본문 바로가기
  • Home

近代の文末表現について―啓蒙書を中心に―

박효경 1

1文敎大學

Accredited

ABSTRACT

明治初期の啓蒙書で、口語を用いたものでもっとも知られている加藤弘之の『真政大意』(明治3年)、西周の『百一新論』(明治7年)清水卯三郎の『ものわり の はしご』(明治7年)の文末表現を全体的に調べ、分析してみた。『真政大意』と『百一新論』は全体の文の中で「でござる体」がしめるのが75%、76%で、各段落の始まりか終わりに「でござる体」を用いるという傾向が見えたが、『ものわり の はしご』の「である体」は全体の26%で、各段落の中で比較的自由に用いられていた。「でござる体」と「である体」は接続と活用にも大きな差があった。「でござる体」は体言だけではなく用言にも接続し、上接する用言も動詞▪形容詞の活用など、現在の指定表現とは異なり、体言に接続し一つの文を成立させる役割だけではなく、何らかの意味▪ニュアンスを添える終助詞的な用法でも使われていたと考えられる。『ものわり の はしご』の「である体」は体言に接続する用例しか現れなかった。また活用においても「でござる体」は断定▪推量などさまざまな形が現れたが、「である体」は断定でしか用いられなかった。しかし、「でござる体」の場合は、「~ではなかった」「~だっただろう」「~ではなかっただろう」のように過去▪否定▪推量を表す表現まで発達することなく消滅したのである。 「でござる体」が消滅した原因として、使い手がなくなったという外的な要因のほかに、文の中でも役割や用い方に上記の特徴が働いたと断定することは難しい。しかし、テキストの文末を全体的調べ、同じ時期の「である体」と比べることで、ほかの指定表現との違いは明らかにすることはできたと思われる。

Citation status

* References for papers published after 2023 are currently being built.