@article{ART002189621},
author={KIM MOON JA},
title={A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu},
journal={중앙사론},
issn={1229-3652},
year={2016},
number={44},
pages={151-186}
TY - JOUR
AU - KIM MOON JA
TI - A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu
JO - 중앙사론
PY - 2016
VL - null
IS - 44
PB - Institute for Historical Studies at Chung-Ang University
SP - 151
EP - 186
SN - 1229-3652
AB - 本稿では壬亂以後朝鮮と日本との間で速かに國交再開が行われた背景を日本の対内外の事情と德川家康が推進した政策を中心に考察した. 彼は秀吉死後豊臣秀吉の政治を継承しながら豊臣家の一介の大名に過ぎなかったし, 1617までも不安定な権力を持っていた. 当時西国大名を中心に日本では島津氏が明․琉球と貿易を,加藤氏が東南アジア及びルソン貿易を活発に行われていた. 德川家康にとっては秀吉の2回に渡る朝鮮侵略によって東アジアの社会で孤立された国際関係を回復し, 朝鮮と明との国交正常化を図ることによって国家主権を明らかにしようとした. また, 交易による国内経済の発展と貿易利潤を通じて財政を確保することが急先務であった. こうした事情から彼は朝鮮との國交回復に力を入れなければならなかったのである.
一方, 国内で家康は1602年に二條城をはじめ ‘天下普請(公儀普請)’の名目で 江戶城․駿府城の築城を斷行し, さらに江戸幕府を成立しなから征夷大将軍に就任した. こうした過程で家康は豊臣政権との差別性を強調しながら江戸幕府の将軍継承問題が終わると政治権力の掌握に対する揺るぎない意志を表すため對內外的な宣傳効果を考慮に入れた通信使行の渡來を成功させようとした. 今まで従来の研究では1607年の ‘回答兼刷還使’ 派遣が徳川秀忠の将軍即位のためであるとみてきたが, むしろ江戸城の完工に合わせて江戸幕府の絶對権力を見せ付けるためではないかと思われる.
ところが, 朝鮮の立場では日本の再侵を防ぎ,国内の状況も整備し, 北方の防衛にも専念することができると同時に日本の情勢も探索することが可能であると判断し, 通信使派遣を認めざるをえなかったのである.
さらに, 明の立場では1604年から朝日交渉にはあまり干渉しないことと, 朝鮮が自主的․能動的に判断してこの問題を処理すべきである所謂 ‘先行後報’方針を下した. これは朝日の國交再開問題を言及するとき欠かせない重要なことである. こうした明の政策変化によって朝鮮は日本と通倭するという疑惑を受けないで ‘惟政一行’と ‘回答兼刷還使’を日本へ派遣することができたのである.
壬辰倭亂以後, 速かに解決された朝鮮と日本の國交再開問題は各国の国内政治と密接に連動されて推進してきたことは言うまでもない. 結果的に言うと宣祖の政治的な立場, 家康の不安定な政治状況や彼の外交․貿易․大名統制を前提とした対外観及び江戸城完成時期を起点とした政治的な宣伝のため, 明の朝日関係にたいする不干渉政策への転換など, 以上のように東アジア三国の事情がお互いに関連して短期間に ‘回答兼刷還使’が派遣され、10年ぶりに朝日國交再開が行われたのである.
KW - The Imjin War;The Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan;Edobakuhu;Tokugawa Ieyasu;The Person who is responsible for repatriation and response;Thusima
DO -
UR -
ER -
KIM MOON JA. (2016). A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu. 중앙사론, 44, 151-186.
KIM MOON JA. 2016, "A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu", 중앙사론, no.44, pp.151-186.
KIM MOON JA "A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu" 중앙사론 44 pp.151-186 (2016) : 151.
KIM MOON JA. A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu. 2016; 44 : 151-186.
KIM MOON JA. "A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu" 중앙사론 no.44(2016) : 151-186.
KIM MOON JA. A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu. 중앙사론, 44, 151-186.
KIM MOON JA. A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu. 중앙사론. 2016; 44 151-186.
KIM MOON JA. A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu. 2016; 44 : 151-186.
KIM MOON JA. "A Study on the Establishment of Diplomatic Relations between Jeseon and Japan after the Imjin War and Tokugawa Ieyasu" 중앙사론 no.44(2016) : 151-186.