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pISSN : 1229-6309

2020 KCI Impact Factor : 0.33
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2011, Vol., No.30

  • 1.

    A background and a meaning of "Neo-Japanesque(新日本樣式)"

    ParkJeonYull | 2011, (30) | pp.7~26 | number of Cited : 2
    Abstract
    2005年から2008年まで3年にわたって展開した新日本様式キャンペーンは民間の協議会が主導する事業に標榜されたが、実際では経済通商省が主導した国家ブランド事業の一つだった。新日本様式キャンペーンは実際に世界市場で商品とサービスの提供などを通じて活動している産業界だけではなく文化、メディアを含めた多様な分野で意見を集約しながら一定の成果をおさめたことと評価されよう。「Made in Japan」というブランド戦略を修正してハイクオリティーな品位のイメージの伝統文化を先端産業と融合させる商品を求めるキャンペーンは自国の文化を活用した商品の差別化戦略でもあった。日本はここに止まらないで、2007年からは感性価値創造にイニシアティブを握ろうと新しい政策を提案した。既存の高機能、信頼性、低価格でる長所に第4の価値軸である感性価値を経済成長動力の一つで取り入れ始めたのだ。景気低迷の長期化の脱出方式で新日本様式を提案したが、その成果には限界があったことを認め、新しい政策を提案する日本の努力をライバルの国韓国に大きい示唆を提供してくれることに間違いないと思われる。
  • 2.

    Outline of Cross-cultural Communication Research

    이길용 | 2011, (30) | pp.27~46 | number of Cited : 11
    Abstract PDF
    本稿は、中央大学校大学院社会言語学研究室の「韓・中・日の3ヶ国における異文化間コミュニケーションの普遍性と特殊性に関する研究プロジェクト」が、どのような研究理念を持ち、どのようなプロセスで遂行していく予定なのか、その研究のデザインをまとめたものである。個々の言語行動に見られる問題を個別的に見ていくための、いわば鳥瞰的な見取り図に相当するものである。またこれまでの韓日における異文化間コミュニケーション研究における問題のありかを指摘し、韓国語と日本語を対象にして対照言語行動研究を目指す若手研究者に、言語行動を捉える新たな視点の提供を目的としたものである。これまでの韓日両言語における異文化間コミュニケーション研究の内容を検討すると、次の2点にまとめることができる。(1)依頼、断り、謝罪などの言語行動の対照研究が主流であるが、新しい言語行動の分析が試みられている。(2)上下・親疎・男女による言語行動の違いを見出そうとする。こうした研究の問題としては、次の2点が指摘できよう。(a)研究の問題意識が不明瞭である。(b)方法論的な不適切性が指摘される。こうした先行研究の課題を踏まえ、本研究プロジェクトでは、次のような調査研究を計画し遂行している。(1)韓・中・日の3ヶ国の異文化間コミュニケーションのあり方に関する統合的な研究 (1-1)母語場面と接触場面における言語行動の実態を調査 (1-2)言語行動に関する使用意識と相互の評価意識を調査 (1-3)会話の開始から終了までの一連の言語行動を調査(2)個人情報という抽象的な内容を研究の材料として導入本研究プロジェクトが韓・中・日の3ヶ国の言語行動の対照研究のひとつのベースラインになることを期待する。
  • 3.

    Nationality through Champong - the transcendence & settlement process of the dish

    林史樹 | 2011, (30) | pp.47~67 | number of Cited : 0
    Abstract
    本稿は、「国籍」の特定が困難なチャンポンという 1つの料理を扱い、文化に付与されがちな「国籍」について検討したものである。日韓両国においても、キムチ論争や日本食レストラン推奨制度のように、特定の料理や食品を「自国」のものとして保護し、差別化する傾向がみられる。しかし、こうした食文化をどこかの国家の所有とみなすことが可能なのだろうか。してでチャンポンといえば、「護し、差」と信じて疑うこともなく、人気のメニューとなっている。さらに、それは日本でみられるものと異なり、唐辛子を加えた真っ赤なスープに入った「独自」のものといえる。しかし、チャンポンは、原形こそ中国・福建省の麺、差とされるが、本来は日本・長崎の護し街が発祥といわれており、今日、して・仁川で食習慣に合うように最初からスープに唐辛子を入れて外見も変えて受け入れられるようになった経緯をもっている。そして、近年、このような赤いチャンポンはしてからの移民増加にともなって海外にも波及し、再度、その波及先の食習慣や材料といった状況に合うように変容し、各地で定着化をみている。日本でもしてからの移民や留学生が増加・定着していくことで、して人コミュニティを護心に赤いチャンポンがみかけられるようになったほか、中国の担々麺を参考にしたり、激辛ブームに乗ったりしてチャンポンの多様化が起こり、赤いチャンポンが着実に広まっている。チャンポンが 1つの「国籍」に収まらなくなってきたのである。さらに、にし多様化はいうまでもなく、チャンポンにうど食習麺を用いた「チャンポンうど食」という新ジャンルが登場してきた。実は、本稿で扱っているチャンポンという料理の枠組み自体が変ものているのである。国家を自由に越境のて変容向がみ文化、つまり文化の現状とみたとき、本来、文化がいかに「国籍」から自由なものであるかを指摘した。
  • 4.

