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石川啄木の短歌における家族 ー妻節子を中心にー

Yun, Jae-Seug 1

1한밭대학교

Accredited

ABSTRACT

啄木や啄木の作品を論じた先行論を見ると、啄木の家族は啄木や啄木の文学を支える存在として働いている。啄木の立場を陽のイメージにする役割のようである。 しかし、啄木や彼の作品を見ると、啄木の家族は啄木や啄木の文学のために犠牲を強いられる存在であったのかも知れない。とりわけ、妻節子はそうであったといえよう。こういった家族の支えに対する認識は啄木や啄木の作品にあまり入っていないように思われる。本稿では、犠牲を強いられる存在としての家族、特に妻節子の視線で啄木の短歌を読み直してみた。 妻節子は啄木や啄木の文学成立において多大な役割をはたした存在であったことは間違いない。節子は北海道漂泊の悲しみや貧困の東京暮らしの痛みをもっとも諸に受けた存在であった。しかし、節子は啄木の恋の短歌の主人公ではなくその恋を回想させる脇役にしか過ぎなかったのである。啄木は「痛み」のある現在の苦痛から逃れるための過去連想の対象として節子との恋を回想しているだけである。啄木の短歌における妻節子はこういった姿としてしか歌われていない。 啄木の名を日本近代文学史に高く位置づけた歌集『一握の砂』『悲しき玩具』を見ると、妻節子を詠んだと思われる歌は数少ない。勿論、詠んだ歌の数だけで、啄木の短歌における節子の意味を論じることも無理であろう。しかし、啄木は北海道漂泊の時、小学校の代用教員をしていたが、その時の教師橘智恵子を詠んだ歌の方が多いのはアイロニーであろうか。しかも、その内容は恋情の念を表している。啄木の短歌にはこういった陥穽があるからこそ、妻節子の視線で詠み直す必要が生じるのである。 

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