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A study on 『MICHIKUSA』 of Natsume Sosek

  • 日本硏究
  • 2011, (31), pp.240-259
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : August 20, 2011

Chang Nam-Ho 1

1충남대학교

Accredited

ABSTRACT

1906年書かれた漱石の『草枕』は、美的世界を描く風流の文学という評価と社会や人間への抵抗という思想小説という見方がある。本稿では主要人物である画工と那美を中心として日常と非日常の観点から『草枕』を論じてみた。画工の旅の目的は世俗を超越して芸術理想を具現することであり、非人情の世界を味わうことである。非人情の達成が可能になったことは旅人という非日常の通過者としてのみ可能であった。もう一人那美は日常の生活者として非人情の世界を自ら作り出そうとする。画工も那美も非日常を空想するばかりではなく、実現化することを切望している。しかし生活者である那美には非人情はないのである。漱石のいう自然は非人情であるが、椿の場面では画工は時代の暗い影を物語っている。『草枕』には極端に表現することは避けているが文明批判が行われている。世紀末現象というミレーのオフェリアが作品の下敷きになっているのも無関係ではない。また久一の出征も、戦争に赴くものとそうでない者の間には、想像と現実の隔たりが存在するのである。非人情を求める画工の目的は、非人情の極みにある神境の絵の創作という具体性をおびる。往生し憂いも惑いも超越した姿を表す対象として、那美の表情の中でいまひとつたりない憐れをめぐって作品は締めくくるのである。狂人の家計という宿命の行く先には、あるいは画工と同類の不幸な感受性の行き着く先に、神に尤も近き人間の情である憐れを持ってくる必要があったのである。憐れは那美によせる画工の心情でもある。非人情の美学は人情なくして実現できないことであり、日常と非日常の相克に現れることである。またその美学は、主人公の観念の中でしか存在し得ないのである。

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