    The actual condition of interaction in Cross-Cultural Communicative Patterns of Three East Asian Countries; Korea, China and Japan

    Park, Yang-sun | 2011, (30) | pp.69~88 | number of Cited : 0
    Abstract PDF
    日韓中の3国の間に行われる異文化コミュニケーションの実態を把握するため、大学生が主任教授に依頼および個人情報を聞く場面を想定し、インタービュー調査を行った。調査においては、日韓中の3国で母語話者と非母語話者のデータを収集し、turnの頻度を計量的に分析した。その結果、大学生と主任教授のインタービュー調査では、日韓中ともに母語話者間の会話ではturnの頻度が一定し、言語行動の予見可能性が高かった。大学生の依頼などインタービューで要求される一連の言語行動を遂行することにあたって、主任教授との相互作用がもっとも高い頻繁を示した部分は本来の目的である「依頼の部分」と「個人情報について質問する部分」であった。また、母語話者の場合、質問部分より依頼部分においてもっと相互作用が活発に行われる傾向があった。さらに、教授の役割人は母語話者に対しては、依頼の内容を聞き、相槌を打つ言語行動が活発に行われていたが、非母語話者に対しては、不十分な情報を補うための質問形式などの類型の相互作用が頻繁に交わされていた。今回のデータでの異文化コミュニケーションは、日本での調査において母語話者と同じぐらいの活発な相互作用を見せていたが、特に中国では消極的な相互作用に留まったいる印象を与えた。これは日本語および日本人の言語行動は相槌、相手への配慮などその特徴が良く知られているが、中国語および中国人の言語行動は外国人がその手がかりにするものがあまりなく把握するのにはまだ不十分なところがあることが原因と思われる。このことから、成功的な異文化コミュニケーションを導出するのにはこのような問題を解決すべきであることが分かった。
  • 5.

    An Analysis on the Sokuombinka of Uombinkei of Japanese Hagyō-Yodan Verbs in Kibyōshi

    김용균 | 2011, (30) | pp.89~107 | number of Cited : 2
    Abstract
    本稿は、黃表紙に現われるハ行四段動詞ウ音便形の促音便化について考察したものである。特に安永∼寛政期の黃表紙21種の分析結果に基づいて当時の有力な江戸語資料である江戸洒落本及び江戸噺本に見られる傾向と比較しながら語幹末母音、文体、位相、資料による遅速差とその原因を検討した。その結果、幾つか注目すべき事実が明らかにされたが、まず江戸洒落本と江戸噺本を對象にした先行研究の指摘と大略一致する事実をまとめると、次の通りである。①語幹末母音がaとuの促音便化はiとoの促音便化より進んでいる。②文体的な面から見ると、会話文の促音便化は地文の促音便化より進んでいる。また、黃表紙を通して新しく明らかにされた事実をまとめると、次の通りである。①位相的な面から見ると、男性語と女性語間による遅速差は見られない。②黃表紙の促音便化は江戸洒落本より遅いが、江戸噺本の促音便化よりは進んでいる。言い換えれば、このような考察を通してハ行四段動詞ウ音便形の促音便化は語幹末母音、文体、資料によって様々な遅速差を見せなが進んだということと、位相による遅速差は見られないということが明らかにされた。倂せて黃表紙の場合、これまでとは異なって当時の言語研究資料としての可能性を新しく確認できた。
  • 6.

  • 7.

    On the study of Postpositional Words <ga>and <wo> in Expressing Possibility

    김창규 | 2011, (30) | pp.131~152 | number of Cited : 0
    Abstract
    可能表現における助詞⌜が⌟と⌜を⌟をめぐって 可能表現における助詞⌜が⌟と⌜を⌟をめぐって本稿なりの過程を設け考察して得られた結果をまとめると、次のようである。可能表現において、ガ格対象語は述語の状態性と関係し、ヲ格対象語は述語の動作性と関係するので、可能表現における⌜が⌟と⌜を⌟の使い分けは述語における状態性と動作性との関連から把握できる。そして、可能表現において、述語の状態性に焦点が置かれるということは可能の可否の問題に焦点が置かれることを意味し、述語の動作性に焦点が置かれるということは可能の叙述的、記述的な面に焦点が置かれることを意味するので、⌜が⌟と⌜を⌟の使い分けは焦点の位置とも深い関係がある。かつ、助詞⌜が⌟が用いられると対象語と述語との間に他の語句が入りにくいのに反して話し手の人間味が感じられるし、助詞⌜を⌟が用いられると対象語と述語との間に他の語句が入りやすいのに反して話し手の人間味が感じられない。
  • 8.

    The functional features of the variations of the backchannel ‘soudesuka’ and ‘sou nan desu ka’ - A case study of conversations of first time encounters -

    上原聡 | 呂萍 | 2011, (30) | pp.153~172 | number of Cited : 0
    Abstract
    本稿では名嶋(2007)の「ノダ」の機能を用い、自然談話における「そうですか」「そうなんですか」の使用実態を分析し、それらの機能的特徴を解明することを目的とする。2種類の分析データを使用した。1つは、筆者が収集した自然談話で、20代から30代までの日本語母語話者を対象とした、初対面同士の電話による会話資料(計80分44秒、9組)である。もう1つは、『BTSによる多言語話し言葉コーパス日本語会話1(日本語母語話者同士の会話)』に収録された初対面同士の20代女子学生の雑談コーパス(計262分、11組)である。20組の会話に出現したすべての「そうですか」「そうなんですか」を分析対象とする。それらの機能的特徴について考察を行った結果は以下のようにまとめる。上記の「そうですか」「そうなんですか」の使用実態を分析することによって、それらの機能的特徴が明らかになった。「そうですか」は新情報をそのまま受け止め、「思考に登録」する表現であり、「そうなんですか」は既に持っていた情報が知覚した新情報によって改変され、新しい「事態認識」が導き出された時に、その「事態認識」を「思考に登録」する表現である。
  • 9.

