@article{ART000961792},
author={金 蘭 珠},
title={The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen},
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2005},
number={25},
pages={71-90}
TY - JOUR
AU - 金 蘭 珠
TI - The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2005
VL - null
IS - 25
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 71
EP - 90
SN - 1226-3605
AB - 本論文では韓國仮面劇と狂言に登場する僧侶の性格を分析し、同じく仏敎の聖職者である僧侶を扱うこの二つの演劇がそれぞれ僧侶をどのように描き、どのように扱っているかについて考察した。このような比較考察を通して、韓國と日本における仏敎の在り方及び兩演劇のもつ劇的特質を浮彫りにしようとした。
韓國の仮面劇と日本の狂言において仏敎は樣々な演劇的バリエーションをもち、多樣な人物群像を作り上げた。しかし狂言が能とともに權力者に保護を受けながらそれに相応しく洗練されてきたのに對し、仮面劇は村々の祭儀の世界にその基盤を强化していった。そこで仮面劇の僧侶はシャマニズムの神に生まれ変わり、彼らの居場所はもう仏敎の外側の世界になっていた。仮面劇の僧侶がみせる、猥雜で性的興奮感で充滿したセリフや興にのった踊り、思い切った戱れ振りはそのような脈絡で讀み取れる。
狂言の僧たちは偉そうな顔をしていながら、實は俗人とかわらぬ人間的弱点を多くもっており、そのため樣々な失敗を絶えず起こす。出家狂言の笑いはそのような僧たちの失敗ぶりから生じてくる。それには當然、宗敎や宗敎人に對するからかいや風刺の姿勢が見られる。しかし、狂言がそれを描く態度には、銳い非難や警戒のような深刻な態度は見られない。それは狂言の民衆たちが聖職者の僧侶を聖なる存在としてではなく、自分達とあまり変わりのない生身の人間として捕らえているためであろう。それには、あるがままの現實世界が究極の眞理であり、悟りの世界として肯定する日本仏敎獨特の思想が多分に反映されていると思われる。すなわち、出家という形だけは守るものの、早くから出家の妻帶が當然のように行われるなど、出家修行の不可欠性がよわまり、だれでも仏になることができるという樂觀主義、現世主義、世俗化などの日本仏敎の特色が狂言の出家には投影されている。
KW -
DO -
UR -
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金 蘭 珠. (2005). The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen. Journal of Japanese Culture, 25, 71-90.
金 蘭 珠. 2005, "The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen", Journal of Japanese Culture, no.25, pp.71-90.
金 蘭 珠 "The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen" Journal of Japanese Culture 25 pp.71-90 (2005) : 71.
金 蘭 珠. The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen. 2005; 25 : 71-90.
金 蘭 珠. "The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen" Journal of Japanese Culture no.25(2005) : 71-90.
金 蘭 珠. The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen. Journal of Japanese Culture, 25, 71-90.
金 蘭 珠. The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen. Journal of Japanese Culture. 2005; 25 71-90.
金 蘭 珠. The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen. 2005; 25 : 71-90.
金 蘭 珠. "The priest figure to see for Korean mask drama and Kyogen" Journal of Japanese Culture no.25(2005) : 71-90.