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神話に見る英雄の神性

ByungHoon Min 1

1대전대학교

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ABSTRACT

 韓国の建国始祖の誕生に関わる神話を概観すると、誕生を前後に主人公の神性が強調され、血統はもちろん、奇異なる出生の様相とともに、傑出した容貌や優れた技量が浮彫りになっていることがわかる。最初から支配者たる資格を賦与していることが見て取れるのである。これは新羅の赫居世、高句麗の朱蒙、駕洛国の首露に共通して表れているものである。一方、日本の神話には主人公の誕生に纏わる神話さえ見当たらないものがあり、誕生に関わる記録にも目立つ英雄性が確認できず、容貌についての描写も見出せないことが多い。むしろ、勇者とは掛け離れており、温厚すぎたり優柔不断だったりで、支配者の面貌が不在した場合と、あるいは正反対に、横暴すぎて、勇者の風貌は具えているが聖君としてのイメージに致命的な欠陥を見せる場合とがある。 そして、主人公の成長の過程と支配者への変貌の過程にもう一つの相違点が確認される。『東國李相國集』の「東明王篇」は、朱蒙が生まれてまだ一ヶ月も経たない時期に言葉を発したと書いており、七歳には弓矢を作って射ると百発百中で、狩りにも卓越した技量を誇ったと記している。駕洛国の首露は十日余りで身長が九尺にもなり、その容貌も中国の歴代の英雄に似ていたという。すなわち、誕生の瞬間から王としての風貌を兼ね備えており、権座に上るのは生まれる前からの定めのように語られているのである。 しかし、日本神話における英雄の成長過程に注目すると、兄弟に迫害を受けて逃亡する大国主神や火遠理命は流離先で偉大な神の娘に出会い、その娘の献身的な助力によって神の霊力を手にいれ、英雄に生まれ変わるというような展開を見せている。英雄とはいえ、自分の努力の賜物というより、最後まで他人の手助けや他人から貰った呪具などを利用して支配者になるような独特の様相を帯びているのである。主人公の生まれつき強大な力と、王として擁立しようとする勢力を前面に出している韓国とは違い、日本は流離と女性の助力、そして女性の父親である偉大な神の加護によって英雄が誕生するようなパターンのものが多い。一方、須佐之男命と倭建命のように、武勇譚で主人公の能力が強調されている場合があるが、敵を制圧する過程で正攻ではなく騙し打ちをしている点で韓国の武勇譚と区別され

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