    The Linguistics of “zaitech”: Focusing on introduction, competition and settlement

    李光済 | 2011, (30) | pp.173~195 | number of Cited : 0
    Abstract
    現代韓国語における外来語の受容の動向としては、日本語の影響よりも、英語を主とする西洋語の影響の方が多くなりつつある。ただし、西洋語からの借用であると思われるものが、実際には、日本で造られた「和製英語」であるというケースも多い。その特殊な例として、「財テク」という漢洋の混成語を取り上げ、外来語の受容とその語の発展の諸相を取り上げる。 本稿では「재테크」(財テク)の流入と競争の過程を新聞のデータベース検索を通して考察し、流入初期には他の単語との競争もあったが、1996年から「재테크」の使用が急激に増加し、定着したことを明らかにした。そして、日本と韓国の各種国語辞典で「재테크」(財テク)に関連した記載事項を調べて、国語醇化の対象語になっているものの、韓国語語彙体系に入っていることを確認した。次に両国の書籍のタイトルの調査では、「-テク」が付いているものを選び出して語種を中心に数量的に分析を試みた。両方共に漢語との結合が多いことは一致しているが、日本の書籍名では固有語が、韓国の書籍名では外来語の割合が高いことが分かった。最後に、韓国の新造語の調査では、韓国の新語調査資料集を用いて、「-テク」を付けて新しい造語を作り出していることを確認した。一時的でありながら生産性を生み出していることを論じた。
  • 10.

    Comparative Study of Lexical Errors by Korean Learners of Japanese and Korean to Japanese Machine Translation

    Cho, Nam-Sung | 2011, (30) | pp.197~216 | number of Cited : 1
    Abstract
    本稿では韓国人日本語学習者の韓日翻訳と韓日機械翻訳に見られる語彙の誤用を調べた。その主な結果は次の通りである。(1)韓国人日本語学習者がよく間違う語彙において、韓日翻訳上での誤用率は日本語専攻の大学3年生60.3%、4年生57.1%で学習レベルによっての差は大きくない。(2)韓国人日本語学習者の韓日翻訳と韓日機械翻訳において、語彙の正答率はそれぞれ54.5%と59.3%で大きな差が見られない。(3)韓日機械翻訳において、語彙(40問)の誤用率は0%(8問、20.0%)と100%(9問、22.5%)の比率が42.5%にまで至る。(4)韓国人日本語学習者の韓日翻訳と韓日機械翻訳による語彙の誤用率を比較して見ると、問題(40問)において機械翻訳で高いもの(100%)は学習者でも高く(80.6%)、低いもの(0%)は学習者でも低く(37.0%)、両者がほぼ似た傾向を見せている。これは日本語専攻の3年生より4年生の方が、その傾向が強い。誤用の種類(16種)において機械翻訳では形容動詞、副詞、形容詞、コソア、慣用的な動詞句、動詞、熟語、名詞、接続詞、品詞の取り違え、連体詞、不定語、数量詞、ダの順で、学習者の翻訳では副詞、コソア、接続詞、慣用的な動詞句、名詞、不定語、動詞、熟語、動詞、ダ、形容詞、数量詞、連体詞、品詞の取り違え、形容動詞の順で誤用率が高い。そして、副詞、コソア、慣用的な動詞句などにおいて、両者の誤用率が比較的高く、特に形容動詞、ダにおいて、両者は大きな差を見せている。
  • 11.

    An Essay on "Sahashi jingorou" by Mori Ougai

    Kang,Wonju | 2011, (30) | pp.217~232 | number of Cited : 0
    Abstract
    5부에서 작가는 교첨지가 진고로인지에 대한 확인을 해주지 않고 있다. 하지만 사하시가에 「뿌리가 마치 인형처럼 자란 고급인삼이 많이 있다」고 덧붙임으로써 조선인삼의 출처와 조선으로 갔을 지도 모르는 진고로를 연결시키고 있다. 물론 6부의 부기에서 사료확인을 통해 진고로 사망설이나 조선통신사일행 중에 교첨지라는 이가 없다는 사실도 밝히고 있다. 역사소설 집필에 있어서 「역사의 자연」을 중시하는 오가이가 이러한 모호한 표현으로 진고로를 교첨지로 변신시킨 것에 이 작품의 의미를 찾을 수 있을 것이다. 진고로와 이에야스는 가신과 주군이 아니라 상대국의 고위관료과 자국의 권력자로서 대등한 위치에서 한 자리에 마주하고 있는 것이다. 물론 한 쪽은 일국의 권력자이고 한 쪽은 상대국 외교사절 중 상급통역관이라는 사실에서 양쪽이 완전히 대등하다고 할 수는 없지만 주종관계라는 굴레에서 벗어난 두 사람을 한 자리에 둠으로서 그들의 삶에 대한 새로운 해석을 요구하고 있다. 이에야스와 진고로는 자신의 능력과 강한 의지로 난세를 헤치고 나와 결국 자신의 자리를 만들어낸 전국시대 무사인 것이다. 그 의지는 이 글이 실린 단편집의 제목이기도 한 무사의 「고집(意地)」이다. 진고로의 고집은 자신이 생각하는 무사의 모습을 체현하는 것이다. 자신이 한 말을 지키고 목적 달성을 위해 가장 성공확률이 높은 방법을 선택해 뛰어난 재능으로 실현시키고 또한 그 재능을 가장 비싼 값으로 사줄 주인을 찾아 충성을 다한다. 만약 선택이 잘못되었으면 미련 없이 다른 길을 찾는다. 이는 앞날을 가늠할 수 없는 전국시대를 살아가는 무사로서 그 생존에 가장 충실한 모습이라고 할 수 있다. 이 모습은 이에야스에게서도 그대로 찾아볼 수 있다. 이에야스 역시 전국시대를 헤쳐 나가며 바로 이런 방식으로 살아남은 것이다. 하지만 이에야스의 경우 전국시대의 무사로만 평가하는 것은 미진한 면이 있다. 에도막부를 열어 이전과는 다른 새로운 무사의 표상을 만들어낸 시대의 주역으로서 전투력과 강함, 승리의 무사상에 충의와 도덕의 개념을 더해야 했다. 그것이 이에야스라는 무사가 자신이 만들어낸 새로운 세상에서 살아남는 방법인 것이다. 이 작품에는 진고로가 일본을 떠나 조선에서 자신의 자리를 찾기까지의 20여 년 간의 삶의 기술이 결여되어 있다. 이에야스의 일본에서 살지 못하게 한 진고로의 고집이 신분사회의 제약이 더 많은 조선에서의 삶을 쉽게 하지는 않았을 것이다. 두 번에 걸친 전쟁으로 혼란해있음을 감안하더라도 전국시대 무사의 기질을 그대로 갖고 있는 진고로가 적국 조선에서 성공한다는 설정은 상당한 어려움을 내포하고 있다. 이러한 무리한 설정은 텍스트 발표 당시 조선과 일본의 상황과 관련지어 생각해 볼 수 있을 것이다. 이에 관해서는 차후의 관제로 삼겠다.
  • 12.

