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『捷解新語』卷十의 文面解讀(Ⅱ)

임창규 1

1제주한라대학교

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ABSTRACT

 本稿は従来の研究では研究対象から排除されてきた候文体書簡文である『捷解新語』巻十(五帳から八帳まで)について検討したものである。 司譯院における倭學書の白眉とも言うべき『捷解新語』の資料的重要さは言を俟たない。しかし、従来の研究では巻十の場合、候文体書簡文であることから、研究対象から排除されてきたのである。先行研究があるとしても李太永(1997)が唯一であるが、李太永(1997)においては原文である日本語文については考慮の外に置き、改修本の対訳のハングルだけに注目し、現代韓国語を解釈しており、不自然な表現などが少なくない。そこで本稿では、『捷解新語』が書かれたほぼ同時代の文献、すなわち『日葡辞書』『日本大文典』の他、多数の資料を参考にし、日本文及び、文の前後の状況までを考慮の対象とし、巻十の文面を繊細で且つ緻密に解読を試みたものである。 検討の結果であるが、『捷解新語』を解読するに当たって日․韓どちらかの一方だけの言語の立場から解読した場合、誤謬を犯しやすいことを確認することができた。さらに、本稿においてはそうした先行研究の誤謬を修正し、且つ最も望ましい巻十の解読の方向性を提示しようとしたのである。すなわち、『捷解新語』の底本である原刊本の日本語を軸にし、まず、原文の日本語を現代日本語に解読し、さらに改修本と重刊本の韓国語を考慮の対象にし、現代韓国語に解釈すべきであると論じた。また、日本語文と対訳の韓国語文の構造の違いが有る場合、特に日本文の直訳が韓国語として文法的ではない場合においてはまず、韓国語の文法的な表現に意訳して解釈するのが妥当であると考える。さらに改修本の編纂過程において生じた誤謬または不自然な表現は、原刊本の日本語の表現に基づき、現代韓国語に解釈すべきものであると論じた。

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