@article{ART001135325}, author={이지숙}, title={1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={21}, pages={169-186}
TY - JOUR AU - 이지숙 TI - 1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ― JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 21 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 169 EP - 186 SN - 1226-3605 AB - 北村透谷は「處女の純潔を論ず」(1893)で、高尙な戀愛は「無染無汚の純潔」を源としていて、純潔のない戀愛は「肉愛」に過ぎないと言う。女性の価値を性的純潔性に求めている透谷の戀愛觀を述べている。一方、自然主義文學の代表とされる田山花袋の「蒲団」では、男․女の關係は男の「肉愛」「性愛」の觀点からのみ描かれている。これは敎育勅語や明治民法に象徵されるような天皇制絶對主義下での男尊女卑が加速された時代背景にも影響を受けている。
1911年に誕生した「靑鞜」は「女流文學の發達を計り、各自天賦の特性發達せしめ、他日女流の天才を生まむ事」を目的とした。「靑鞜」の女性たちは、女性である自分の身体を「性としての自己」と認識し、その「自己とは何か」を問いかけている。
本稿では1910年代に女性小說におけるセクシュアリティの樣相を三つに分類してみた。女性の抑壓された性には、女性という性規範のもと決して自由になれなかった過渡期での女性の苦痛と怒りが表現されている。また、解放された性は男性に支配されることのない女性の出現や不倫という自己主張にまで至る。そして、女性の連帶感を重視したシスターフッド․レズビアニズムまで登場している。
女性のセクシュアリティは家族を作る生殖のためにあると規定され、性交は社會的に制度化され認知されてきたことについて、彼女たちは絶えず疑問を提示している。家庭內に封じ込められる<良妻賢母>ではなく、「性としての自己決定」を求めることによって、近代自我をもつ<個>としての自分を求めたのである。
KW - DO - UR - ER -
이지숙. (2004). 1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―. Journal of Japanese Culture, 21, 169-186.
이지숙. 2004, "1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―", Journal of Japanese Culture, no.21, pp.169-186.
이지숙 "1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―" Journal of Japanese Culture 21 pp.169-186 (2004) : 169.
이지숙. 1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―. 2004; 21 : 169-186.
이지숙. "1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―" Journal of Japanese Culture no.21(2004) : 169-186.
이지숙. 1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―. Journal of Japanese Culture, 21, 169-186.
이지숙. 1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―. Journal of Japanese Culture. 2004; 21 169-186.
이지숙. 1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―. 2004; 21 : 169-186.
이지숙. "1910년대 일본 여성소설의 섹슈얼리티 ― 「靑鞜」소설을 중심으로 ―" Journal of Japanese Culture no.21(2004) : 169-186.