@article{ART001135472}, author={村松正明}, title={A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2005}, number={27}, pages={163-178}
TY - JOUR AU - 村松正明 TI - A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu” JO - Journal of Japanese Culture PY - 2005 VL - null IS - 27 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 163 EP - 178 SN - 1226-3605 AB - 本稿は新古今集の夢の歌について、部立ごとの特徵や、歌が詠まれた時代背景を考察したもので、「幽玄」や「有心体」に代表される、華麗・優美・繊細・妖艶な「新古今調」の形成に、夢の歌が少なからず貢獻していることを明らかにした。
先ず戀歌には、逢瀨の後の心情を吐露した歌が多く、また戀の終末期や終了後における夢の歌が多く入首している。卽ち、過ぎ去った昔の逢瀨を回想して詠んだ歌が多いのであり、そこには貴族社會の崩壞によって、現實逃避的、空想的になった時代精神からの影響が考えられる。
次に四季の歌では、春歌は「春の夜の夢」が多く詠まれており、夢と現實が交錯する幻想的な意識の中で、甘美で妖艶な美的世界が表現されている。夏歌は懷旧の情を誘う「橘」が詠み込まれており、秋歌は何れも夢から覺めた後の余韻が詠み込まれている。秋は夜長で目覺めやすく、覺めた後にも長く侘しい夜が續いたからであろう。冬歌は寒い夜の夢見後の侘しさが詠まれている。四季の歌は、折々の季節感に応じて繊細に詠まれ、しかも多くの歌は內に戀の情を含んでおり、自然と人情を統一した幻想的な美的な象徵にまで昇華していると言えよう。
第三に雜部の歌には、戀歌の夢と同樣に過去を偲ぶ歌が多い。現在の侘しい狀況と華やかだった夢のような過去とが比較されることによって「無常」が表現されており、また釋敎歌ともいえるような仏敎的な歌も含まれている。
第四に哀傷歌には、比喩として詠まれた夢が多く、なかでも「死」を夢に喩えた歌が多い。また戀歌では夢に現れる人は生きている人であったが、哀傷歌では死者が夢に現れており、成仏できずに中有を漂泊していた魂が、戀慕の情に引き寄せられて夢に現れたと解釋できる。
最後に釋敎歌と神祇歌であるが、釋敎歌の夢は何れも経典の趣旨を詠んだ歌であり、神祇歌の夢には仏敎思想を詠んだ歌もあり、當時の神仏習合思想の影響がうかがえる。 KW - DO - UR - ER -
村松正明. (2005). A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”. Journal of Japanese Culture, 27, 163-178.
村松正明. 2005, "A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”", Journal of Japanese Culture, no.27, pp.163-178.
村松正明 "A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”" Journal of Japanese Culture 27 pp.163-178 (2005) : 163.
村松正明. A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”. 2005; 27 : 163-178.
村松正明. "A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”" Journal of Japanese Culture no.27(2005) : 163-178.
村松正明. A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”. Journal of Japanese Culture, 27, 163-178.
村松正明. A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”. Journal of Japanese Culture. 2005; 27 163-178.
村松正明. A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”. 2005; 27 : 163-178.
村松正明. "A Study on Dreams in “Shinkokinwakashuu”" Journal of Japanese Culture no.27(2005) : 163-178.