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경성의 일본인 극장 변천사 ―식민지도시의 문화와 ‘극장’―

홍선영 1

1한림대학교

Accredited

ABSTRACT

植民地時代の京城における日本人劇場はどのような文化的位置を占めたのであろうか。文字解得力のない大衆やメディアの発達が十分でなかった当時の「劇場」というのは、他のメディアのなかでも最も重要な文化媒体であった。このような性格によって劇場は必然的に「資本」と帝国の「文化権力」の影響の下に存在するしかなかった。  演劇研究において劇団、公演レパートリー、上演作品のテキスト研究など多様なアプローチが可能だが、本稿では特に「劇場」という空間―建築物としての劇場―に焦点を当て近代的メディアの主な部分として再照明しようとした。さらに日本人劇場の形成と変遷の過程に注目し、「帝国日本」の文化権力が劇場の領域でどんなに具現されたのか、また帝国膨脹の歴史のなかで文化が担当した役目とその実態を明らかにすることを試みた。そのために京城における日本人の劇場を取り囲む多様な文化表現の生成とその過程を明らかにした。そこで「劇場」を帝国権力の文化的波長の中、様々な文化的躍動性が生成される空間として把握し、帝国日本の核心的な近代メディアとして登場したのである。結局、京城における日本人劇場は、「新到来者」らが作り出した文化空間である。そこは「帝国」の文化の境界を出入りし、均質性と非均質性の緊張を引き起こす領域となった。そして京城の南部地域に日本風の劇場名を付けた劇場には演劇と活動写真が上演され、様々な文化移動の場所として成立していた。

Citation status

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This paper was written with support from the National Research Foundation of Korea.