@article{ART000939295}, author={尹 一}, title={Arishima Takeo and Christianity}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2005}, number={26}, pages={215-227}
TY - JOUR AU - 尹 一 TI - Arishima Takeo and Christianity JO - Journal of Japanese Culture PY - 2005 VL - null IS - 26 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 215 EP - 227 SN - 1226-3605 AB - 有島武郞が明治三十四年三月の札幌獨立敎會へ入會し、明治四十三年五月同敎會を脫會するまでの時間はほぼ十年間にわたった。敎會員としての時間をふくめ、彼がキリスト敎と直接かかわっていたのは明治三十一年までさかのぼることができる。本稿はキリスト敎へ入信する以前、自己否定に陷っていく有島の姿を中心的に捉えようとするものであって、特に有島のキリスト敎師であった內村鑑三の救安錄に焦点をあわせ、救安錄がキリスト敎入信へかかわっていた思っている。ところで、罪の問題に惱んでいた有島は、求安錄によって得られたつかの間の罪からの自由になったが、今度は求安錄によって、罪が深化してしまうというアイロニーを生んでしまった。罪からの解放感を味わった瞬間襲ってきた罪の束縛が、彼を何倍も苦しめたのである。結局、求安錄によって深化された罪に對する意識が彼を「靈肉二元對立」の問題に落とし、キリスト敎からの離脫まで追い込んだのである。それは、「キリスト敎的」「靈」と「肉」の戰いが一段落終わった後、二つの道に見られるような、あらゆる「二元對立」の問題に對して觀照的態度を取ることとほぼ同時期に起きたこてある。しかし、彼の作品世界のなかで「イエス」の名が消えることはなかった。そこに、有島の「イエス」が「キリスト敎的」「二元對立」の問題から「自由」であったと推測できる。すなわち、キリスト敎離脫後の有島において、靑年期体驗していた禁欲主義的キリスト敎は、もはやその意味を失っており、「自己の本能」を生きるものとして、彼によって「イエス」が選ばれたのであって、「イエス」がキリスト敎離脫後にも消えなかった理由はそこに起因する。 KW - DO - UR - ER -
尹 一. (2005). Arishima Takeo and Christianity. Journal of Japanese Culture, 26, 215-227.
尹 一. 2005, "Arishima Takeo and Christianity", Journal of Japanese Culture, no.26, pp.215-227.
尹 一 "Arishima Takeo and Christianity" Journal of Japanese Culture 26 pp.215-227 (2005) : 215.
尹 一. Arishima Takeo and Christianity. 2005; 26 : 215-227.
尹 一. "Arishima Takeo and Christianity" Journal of Japanese Culture no.26(2005) : 215-227.
尹 一. Arishima Takeo and Christianity. Journal of Japanese Culture, 26, 215-227.
尹 一. Arishima Takeo and Christianity. Journal of Japanese Culture. 2005; 26 215-227.
尹 一. Arishima Takeo and Christianity. 2005; 26 : 215-227.
尹 一. "Arishima Takeo and Christianity" Journal of Japanese Culture no.26(2005) : 215-227.