    One consideration on 「Kagekiyo」in「The Tale of the Heike」

    Kim Mi-Ok | 2011, (30) | pp.233~252 | number of Cited : 7
    Abstract
    本稿で取り扱う「景清」の生没に関することについては、詳細が明らかになっていない。景清は『平家物語』『源平盛衰記』で平家の一人の侍として登場し、その後、能『景清』『大仏供養』『籠景清』、幸若舞『景清』、古浄瑠璃『かげきよ』、新浄瑠璃『近松門左衛門』『出世景清』などで、主人公として登場する。景清を主人公とする「景清物」が形成されるのである。平家の一人の侍に始まり、後に平家残党の集約体を象徴する人物として登場するという、景清の描かれ方の変化についての疑問は、景清に関する多くの研究を生み出した。これらの研究では一貫して、曲舞『景清』の主人公である景清は、平家残党の集約体として登場しているという点に異見はないようである。この景清に関する日本での研究は2つの流れに分けられる。1つ目は、民俗学的な方法を通した景清についての研究であり、2つ目は『平家物語』に現れた景清についての研究である。本稿では『平家物語』「当道係」である語り物系、覚一本と「当道係」である読み本系、延慶本と長門本に描かれている景清を通し、平家残党の集約体としての景清象の考察を試みる。
  • 13.

    A Poetical Waves of Inverse Translation-Some Thoughts on Chu Yo-han's Chosenkakyokusyu

    양동국 | 2011, (30) | pp.253~272 | number of Cited : 1
    Abstract
    一九一九年新年号の『現代詩歌』に発表した「朝鮮歌曲鈔」は、留学生詩人である朱耀翰の作品の中で異彩を放っているものとして、韓国の伝統的な詩歌である時調を紹介する意図で、七首が訳されている。西欧指向を標榜した『現代詩歌』の同人としての耀翰もその理念に忠実な人であったことは論をまたない。そのような彼が最も西欧偏向的だった詩雑誌に、しかも奪われた祖国の伝統詩歌を翻訳したのである。本論文は耀翰が亡国の伝統詩歌を紹介した裏面に果たしてどのような動機や目的があったのか、そして逆翻訳の行為と自国文化との関わりについて考察してみた。さらに翻訳は政治・文化的な位階秩序および権力を反映する決定物という視角に基づいて訳者としての耀翰の抵抗する姿も推察してみた。とりわけ、「朝鮮歌曲鈔」の冒頭で、時調の韻律について「もとより調子本意だから音数の制限はさほど嚴密でない。たゞ如何なる程度に於て變格を許すかは朗詠上のデリケートな問題であるらしい。」と語った部分は、充分とはいえないものの、音数律以外の時調の韻律について言及したものとして特記すべき事である。目標言語である日本語に時調を翻訳する中で、現在にも議論が続けられている時調の起源と韻律の問題について具体的な片鱗を示したことは、逆翻訳の内面には自文化への洞察と鋭い自覚の目が深く関わっていることを断面的に物語っている。さらに逆翻訳の行為には自国文化の方向性とも関わるという一例を耀翰の時調の翻訳と金永郎の純粋詩との影響関係において考察することができた。朱耀翰の「朝鮮歌曲鈔」の中になされた翻訳行為とその余波は伝統と近代との連続性を強調する<使える過去>が近代という最近の議論に合致する一例でもある。
  • 14.

