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『紫式部日記』の批評精神と作家意識―ジェンダーの視点を入れて―

SOONBOON CHEONG 1

1배재대학교

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ABSTRACT

平安女流日記文学をどう定義すべきかの問題は、未だに難題の一つであるが、それは平安女流日記文学が私たちの持っている文学の概念の中―それは主に近代以降の西洋の概念である―にうまく当てはまらないからである。しかしそれは、ある意味では平安女流日記文学が現代の文学ジャンルの枠を遥かに超えるところに存在し、複雑で独特な性格を持っていることを表わすことにもなる。 例えば、『紫式部日記』は現在日記(文学)として分類されているが、実際本文は日記記録的な部分と消息文批評的な部分と二つの部分からなっている。今までは、作品の全体的な性格を考えたせいか、日記記録的な性格を中心にして論じられる場合が多く、後半の消息文批評的な部分に関する考察も、日記的性格の中に収束されがちであった。ところが、本稿で『紫式部日記』の批評的な性格を独立的に取り上げ、その意味と意義について考えてみた結果、実はこの批評性こそ他の平安女流日記文学にはあまり見られない、『紫式部日記』ならではの独自的な世界であり、またそれは『源氏物語』という長編物語を創作する作家意識にも深く繋がっていることが確認できた。 『紫式部日記』は、従来世界初の長編小説『源氏物語』の作者が書いた日記であるにもかかわらずあまり注目を受けなかったのは、『紫式部日記』を日記というジャンルの中にむりやり嵌め込み、何もかも公的な行事記録性の方に結び付けていこうとしたことに起因するのではないかと思う。後半部の消息文批評的な部分は、当時女性としてはあまり行っていない批評を様々な形で構築して見せようとしたものであり、特に三才女批評は、男性の領域に属するものを敢えて試みてみせているものと見られる。そのような意味で、『紫式部日記』は、当時のジェンダーの境界を乗り越える批評を試みたものであり、女性による新しい批評の分野を開拓してみせていると考えられる。また、そのような紫式部の批評性は当然『源氏物語』創作にも大きな基盤になっているし、実際作品の中に繰り広げられている批評や談論―例えば、作品随所に見られる歌論や「帚木」巻の女性論、「蛍」巻の物語論など―とも緊密に繋がっていると思われる。

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