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中世における自己確証ー韓日が共通に持ち得た三国世界観を中心にー

박정의 1

1원광대학교

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ABSTRACT

中世にはいると、韓日両国は古代に持ち得た一元帝国主義的世界観では自国を保証し得なくなり、それに変る世界観を模索する必要に迫られた。そこに登場したのが仏教の普遍的世界観に基づかれた三国世界観である。 中世の『日本書紀』注釈書は、『日本書紀』の神話的敍述が仏教的宇宙論と合致することを確かめ、経の説くところと儒教․道教のいうところと『日本書紀』に述べるところが同じであると解釈した。即ち、天竺であれ、震旦であれ、同じ世界、価値を共有する普遍的世界観といえる。さらに、仏教的世界の中で、三国を種子(本朝日本)․枝葉(震旦中国)․花実(天竺印度)に譬え、価値の源は日本にあるという世界観を確立した。このような世界観を持つことによって、現実の世界を改めて説明し納得し、それに繋がる天皇の正統性もまた改めて根拠づけたといえる。 『三国遺事』の古朝鮮条は、「桓雄降臨」神話から始まる。その内容は、帝釈天桓因の命によって子桓雄天王が直接降りてきて、人間世界を仏教でもって教化するである。そして、この仏教でもって教化された世界の中において、帝釈天桓因の孫として檀君は生まれ古朝鮮を建国したのである。塔像篇の前後所將舍利条に「東震(東国)と西乾(印度)は一つの天を共にする」と、韓国・(中国・)印度三国が一つの世界にあると語っている。これは、日本が中世に持ち得た「三国世界観」と酷似するもので、『三国遺事』も同じく、仏教の普遍的世界観の中で自国の存在を確認しているといえる。さらに、『三国遺事』義湘伝敎条の記事では、「海東(韓国)に大樹が生えて枝と葉が茂り、それが延びて神州(中国)を蔽い、その上に鳳の巣があった」と、それまでの仏教的世界の中心だった中国に変わって、韓半島が仏教的世界の中心になることを暗示する。これ以外にも、『三国遺事』には、仏教の中心地が天竺・震旦から韓国に移ることを暗示する説話が多く記されている。これは、将来仏教の中心地が、天竺から中国そして韓半島へ移り、韓半島は未來永劫にわたって仏に護られる国となることを主張するものである。 本朝・震旦・天竺、つまり韓半島・中国・印度は、別々にはじまり発展するが、仏教が最後に韓半島に傳教することにより、仏教のもとに世界は一つになる。さらに、古朝鮮が「桓雄降臨」により開かれた「仏教によって教化された世界」の中に建国され、かつ、檀君が帝釈天の孫であることを最初に確認したことで、天竺・中国に対し自分たちの立場を主張、自己確証を行ったのである。『三国遺事』檀君は、民族主義でなく、仏教の三国的世界の中にあったといえる。 このように、韓日両国は、ともに中世に入り、韓国は檀君、日本は天皇を持つことによって、仏教の普遍的世界観に基づく三国世界観において、仏教的世界の源として自己を主張し、自己確証を行った。

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