    The Korean Modernism Literature and Japanese Writing

    Kim Hyo Soon | Jaejin Yu | 2011, (30) | pp.273~295 | number of Cited : 5
    Abstract PDF
    鄭芝溶は日本留学時代における韓日両国語の創作活動の過程で、日本の文壇から事物に対する感覚的な表現の方法ばかりでなく、既存の詩形式を解体した前衛的で実験的な方法を学んで、自由な詩形式即ち散文詩を残して入る。同時に20世紀の新しい科学が見せてくれる非日常的な世界を新しい現実として認識し積極的に導入した日本のモダニズム文学からも影響を受けて、目に見えない動物や事物の内部世界を描くようになる。日本帝国の植民支配の体制が確立されていく1920年代という時代状況で、そのような日本モダニズムを受容しながら鄭芝溶は韓国語ばかりでなく、絶対的で優越な「文学語」として認識されていた日本語も「相対的で交換可能」な言語として認識するようになる。即ち鄭芝溶の韓日両国語の創作は1920年代の日本で文学を学んでいた韓国人文人の言語への認識の変化をもの語っている。鄭芝溶が日本留学時代に日本のモダニズム文学の影響下で行った韓日両国語の詩作と以後の文学活動は、先行研究が指摘するように単に事物の外観を感覚的に客観的に描写するのに止まっている、内面、観念、思想の不在する文学ではなく、二重言語状態に処していた植民地知識人としての現実認識と民族語、民族文学、文化へのアイデンティティの苦悶が生んだ新しい認識の表現であったのである。そのような意味で鄭芝溶はモダニズムの方法を他の誰よりも成功して見せたモダニストだったと思われる。
  • 15.

    Pioneering practice of Tengai Kosugi

    李美京 | 2011, (30) | pp.297~313 | number of Cited : 0
    Abstract
    本稿では前期自然主義の代表作である小杉天外の『初すがた』(1900)と『はやり唄』(1902)の作品分析を通してフランスのゾラからの影響を考察することを試みた。ゾラの日本での紹介は1887年の森鴎外によるが、その実践作としてはじめて表れたのは小杉天外の『初すがた』である。彼はゾラの『ナナ』を下敷にして『初すがた』の主人公であるお俊を環境に左右されるしかない女性を描いている。何よりも現実を重視して描くことを序文でも主張したように強姦を描いたことは当時の作家達を驚かすのに充分であった。そして、『はやり唄』では、ゾライズムにもう一歩近づいてもって生まれた本能と遺伝と環境に左右されずにはいられない主人公を描いている。しかし、天外があまりにも外面的な面に偏ったため、人間の内面までは入らず外面的な写実の描写だけで成功を収めたことは事実であろう。肝心なゾラの科学的な実証精神とは遠くて表面的な共通性だけを持っていた。「遺伝」と「環境」の採用もそれが一つの思想として、人生観として発展するのではなく小説の技法だけに止まっていたのである。それにも関わらず彼がゾライズムから発見されたもっとも重要な一点は、人間の持って生まれた性格が教化の力を無視するほど強いということであろう。彼が自覚したか、自覚しなかったかは別として作品には人間の本能と天性というのが第一であることを事実として見事に描いたのは確実である。また、日本で果敢なゾライズムの試みで後期自然主義への新しい道を開いたことは高く評価するべきであろう。
  • 16.

    The Encounter of Modern Japanese Literature and Western Classic Music - Toson Shimazaki in Paris and Claude Debussy -

    Jeehyung Lee | 2011, (30) | pp.315~336 | number of Cited : 0
    Abstract
    本論文は、島崎藤村とドビュッシー音楽の遭遇を通して近代日本文学と西洋音楽との交渉の重要な一例を考察しようとした研究である。パリでのドビュッシー音楽体験は藤村個人の「至福の時間」であったと同時に近代日本の知識人が20世紀初期、ヨーロッパの新芸術を受容するきっかけとなった文化史的事件であった。とりわけ藤村を感動させたドビュッシーの音楽は<子供>と<童心>を主題としたピアノ小曲『子供の領分』であった。ドビュッシー音楽体験は藤村の文学のなかで大きく三つの様相として表出された。『平和の巴里』『エトランゼ』など旅行記で見られる感動の具体的叙述、小説『新生』における経験事実の消去、そして童話創作を通した新しい文学への形象化がそれである。そのなかでもドビュッシー音楽の驚異と感動を極めて抑えた『新生』の禁欲的叙述から露呈されることは逆説的に、フランス滞在の意味を<新生事件>に対する苦悩と贖罪の時間として読者側に訴えたい作家藤村の強い欲望である。一方、読者として想定される子供たちに父親が非虚構的な日常話を直接に言い聞かせる形式の<父性>的<口演性>を特徴とする藤村の童話には、ドビュッシー『子供の領分』から受けた霊感が大きく影響を与えたと思われる。それは物語性を強調し、母性を浮き彫りにした同時代の主流的童話とは明らかに異なる文学であった。このように音楽は芸術ジャンルの境界を乗り越えて近代日本文学の磁場の中で多様な様相として新しく変奏される。音楽は文学を通して記録されて、消去されて、そして再構築される。
  • 17.

    A study of [the Hundred Poems by One]'s satire and parody - Comparing an ancient Korean verse; sijo -

