@article{ART000940065}, author={정장식}, title={1719年 申維翰이 본 日本}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={20}, pages={281-304}
TY - JOUR AU - 정장식 TI - 1719年 申維翰이 본 日本 JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 20 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 281 EP - 304 SN - 1226-3605 AB - 1719年頃の朝鮮は、外治イデオロギーであった「北伐論」の可能性が薄れて、政治が「禮治」へ変わって、內外的に「中華」であることを自負した。1719年の通信使の製述官であった靑泉の日本を見る視角にも大きな変化はなかった。日本の綺麗な景色を見る靑泉は、羨望の線を越え猜忌心まで持って、時には記者のような好奇心で、果敢に行動しながら多くのものを書こうとした。靑泉は文化的優越感と詩文に自慢心を滿ったので、これが日本の本來の姿を探るのに妨げになった。靑泉は自分の文才を誇示し、日本の詩文をおおよそ過小評價したが、日本の詩文が平仄に合わないのを洞察し、その原因を診斷したのは彼が初めてであった。靑泉の見方も日本の一部を見て全体を評価する通信使ならではの拙見であったが、日本の國政と將軍を好意的に評価したのは珍しい。また日本に不信感は殘ったが、靑泉は日本の再侵のおそれはないと樂觀的に見た。靑泉が對馬との交隣外交に注意を强調したように、まだ對馬は兩國關係において「鷄肋」のような存在であり、心配の種であった。
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정장식. (2004). 1719年 申維翰이 본 日本. Journal of Japanese Culture, 20, 281-304.
정장식. 2004, "1719年 申維翰이 본 日本", Journal of Japanese Culture, no.20, pp.281-304.
정장식 "1719年 申維翰이 본 日本" Journal of Japanese Culture 20 pp.281-304 (2004) : 281.
정장식. 1719年 申維翰이 본 日本. 2004; 20 : 281-304.
정장식. "1719年 申維翰이 본 日本" Journal of Japanese Culture no.20(2004) : 281-304.
정장식. 1719年 申維翰이 본 日本. Journal of Japanese Culture, 20, 281-304.
정장식. 1719年 申維翰이 본 日本. Journal of Japanese Culture. 2004; 20 281-304.
정장식. 1719年 申維翰이 본 日本. 2004; 20 : 281-304.
정장식. "1719年 申維翰이 본 日本" Journal of Japanese Culture no.20(2004) : 281-304.