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『紫式部日記』における対『枕草子』意識 ──藤原斉信関連記事をめぐって──

KIM Hyosook 1

1세종대학교

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ABSTRACT

『紫式部日記』に『枕草子』に対する対抗意識が顕著であるということは、従来よく言われることであった。それは、『紫式部日記』の消息的部分に清少納言に対する辛辣な批判が述べられていることがもっとも大きな原因であろう。本稿では、その清少納言批判に至るまでの消息的部分が連動して書き進められていることに注目し、その中で後宮サロンを具体的に批評する人物として藤原斉信が登場している意味、さらには『紫式部日記』全体における斉信の描かれ方を『枕草子』と関連づけながら検討している。 『枕草子』には藤原斉信との交流が描かれ、清少納言は彼に対して最上の賛美を呈するのだが、彼に贈られた称賛は、彼女自身の才知を引き立て、さらには中宮定子のサロンをさらに輝かせることに繋がっていた。そして『紫式部日記』にもやはり藤原斉信のことが多く描かれているのだが、それは彼が中宮彰子「宮の大夫」であったという職掌に加え、『枕草子』を意識してのものであったと思われる。それは、例えば漢籍の知識に関わる記事によってさらに鮮やかに浮き上がる。紫式部は清少納言批判文において清少納言の漢学の教養を見せびらかすような態度を非難しているが、実は紫式部も清少納言のように自身の漢学の教養に対して異常なまでの自負を持っていた。そして、『枕草子』には藤原斉信との漢詩の遣り取りが書かれているが、『紫式部日記』においてもやはり斉信との漢詩の応酬が描かれており、これもやはり対『枕草子』意識によるものではないかと思うのである。 紫式部は、かつて清少納言との交流を通して定子サロンの栄華を世に伝えた役割をしていた藤原斉信を、今度は『紫式部日記』において彰子サロンの一員として描き直すことによって、定子サロンを否定し彰子サロンの優越性を世に知らしめたのではなかろうか。

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