    Lim Chan Soo | 2011, (30) | pp.337~360 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    『百人一首』は古今伝授のテキストとして欠かせない書物であり、近世に置いては和歌のテキストとしての重要な役割も担ってきた。特に女性の教訓書には必ず『百人一首』が含まれていたのは、その人気が実感出来る。それゆえ、『百人一首』は様々な媒体と融合した形として、子供から大人に至るまで楽しまれたのである。代表的なのは歌カルタである。カルタは男女問わず、正月の風物詩であった。又、狂歌や川柳などにも創作のネタになり、浮世絵にも素材として取り入れられた。特に艶本にもパロディーされて『百人一首』の歌が入っていたりする。本研究のテキストの『女令川おへし文』は『女今川おしへ文』を艶本化したもので、『百人一首』の歌をパロディーして女性の心を表したものである。艶本の対象は有名な古典作品のみならず、相撲の技も借りて性交の場面に応用したりするほどである。このように、戯作と風刺、パロディーなどは近世の文芸であった。百人一首がその対象のトップにランクされるのは、大衆性という面からみても当然かも知れない。韓国の古時調にも男女の性愛について歌ったものがある。特に辭說時調(サセツシジョ)においては性愛の歌が多いと言われる点と素直な表現より豊かな風刺とパロディーが見られる点からも『女令川おへし文』の百人一首のパロディー歌と比較できると思われる。歌の発話が女性という点も同一である。只、『女令川おへし文』の場合には絵と文章と和歌が混在しているが、韓国の古時調には絵も文章もない。従って多様な素材を利用した風刺が活発であり、想像力を醸し出す表現が目立つ。一方『女令川おへし文』には、『百人一首』をパロディー化した歌なので、元の歌の意味をベースに二重的、重層的なイメージを生かす方法が多かった。それは元の歌から逃れない限界であり、技巧でもある。
  • 18.

    The "Wani" legend in early modern Japan : The case of Kamono-mabuchi and Motoori-norinaga

    정태욱 | 2011, (30) | pp.361~376 | number of Cited : 4
    Abstract
    本考では、近世の国学者である賀茂真淵(1697∼1769)と彼の弟子である本居宣長(1730∼1801)が王仁伝承批判について考察し、近世において王仁伝承がどのように評価されていくのか確認した。王仁は百済の儒学者で、応神天皇の御代に日本に渡り、日本に初めて漢字と漢籍を伝えた人物でありながら、応神天皇の死後「なにはづの歌」を詠んで仁徳天皇の即位を勧めた人物として伝承されてきた。王仁伝承は近世に至るまで史実として認識された。しかし賀茂真淵と本居宣長は王仁伝承の根拠について様々な疑問を提議した。賀茂真淵は『日本書紀』には王仁が「なにはづの歌」を詠んだという記述がないということを根拠にして王仁と「なにはづの歌」に対する伝承を批判した。そして王仁がその当時に活動していた人物であるから「なにはづの歌」が彼と結び付けられて伝承が生じたと考えた。そして本居宣長は王仁が「なにはづの歌」を詠めるほど日本語が上手ではなかったと考え、王仁が「なにはづの歌」を詠んだという伝承を否定した。また、王仁が『千字文』を日本に伝えたという伝承について、『千字文』は後代に日本に伝えられたもので、後代の人がこれを王仁が伝えたものとして言い伝えたと考えた。このように王仁伝承は近世に至って賀茂真淵と本居宣長という一群の国学者によってその伝承の事実性事態を全面的に、或は部分的に否定されることになったのである。
  • 19.

    A study on aspects of revenge of Arisima Takeo's literary work, 'Ishinihisigaretazasso'

    LeeJaeSung | 崔誠允 | 2011, (30) | pp.377~392 | number of Cited : 0
    Abstract
    有島武郞著作集第六輯『生まれ出る悩み』には表題作『生まれ出る悩み』と『石にひしがれた雑草』の二作品が収録されている。内田滿氏の指摘があるように『石にひしがれた雑草』は『ある女』との関連において取り上げられてきた作品である。M子に裏切られたAが、彼女に復讐を果たすという内容である。有島武郎の小説「石にひしがれた雑草」の主人公Aは、妻の不倫相手である加藤に過去を回想する一通の手紙を残して忽然と姿を消す。手紙には、その間の自分とM子、そして加藤との間に起きた話が書かれていた。初めての出会いから、AはM子に本能的に惹かれる。そして、そんなM子の魅力は、彼女が男の嫉妬心を逆手に取ることを知っている‘娼婦型の女性’であることだと思う。M子が加藤と不倫関係を結んでいるという事実を知って、Aの愛は執着と復讐心に変質する。そしてその時から、彼は自分が持つ「力」、すなわち「財力」を彼らに対する復習の武器として活用する。加藤には、周辺のに人々を買収して自分が感じていた「嫉妬」の感情を同様に感じるように復讐する。また、M子には、自らの本能と欲望に忠実でいられるように周辺環境を華麗に整えておく。「財力」を通して「空間」を支配するAは、M子が滞在する「場所」をだんだん狭めていき、解き放っておいたM子の本能と欲望を少しずつ抑圧していく。その結果、結局M子は孤立してしまう。Aは、自殺しようとするM子の意思まで押さえつけ、挫折させる。結局、M子は狂気にいたり、Aは加藤にM子を頼むという手紙だけを残して姿を消す。それならば、徹底してM子を押さえつけていたAの復讐は完璧な成功だと言えるだろうか。最後に「家」を出てしまったのが、M子ではない、まさにA自身であるからだ。M子は依然としてそこに残り、「家」という「場所」を有している。「本能に忠実な人間」として象徴されるM子を「名声」、「財力」、「権力」をもって完璧に押さえつけられるものだろうか。有島はこれについての疑問を、最後に投げかけているようだ。
  • 20.

