日本近代を代表する作家である宮沢賢治は、詩を含め、童話、短歌等、多様な文學ジャンルで活動した。個性の強い語彙を使ったり、風、雲、木、鉱物等の自然や、宇宙等の素材を繰り返し使用したりして独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残した。彼の作品に大きな影響を与えた人物といえば、本人自身の家族として、相互間で宗教の葛藤があった父親や、誰よりも親密性を感じていた妹(トシ)であろう。作品中に家族に関する内容や人物がよく描がかれている理由もこの点にあると思う。今回の研究により、宮沢賢治の童話に表れた家族、その中でも母親、父親の次に割合が高く登場する<兄>のイメージに関して分析し、実の兄がいない賢治にとって<兄>の表象を明らかにしてみた。生前、賢治が残した童話作品は『校本宮沢賢治全集』(筑摩書房)に、151篇が載せられている。その中で、重複した作品を除いた137篇の作品の中で<家族>が登場する作品は 約62篇であり、又、62篇の作品の中で<兄>なる人物が描がかれている作品は、約27篇で、本文の<表1>,<表2>のようになる。全般の童話作品の中で約45%の作品に家族が登場し、其の中で<兄>は約43%の作品に登場している。以上のような高い頻度数は関心度と比例することである。作品に表れた兄の主な役割は弟や妹の方を手伝うことや助けるようないわゆる、助力者及び保護者としての役割である。兄の助力者や保護者としての役割、このことは父親の不在性とも関連性が見える。家族構成員の欠如は賢治の童話における一つの特徴であるが、特に兄の助力者や保護者としての役割が強化されている時は父親が登場しない場合が多かった。父親が登場しない場合、役割が強化されている<兄>は、兄が家を守るべきであった古代の母系社会と類似性がある。父親の不在と関連性がある兄の役割は、言い換えれば、心象の母系社会の発露ではないだろうか。童話作品の中で母親の登場が一番数多いことも賢治の心象の母系社会を証明していると思う。いわゆる、実際の父親との葛藤から心象の母系社会が出発したことではないだろうか。又、宮沢賢治において関心度が非常に高い家族、其の中でも<兄>という人物は長男としての賢治、本人の理想的な兄の姿勢であると言えるだろう。又、兄弟という認識においても、基本的には親密感が内包されているが、従兄弟の関係はあまり親しくないパターンも見られる。兄弟のパターンは兄と弟、兄と妹、姉と弟等があるが、兄と弟の形の方が一番多かった。本考察を通して証明された、賢治においての家族に関する高い関心度や親兄弟と従兄弟を区分することは、利他主義であった賢治さえも家族というものは越えられない自己愛的なものであったのか、もしくわ、賢治において家族も他人であったのかという論議を呼びおこすことも事実である。此れゆえに、韓国と日本の家族に関する認識を根本として考察してみることがこれからの課題になろうかと思う。