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巖谷小波の「梢之月」とキリスト教

YU, Jae-jin 1

1고려대학교

Accredited

ABSTRACT

本稿では日本児童文学の嚆矢といえる巖谷小波がの『基督教新聞 付録』(1889年12月20日附)に発表した「梢之月」を巖谷小波におけるキリスト教受容、同時代のキリスト教文学、作中の聖書の言葉などを中心に考察した。この作品は従来の巖谷小波の先行研究では言及すらされてこなかった作品であるが、小波の初期文学におけるキリスト教受容を克明にみせてくれている。「梢之月」はキリスト教信徒のスキャンダルという素材を通して真の信徒の有り様とキリストの教えを伝える寓意小説として読める作品である。ここには、当時小波が関係していた自由キリスト教宗派の特徴が大きく影響していたと見られる。自由キリスト教は英米系の宗派とは異なり、教会や教理に固執せず、キリスト教と日本の文化と調和に重点をおいた布教活動が特徴的であるが、宗教との間で何ら葛藤を感じなかった小波の文学活動や「梢之月」の作品内容からもその特徴が窺えた。この作品が発表された時代にキリスト教は一般的にまだ新しい宗教であったため似非信者が多く、彼らを含めてのキリスト教への批判が往々になされており、「梢之月」はそれらの批判に対する反証としても読まれる作品であった。この作品の主題提示の単純明快さと、キリストの教えを物語を通して伝えようとする寓意小説の特徴も、また自由キリスト教の―伝道する教理を平易に、受容する側に受容れ易くするところ―の裏付けであると言える。「梢之月」は「漣山人訳」となっているが、これは、硯友社の作家達が当時エミールゾラに傾倒し、相次いで翻案作を出していた状況から、小波もゾラの「ムーレ司祭の誤ち」を知っていた可能性は大きく、翻訳の概念がまだ曖昧であった当時としては、題材を借りてきただけの「訳」も考えられる。以上、小波の「梢之月」という一編の短編小説は、自由キリスト教、当時のキリスト教やその信徒への批判、そして、硯友社のゾラ受容という様々な要因によって生まれてきた作品であったことを確認した。

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