    Between fantasy and reality -In the text which is [kaidan botandoro]

    韓成旼 | 2011, (30) | pp.393~409 | number of Cited : 0
    Abstract
    中国明代の小説集 『剪燈新話』は多くの作品に影響を与えた。江戸中期の怪談集 『奇異雑談集』 や、上田秋成の『雨月物語』、山東京伝の読本『復讐奇談安積沼』などでその影響がみられ、その他にも翻案、脚色など色々な形態でその痕跡を残している。その中、「牡丹燈記」は『伽婢子』の「牡丹燈籠」を経て、三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠』に至る、一種の系譜を形成している。全体13篇21囘で構成されている『怪談牡丹燈籠』は原作の「牡丹燈記」からそのモチーフをとっているが、作家の独創的な想像力と構成で様々な登場人物とエピソードを加え、新しく生まれ変わらせた作品である。『怪談牡丹灯籠』は「幽霊」、「夢」、「憑依」等を通じて怪異的な幻想を表しているが、これは現実からの疎外と欠乏から生じた精神的な生産物である。即ち、幻想は疎通の断絶と文化的束縛、裏切りなどが原因になって抑圧された欲望の噴出口であり、現実からの脱皮であるが、欲望の充足は直ちに現実への回帰を意味するという側面からは幻想と現実は不可分の関係だといえる。特に、『怪談牡丹灯籠』は系譜が続く「牡丹灯記」や「牡丹灯籠」との区別される部分は現実が重視されるところである。これを特徴づける要素とは作品の構造的な特徴やお金と結び付いている伴蔵のキャラクター変化などが挙げられ、ここには文明開化という時代的な特殊性が基づいている。
  • 21.

    A Research on The Postwar Autobiography by Abe Yosisige

    Jaechul Choi | 2011, (30) | pp.411~434 | number of Cited : 0
    Abstract
    安倍能成(一八八三-一九六六)の『戦後の自叙伝』(1959)をテキストとして、戦後社会作りに果たした安倍の役割と思考の流れ、戦後の世態等について理解しようとした。ここでは、『戦中戦後』とその他の安倍の散文集を参考にして、『戦後の自叙伝』の第一高等学校校長時代と文部大臣時代を中心に考察してみた。戦後にも積極的に発言している安倍は、講演と雑誌投稿、放送等を通じて自分の意見を表明し、青年には将来の日本を担うことを呼び掛け、一般人には戦後の回復と志向点を、政府には政策の方向を提案したりした。自伝というのは、筆者の建前よりも本音を読む楽しみの方が大きい。自立心の強かった安倍は、率直な性格の持ち主で、辛辣な人物評を記したり、言いたいことを言う人であった。現実順応的で、保守的な立場を取りながら、個々の政策の誤謬と思うことに対しては批判をも辞さないし、信念の人で自分が当たり前と思うことについては我執を張る頑固さもあり、人間交渉の苦衷を吐露したりしている。盛んに民主主義が唱えられていた、戦後という変革の時代の、軽薄極まる世情の情けなさをも指摘している。安倍は一高校長として、青年学徒に向け、戦後日本の立ち直りのための思考の定立と役割を果たすことを強調している。また、文部大臣としては戦後の連合国軍司令部GHQとの協力の下で民主主義教育の実施のために勤めた。貴族院議員としては憲法改正特別委員会の委員長の役目を担い、主權在民、軍備撤廃・戦争抛棄を主な内容とする、新憲法を作る大役を果たしている。安倍としては、象徴的な天皇制維持という国体の確立は大事であった。それから、教育刷新委員会委員長として、人間性の開発と民主的平和的な市民を養う、等という教育の目的と、教育の自律性と学問の自由を尊重するという教育の方針、學制改編と義務敎育等の教育の原則を開陳した。やがてこれが教育基本法の骨子になり、戦後教育の方向を決めることになった。また、安倍は学習院院長兼理事長として、二十年間私学の学習院建設の主役の任務に尽力した。安倍能成は散文集を多数出版している知識人として知られ、戦後社会作りに関与することになった。激変の時代に、その場を担った一人の人物の役割と考え方を見ることができた。
  • 22.

    A Study on Pipatiroma Regent in Southbound

    Kim Yongui | 2011, (30) | pp.435~452 | number of Cited : 1
    Abstract PDF
    本稿は、奥田英朗の『サウスバウンド』に語られたパイパティローマ伝説を取り上げ、パイパティローマ伝説が小説の中にどのように受け入れられたかを明らかにしようとしたものである。まずパイパティローマについての文獻記錄と口傳記錄の比較にによって、両者の間に見られる語り方の相違について指摘した。この問題については、これからも追究していきたい。『サウスバウンド』の筋の展開は、上原家の東京生活を中心として述べられた前半部、また東京から沖縄へ引っ越してからの生活を中心として述べられた後半部、というふうに分けて理解することができる。特に前半部には、東京が小説の主な舞台になっいるにもかかわらず、小説のいたるところに、沖縄を表象する様々な小道具が動員されている。本稿では、サ-タ-アンダ-ギ-、琉球空手、珊瑚礁などを取り上げ、この点についての分析が行なわれた。つまりそれらの小道具は、「沖縄」という文化アイデンティティーを表わす象徴であり、日本社会から沖縄社会に、さらに沖縄社会からパイパティローマに向かうための飛び石のような意味を持っていたと言える。その中でも、琉球空手の場合は、日本社会からの暴力に身を守る社会的道具、もしくは文化的な防御手段という、より積極的な意味がこめられていた。ところで、この小說には意圖的に沖縄と日本本土という二元論的な對立構圖が設けられている。その對立構圖の一つの軸は、西表島の小學校に象徵される沖縄社会と學習院で象徵される日本社會である。言うまでもなく、前者のほうは平等社会であり、後者のほうは階級社会である。もう一つの対立構図は、上原家が波照間の人々の好意によって住み着いた西表島で展開される。即ち西表島のリゾート開発をめぐる地域社會と中央資本との對立である。結局後者の對立で「敗れた」ことが原因になって、いよいよ上原夫婦はパイパティローマという楽園を目指すようになる。『サウスバウンド』には、パイパティローマが秘密の樂園、国家權力から離れた自給自足の世界、そして戰爭も起らない自由なコミュニティー社会として描かれている。言い換えれば、これは巨大資本が蔓延し、人間同士のコミュニケーションが取れなくなった、また國家權力によって個人の自由が抑圧されている(と見なされた)日本社會に対する痛烈な批判の意味がこめられていると言えるであろう。
  • 23.

