@article{ART000929521}, author={최서영}, title={『古事記』에 있어서 死의 漢字表記―『三國史記』『三國遺事』와의 比較 ―}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={20}, pages={263-280}
TY - JOUR AU - 최서영 TI - 『古事記』에 있어서 死의 漢字表記―『三國史記』『三國遺事』와의 比較 ― JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 20 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 263 EP - 280 SN - 1226-3605 AB - 人が死んだ時、使用される漢字の種類によってその人の地位を一般的に判斷できる。つまり、「天子→崩、諸侯→薨、貴人→卒、庶人→死」と死の漢字表記を、崩․薨․卒․死の4段階で區別している。
ここで「崩」を使用する「天子」の称号は、天下を統治する者だけに使用する。また、このような「天子」は世界の中心である中國に唯一人だけ存在する。「天子」に使う「崩」が古事記ではどのように使われてきたか、つまり「死」の漢字が古事記においてどのように使われたかによって、「天皇」の位置が明らかになる。
三國史記では、中國の歷代の王だけに「崩」を使って、韓半島の歷代王と王妃․太后には「薨」を使い、特異な点としては、新羅の將軍の金庾信と金仁文にもその業績を重要視して王と同じ「薨」を使ったこと。また、業績を成し遂げられなくて早く死んでしまった太子や王妃は「卒」を使い、百濟21代王の蓋鹵王にも「死」を使っている。これは、一度天皇として奉られると最後まで「天皇」として待遇した古事記とは違って、その地位よりも業績によって「死」に表記を區別したと言える。
次に三國遺事では歷代の王と王后の死の漢字の表記に於いて「崩」という字を使った点は古事記と同じであったが、王であっても北扶余の王の夫婁と新羅二代の南解王․新羅二十八代の眞德王․扶余州王の死に「薨」を使い、百濟の義慈王に「卒」を使った点から見ると、三國遺事も三國史記と同じく、地位よりもその業績を重要視して死の表記を區別したと推測できる。
これに反して、古事記では歷代の「天皇」の死に對して「崩」を使っていることを原則とするのは三國遺事と同じであるが、それ以外の死は「死」で表すのが普通である。しかも「天皇」になるとその業績に關係なく最後まで「天皇」として待遇し、なお天皇以外にも太子と皇后にも天皇と同じ待遇をした。また、天神(あまつかみ)であっても「天皇」に通じる天神また「天皇」に對立する者は、その業績がたとえすぐれていてもすべて死の漢字の表記において「死」を使用している。これを考えると古事記は「天皇」を絶對的な存在、すなわち、天下を支配とするものとして保障したと言える。 KW - DO - UR - ER -
최서영. (2004). 『古事記』에 있어서 死의 漢字表記―『三國史記』『三國遺事』와의 比較 ―. Journal of Japanese Culture, 20, 263-280.
최서영. 2004, "『古事記』에 있어서 死의 漢字表記―『三國史記』『三國遺事』와의 比較 ―", Journal of Japanese Culture, no.20, pp.263-280.
최서영 "『古事記』에 있어서 死의 漢字表記―『三國史記』『三國遺事』와의 比較 ―" Journal of Japanese Culture 20 pp.263-280 (2004) : 263.