@article{ART000929770}, author={이미정}, title={漱石吾輩は猫であると春園千眼記 ― 猫との役割と文明開化を巡る比較考察 ―}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={21}, pages={151-168}
TY - JOUR AU - 이미정 TI - 漱石吾輩は猫であると春園千眼記 ― 猫との役割と文明開化を巡る比較考察 ― JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 21 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 151 EP - 168 SN - 1226-3605 AB - 本論文では漱石の吾輩は猫であると春園の千眼記を兩作家の永遠のテーマの一つである「文明開化」を中心として比較考察した。兩作品は擬人化されている「猫」と「蠅」を通して物語を滑稽かつ諧謔的に描くのみならず、さらに「猫」と「蠅」の役割が兩作品の主題を解決するのに大きな手掛かりになっている。それでは兩作家はこのような動物の役割を通して何が言いたかったのであろうか。それを究明するのが本稿の目的である。
考察の結果、「猫」と「蠅」は「主人」と「僕」に救われて、利用され、殺される役割を持っており、兩作品とも現實社會の批判のため「猫」と「蠅」が利用されていることが明確になった。これが兩作品における共通点であろう。しかし兩作品の置かれている歷史的背景と條件が異なるため、批判している對象と內容がかなり異なる。吾輩は猫であるは近代化を進めていく日本が西洋列强と肩を並べるため國家主義的かつ帝國主義的な近代國家への意志を膨張させ、無理に戰爭や「文明開化」などを行っているため、個人は一層慘めな生活に苛まれなければならないと指摘し、猛烈に批判している。一方千眼記は1919年三・一獨立運動の失敗後、挫折と共に解放への意志が薄れていく社會風潮の中、「惡い制度」「旧制度」「惡習」などが植民地からの解放の障害になるので、それらを撤廢し、「文明開化」をしなければならないというメッセージを込めている。これがまさに兩作品の相違点であろう。
以上、「猫」と「蠅」の役割を通した考察によって吾輩は猫であると千眼記における漱石と春園の「文明開化」に對する異なる立場が明らかになった。このことは、兩國の近代化の中で苦鬪した二人の作家像、ひいては兩國の近代化のあり方を追究していくのに重要な意味を持つと思われる。
KW - DO - UR - ER -
이미정. (2004). 漱石吾輩は猫であると春園千眼記 ― 猫との役割と文明開化を巡る比較考察 ―. Journal of Japanese Culture, 21, 151-168.
이미정. 2004, "漱石吾輩は猫であると春園千眼記 ― 猫との役割と文明開化を巡る比較考察 ―", Journal of Japanese Culture, no.21, pp.151-168.
이미정 "漱石吾輩は猫であると春園千眼記 ― 猫との役割と文明開化を巡る比較考察 ―" Journal of Japanese Culture 21 pp.151-168 (2004) : 151.