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受動文の動作主表示「から」について -その利害性を中心に-

  • The Japanese Language Association of Korea
  • Abbr : JLAK
  • 2010, (29), pp.17-29
  • Publisher : The Japanese Language Association Of Korea
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature

김미연 1

1한국외국어대학교

Accredited

ABSTRACT

本稿は日本語の受身表現の場合、主語が有生のものである場合には、受身においては利害を蒙るという感じが特に深いという橋本進吉(『助詞·助動詞の研究』橋本進吉著、p.282)の主張を考えると、「から」が利害を蒙る感じの度合いが一番高いのではないかという前提を立てて、主にこの点についての考察を中心に論を進めて行く。本稿では他動詞に範囲を決めて受動表現に於ける動作主表示「から」の「利害性」という問題を分析してみた。他動詞に範囲を決めたのは、自動詞の場合、表示「に」だけの表出が予測されること、数量的に少ない点、その内容が専ら「迷惑」という被害だけを表すので、本稿でいう「利害性」とはややずれがあったからである。 また本稿では、まずは、主語の性質とその利害性を調べてみて、次は動作主の性質、動作主表示の「方向性」、動作主の用例の収集という観点からその「利害性」を調べてみたが、その結論としては、①主語が有生の場合と利害性を考えた場合、「から」が最も「利害性」を蒙る感じが深い。②動作主の性質からいうと、動作主の表示「から」の場合、それが「みなから」、「みんなから」、「人々から」など、複数の動作主の場合が多いので、やはり「利害性」を蒙る感じが深いと言える。③動作主表示の「方向性」の観点からいうと、「から」が主語の立場から「求心的」な「方向性」によって、行為や感情などを直接受けると解釈できるので、利害性は「に」などに比べると直接的で、より深く利害性を感じるようになる。また、④インターネットの用例を多く引用しているが、これはネット上の例文が最近の時代の推移を反映していると思う場合、日本語にも一種の欧州の影響を受けやすい若者たちが使う日本語に於ける変化を物語っていると思う。そして、その変化というのは、より直接な表現を好む傾向が反映されて、従来には「から」が使われていなかった表現まで、より直接的に「利害」を受けると言う感情の発露で「から」が増えたのではないかと思う。

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