본문 바로가기
  • Home

江戸時代の文学と貧乏神

KOH YOUNG RAN 1

1고려대학교

Accredited

ABSTRACT

本論は日本に広く流布されている福神と、対する貧乏神に注目した。七福神信仰が隆盛したのは江戸時代だと言われるが、その江戸時代の文学を通して貧乏神の実体を垣間見ることができると考え、漢字文化圈の貧乏神と比較しつつ、その変容の跡を辿ることにした。 まず、貧乏神は江戸時代の笑話集や浮世草子によく描かれていたが、その多くが「擬人化され」て、「滑稽の対象」となることが多かった。「擬人化され」た貧乏神は中国や韓半島の文献の中で、詩人の「怨恨の対象」として類型化されよく登場するのであるが、この貧乏神はすべて「窮鬼」と表現されていた。これらは江戸時代の文学に「擬人化された貧乏神」の原型として影響を与えたと思われる。 江戸時代の文学の貧乏神は「人間と疎通する」場合もあり、身近な存在としても認識されていた。しかし、その多くは「貧困をもたらす存在」としても同時に描かれ、それは「神としての能力」を前提にされたものであった。さらに、貧乏神は時には「富をももたらす」ことのできる存在であり、場合によっては善悪の価値観をも有するのであった。 以上の考察により、貧乏神は「擬人化された」領域と「神」の領域、つまり「笑い」と「怪」の領域を行き来しつつ描かれたと思われる。これを可能にしたのは、近世の出版文化であろう。具体的には、貧乏神の擬人化された容姿、つまり乞食僧のような容姿は、笑話として扱いやすいという点が挙げられる。次に、庶民の経済状況を反映する浮世草子など散文ジャンルによる貧乏神の「擬人化」の具現化が可能になったという点が挙げられる。最後に、江戸時代の奇談・怪談の流行による貧乏神の「怪」の具現化の可能性が挙げられる。 江戸時代文学の貧乏神の多様性は、江戸人の「富」への絶え間ない欲望を窺わせるものと理解できた。

Citation status

* References for papers published after 2023 are currently being built.

This paper was written with support from the National Research Foundation of Korea.