@article{ART000929644}, author={권동현}, title={대한 일고찰(一考察)}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={20}, pages={15-36}
TY - JOUR AU - 권동현 TI - 대한 일고찰(一考察) JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 20 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 15 EP - 36 SN - 1226-3605 AB - 捷解新語における指示副詞「こう」 「かやう」 「そう」 「さやう」 「どう」 「どうもこうも」について考察した結果、つぎのような結論が得られた。「こう」と「かやう」の關係及び「そう」と「さやう」との關係を三本を通してわかったことは、「こう」と「そう」の場合は原刊本から改修本及び重刊本へ移行するほどその例がずっと減少している傾向をみせている反面、「かやう」と「さやう」の場合は原刊本と比して改修本及び重刊本ではずっと多く使われていることがわかった。
「そう」の場合、原刊本の「そう」が改修本で「かやう」に替えられている1例が存在するが、これは「さやう」をまちがえて「かやう」にとりかえたのではないかという根據を提示したことがあるが、これについてもより細密な檢討がなされることと思われる。
原刊本において「こう」 「そう」はそれよりも成立が遲い改修本において「かやう」..「さやう」という、より古めかしい語に置き換えられていることについては、兩捷解新語は著しく異なる文體に屬する言語を反映しているかもしれないと思う。兩捷解新語の文體が異なるということは、必ずしも原刊本の成立の時期にすでに、一方において改修本的文體のものも存在し、改修本の成立したその時期に成立したとみるべきものであろう。とすれば、兩者の間の差異は文體的なものであると同時に、時代の反映でもなければならない。
これについては捷解新語だけに表す言語の樣相なのか、それともその時代の一般的な言語の樣相なのかについては同時代のより多くの文獻との對照․檢討を通して具體的で詳細に硏究してみたい。
または「どうもこうも」の場合、「뎌러타이러타」と對譯されているものは日韓對譯からみられる誤譯であると思われる。
KW - DO - UR - ER -
권동현. (2004). 대한 일고찰(一考察). Journal of Japanese Culture, 20, 15-36.
권동현. 2004, "대한 일고찰(一考察)", Journal of Japanese Culture, no.20, pp.15-36.
권동현 "대한 일고찰(一考察)" Journal of Japanese Culture 20 pp.15-36 (2004) : 15.
권동현. 대한 일고찰(一考察). 2004; 20 : 15-36.
권동현. "대한 일고찰(一考察)" Journal of Japanese Culture no.20(2004) : 15-36.
권동현. 대한 일고찰(一考察). Journal of Japanese Culture, 20, 15-36.
권동현. 대한 일고찰(一考察). Journal of Japanese Culture. 2004; 20 15-36.
권동현. 대한 일고찰(一考察). 2004; 20 : 15-36.
권동현. "대한 일고찰(一考察)" Journal of Japanese Culture no.20(2004) : 15-36.