    About a woman portrait-reputation beautiful woman of the Edo era

    milim Lee | 2011, (30) | pp.453~477 | number of Cited : 1
    Abstract
    現在、テレビにせよ、雑誌にせよ、マスコミは、少女たちの顔や体の美貌や肌を必要以上にたれながし、彼女らの身体の一部分を取り上げ話題にし、ドラマや映画ばかりか、テレビCMにまで、どぎついセックスシーンがわけもなくあふれかえている。経済的も社会的も何も力の持たない少女たちは、大人と社会の被害者だと思われるのだけど、そんな彼女たちの姿がかわいいとでも思っているか、最近話題を呼んでいる。その原因を考えるに、近世以前には女性美の理想や典型が存在しなかったけれど、江戸時代の社会には、女性の理想像である評判娘がしっかり根を下ろし、今日のモニング(morning)娘の典型や理想としていたっている。本 稿では江戸時代の浮世絵のなかで描かれた評判娘の姿の分析を試みた。体表的なのは春信が主に描いた、上野の山の奥、谷中の笠森稲荷の社前でお茶を供した水茶屋、鍵屋の娘お仙、彼女は浅草の浅草寺境内の楊枝店、本柳屋のお藤とともに、江戸中の人気をさらった美貌の評判娘であった。ところが、春信の錦絵や様々な印刷物の挿絵をいくら比べてみても、お仙とかお藤の容貌の差を認めることは難しい。そのことは歌麿の場合も同じであった。体表的に〈當世三美人〉と題して、難波屋お北、高島屋お久、それに富本豊雛の三人を一図にまとめた間判錦絵があるが、微妙なニュアンスの差が口元、目元に表されているものの顔のほとんど変わりが無いのである。浮世絵の評判娘 美人画にあっては、モデルの女性がいかなる顔立ちをしているかというよりも、どの浮世絵師の美人のタイプで表わされているかということのほうが大切だったのである。画家は自分の美人形を売り物にしているし、評判娘は自身のイメージを売りものにいていたのであろう。顧客の主な対象が気まぐれで新しいもの好きの江戸の町人であったから、流行の最先端を主導する一流の絵師の版画にどうしても愛好が集中しがちであった。今日の一流が明日も一流である保証はなく、人気絵師の交代はふつう短いインターバルで行われるのが常であった。マスコミ文化が高度に発達した江戸時代も今日も同じことがいえるだろう。
  • 24.

    The Comparative Study of Baekje Style Stone Stupa and Japanese Temple Stone Stupa -With a focus on the building history-

    전지혜 | 2011, (30) | pp.479~494 | number of Cited : 1
    Abstract
    A pagoda that was made as the first Buddhism symbol reflects unique cultures of Eastern Asian countries. Therefore, China is often called ‘a country of brick stupa(塼塔)’, Japan is called ‘a country of wooden stupa(木塔)’, and Korea is called ‘a country of stone stupa. In particular, Japan inherited Buddhism from Baekje in the ancient Korea-Japanese relationship, and the fact of Buddhist architects’ dispatch is minutely recorded in 『Nihon-shoki』. In such a background, the comparison study of a pagoda is very interesting topic. Temple Stupa that is well known as the oldest Japanese stone stupa has been known that it copied Jeonglimsaji stone stupa of Baekje and was built by Baekje people. The period somewhat differ depending on researchers, but Japanese academic world normally considers it as the middle and late 7th century. On the other hand, Korean academic world thinks that Baekje style stone stupa that is similar to temple stone stupa in terms of the pattern was not built due to collapse of Baekje but it was built again in Goryeo Dynasty. This study looked into Baekje style stone stupa and Japanese temple stone stupa with ‘Baekje pattern’ beyond the border by focusing on the building history.
  • 25.

    Binding Community with a Business for Self-supporting-From local government to self governing by community-

    이재현 | Huh, Mooyul | 2011, (30) | pp.495~516 | number of Cited : 1
    Abstract
    本研究は, 農山村地域が地域活性化のために実施しているグリーンツーリズム等の交流型ビジネスの成果を踏まえた上で, 当該ビジネスの目的が, 入込み客の拡大がもたらす収入確保からコミュニティ機能の再生・強化へと移り変わっていくプロセスを, 事例分析を通して明らかにすることを課題としている.そのために, 過疎山村の活性化へ向けて様々な取組みを行ってきた宮崎県西米良村を事例として取り上げている.西米良村の地域活性化に関わる諸ビジネスは第三セクターが地域住民の自発的参加を促しながら運営してきた.ところが、近年は, 地域活性化の新しい方向として, これまで第三セクターによって管理されてきた地域活性化関連の事業を, 当該地区の住民らによる自主管理へ移行させている.このような西米良村の地域自立戦略に見るコミュニティと交流型ビジネスを結合方式は, 公共事業の縮小や財政健全化の課題を抱えながら、コミュニティの再生に取り組んでいる多くの農山漁村に大きな示唆を与えるものである.