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일제강점기 조선에서의 한자문제에 대하여

박화리 1

1인하대학교

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ABSTRACT

本稿は、1937年の日中戦争以後朝鮮における日本語教育の実態を明らかにする一環として、国語学者として知られる保科孝一や朝鮮総督府学務局官僚であった森田梧郎などの<漢字問題>についての談論を中心に検討し、それのもつ歴史的な意味を探ってみたものである。とりわけ、標準化された「国語」が存在しないまま、朝鮮などの地で日本語が「国語」として教育された際に起こった問題について、日本語を母国語としない外地·外国を含めた「国語·国字問題」という側面から捉えてみた。 具体的には、国字改革論者らが日本語の海外進出をきっかけにして<漢字問題>の改善を求めた声を確認し分析したわけであるが、本稿を通じて、当時朝鮮の<漢字問題>は朝鮮人学習者の苦痛は言うまでもなく、国字改革論者らにとっても長い間解決できないまま残されていた問題の一つとして、「国語教育」においての大きな負担であったことを改めて明らかにした。 なお、本稿では、逆説的であるが、朝鮮における<漢字問題>をめぐる議論についての検討を通じて、国語改良運動の方向性に対する指標を示したつもりである。このような論点は、当時朝鮮と日本で殆んど同時多発的に提起された「漢字制限」の問題を、同じ観点から捉えてきた従来の研究に対する問題提起を意味するものでもある。言ってみれば、「国語·国字問題」に対する新しい観点からのアプローチが必要ではないかという提言につながるのである。

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