@article{ART000929769}, author={佐藤愛弓}, title={頭を打ちかれる天狗 ― 言僧海における天狗像を中心に ―}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={21}, pages={115-132}
TY - JOUR AU - 佐藤愛弓 TI - 頭を打ちかれる天狗 ― 言僧海における天狗像を中心に ― JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 21 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 115 EP - 132 SN - 1226-3605 AB - 天狗は中世說話のさまざまな場面に登場する怪異のひとつである。今昔物語集などの說話における天狗は寺院周辺に登場し高僧を誑かすという性質を持つ。しかし天狗と寺院、経典、聖敎との關係には不明な点が多い。沙石集や聖財集においては、経典や聖敎にはでてこない、日本固有のものであり正式な仏敎とは結びつかないものであるとされている。中世の僧侶からみた天狗とはどのような存在であったのであろうか。眞言僧榮海が編纂した伝記集眞言伝を中心に考えてゆく。眞言伝を檢討してゆくと、天狗は僧侶を欺き、墮落させようと狙う存在であるということ、特に臨終の時を狙うものであること、天狗が恐れるのは僧侶に付き從っている護法童子であること、特に護法童子に頭を碎かれることを恐れていることが判明した。
また榮海の書いた宗敎テキスト杲宝入壇記には、榮海の夢にでてきた天狗のことが書かれている。その中には天狗の頭を七つに碎くという表現があり、その表現について調べてゆくと経典、儀軌の中で、陀羅尼や修法によって擊退される鬼神に對して同樣の表現が用いられることがわかった。そこから天狗が、陀羅尼や修法で擊退される鬼神とイメージを重ねられていたことが推測できる。それは眞言伝の天狗が、護法童子に頭を打ち碎かれることを恐れているということと重なる。天狗は密敎を中心とする寺院においては、煩惱をくすぐり僧侶の修行を邪魔するものとして實踐の場で意識され、警戒される存在であったと考えられる。
KW - DO - UR - ER -
佐藤愛弓. (2004). 頭を打ちかれる天狗 ― 言僧海における天狗像を中心に ―. Journal of Japanese Culture, 21, 115-132.
佐藤愛弓. 2004, "頭を打ちかれる天狗 ― 言僧海における天狗像を中心に ―", Journal of Japanese Culture, no.21, pp.115-132.
佐藤愛弓 "頭を打ちかれる天狗 ― 言僧海における天狗像を中心に ―" Journal of Japanese Culture 21 pp.115-132 (2004) : 115.