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『沙石集』의 敬語硏究 -「侍り」와「候ふ」를 中心으로 -

도기정 1

1남서울대학교

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ABSTRACT

本稿では古典敬語の究の一環として中世鎌倉期の佛敎說話集である『沙石集』に用いられている「侍り」と「候ふ」を地の文と話文に分け、その待遇性について考察した。地の敍述においては、すでに古語化しつつある「侍り」を用いて表現の主である作者が不特定多の者に古めかしさ「改まり」「丁重さ」などを容とする文章のある種の效果を語りかけようとする場合に使われている。って、作者の感想、明、追想など、作者側の事柄を記述する文に多く見られる。また、和歌の詞書にも用いられている。一方、候ふは地の文においてその使用例が稀であり、しかも謙語用法で用いられたのは一例しか見い出すことができなかった。 話文においては、候ふに倒されたといわれる「侍り」が依然として用いられており、語法上の一つの特を持っている。ただ、「候ふ」に比べて敬度も低く、その聞き手も上級僧侶までを上限線として使っているのが一般的で、主に僧侶や超人的な存在(動物)の話に使用されている。一方。代語「候ふ」は庶民から天皇まで幅く使われ、その敬度においても高い。特に、鎌倉政の執者や武士階級に用され、時の口語として通用されている。 中世鎌倉期の資料であるにもわらず、話文において、場合によっては侍りが用いられていることは話集の時代設定が常に過去であるために、平安期の口語である「侍り」の表現を通して者に無理なく享受を引きおこすという文章のある效果を得るためであると判できる。

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