture is the phenomenon that such a thing as an information that has been accumulated for a century since eating the meat was permitted, realised at once corresponding to the wealthy life in Japan society. This suggests various meanings, but this thesis handles the education of food in the respect of the accumulation of information about food in Taisho Period and what the education influenced to the food culture of the general house. In Taisho Period, those concepts such as nutrition and nourishment that were used by an ideologist of enlightenment, were earnestly studied and were spread to the people, and the concret change of dietary life was demanded through the cooking training or printed matters. That is, as the western food and rarely the Chinese food were introduced to the homebred, the weight of the education of food in the society through the school education and a publication such as journals and news papers, etc. became higher while that of the cooking handed over to the daughter by the mother did lower. The cooking class in the school of women's and the women's journal contributed to the development of various menus with the practical article about food and to spread the recognition of a model house wife who could cook according to the article. Through the study mentioned above, it is found that those education of the dietary life was the chance to accept the new daily dietary life without the direct experience of foreign. The process of accepting the dietary life which is very personal was not each one's voluntary one but the negative one under the supervision of government.
  • 13.

    Japanese Post-war Pacifism Revisited: Security Perception of the Post-war Intellectuals and its Limitation

    남기정 | 2008, (24) | pp.255~276 | number of Cited : 7
    Abstract
    The purpose of this article is to analyse and to evaluate the Japanese post-war pacifism. The three statements of ‘Heiwa-mondai-danwakai (Meeting for discussing on Peace Problem)’ are assessed to be the origin of Japanese post-war pacifism. The proponents of the ‘Danwakai’ make much of the fact that ‘Danwakai’ offered the logical basis to overcome the two-camp theory. The opponents criticize that the ideals of the ‘Danwakai’ was too lofty to be realized in the real human world. A balanced evaluator will pay attention to the fact that ‘Danwakai’ pacifism was formed against the Korean War. To accept the reality of war might mean to abandon the ideals for peace. In that sense, Danwakai’s utopian romanticism was designed deliberately or politically as a strategy for pacifist in those years. When the followers of ‘Danwakai’ pacifism promoted it to be the principle, the limitation and the defects of the Japanese post-war pacifism appeared clearly.
  • 14.

    TheAspectandCharacterof 'Toutya (A game of tea)' in The Japanese Middle Ages

    ParkJeonYull | 2008, (24) | pp.277~296 | number of Cited : 0
    Abstract
    闘茶の具体的な事例を調査整理し、その様相と背景を把握し、當時に否定的な評価を受け始めてから消滅するまでの過程を検討してその性格を明らかにしようとするのが本稿の目標である。 闘茶は茶の味すなわち味覚の纎細さを競う良い意味での知的遊びの一種だった。しかし、遊びの空間と方式が贅沢さを帯びるようになり、さらに金品をかける勝負事に発展すると闘茶は警戒されやがて禁止の対象に至る。 闘茶は日本茶道史の一部分として把握しなければならない。伝統文化としての日本の茶道は中国から茶が輸入され寺院を中心に広がった。中世に至ると多くの人が集まり一座をなして茶の味を當る遊び、すなわち闘茶が盛んとなり遊び方と規模にも大きな変化が起こり、とても多様な形態を見せている。 茶の裁培地域の拡大と増産によって、飲茶を楽しもうとする人が多くなったということと一座を組み小規模の共同体として茶を一緒に楽しもうとする傾向にともなって茶を飲みながら茶の味や香を聞き分けながらゲームをする闘茶が発生したと考えられる。一番古い闘茶の記録は京都で1343年の巡立茶という用語で現われる。引き続き本非十種という十種類の本茶と非茶の味を當てる方式、四種十服といってそれぞれ四種類の茶を十杯ずつ飲む方式、総百杯の茶を飲みあてる闘茶の方式などが登場した。 このように遊び方が多様になるにつれて、より積極的に茶を楽しもうとする欲求に触発され、勝負を出すことで止まらなかった。勝者に金品を与える慣行が生じ、やがて博奕に変質されるに至る。闘茶の行われる空間の室内(しつらい)はより豪華に飾りたてるようになっただけでなく飾り方に決まった様式が生まれ、競い合うほどになる。室町時代に入りその有り様は極致に達し、闘茶は連歌とともに博奕に扱われ禁止の対象になる。 闘茶の持つこのような否定的要素が社会問題化すると、闘茶以外の方式で茶を楽しもうとする傾向が現れる。闘茶に対する社会的反発あるいは反省は、室町後期に書院の茶という新しい飲茶の様式を生みだした。今日の日本茶道の茶禅一味という精神世界とわびという美意識を根幹にするわび茶を成立させる契機となったことに注目せざるを得ない。
  • 15.

    Desirefornationalnarrative -Transformation of "Grave of the Fireflies" of Akiyuki-Nosaka-

    조정민 | 2008, (24) | pp.297~313 | number of Cited : 0
    Abstract
    本稿は野坂昭如の「火垂るの墓」とスタジオジブリのアニメーション作品「火垂るの墓」を、語り手のナラティブの変容を中心に、比較考察したものである。野坂の原作においては、語り手によって物語が展開するが、アニメーションの場合、清太のモノローグからはじまり、彼が過去を回想する形で話が展開する。原作とアニメーションにおける語り手の相違は、そのまま作品の性質そのものの相違へと発展していく。つまり、原作における語り手のナラティブは、清太の立場を代弁するものの、時には清太を突き放した形で彼を描写することによって、ある統一された戦争像や被害者としの日本人像が構築されることを遮断する。しかし、アニメーションの場合、清太によるナラティブは、戦争の被害者としての清太自身と節子の悲惨な生活をえぐり出すことにウェイトを置いている。このようなナラティブは結局、戦争の犠牲となった無数の日本人を代弁することへと発展し、戦争の経験がない世代には過去の日本人がいかに戦争の犠牲者であったかを確認させる媒体となる。  アニメーション「火垂るの墓」は、今や原作を離れて独立した形で鑑賞され、新たな読者を確保しつつある。しかし、このようにメディアミックスが行われる過程において、前景化される被害者としての日本のイメージは、原作が持っている自省的な眼差しを遮る結果をもたらしかねない。その意味で、アニメーション「火垂るの墓」は、ナショナル・ナラティブ に対する欲望を端的に表出したものであると言える。