본문 바로가기
  • Home

今村昌平의 『人間蒸發』

Ryu Jae-Yeon 1

1동신대학교

Accredited

ABSTRACT

今村昌平監督の映画『人間蒸発』は失踪した一人の男を探す過程を描いたドキュメンタリー映画である。ここで「蒸発」とは1960年代中頃の経済の好況期の時、平凡な日常を営んでいた人間がいきなり行方不明になってしまう現象のことを言っている。映画は蒸発している大島裁と言う男の婚約者である早川佳江と映画監督の今村昌平とスタッフとが大島の足取りを追うことから始まる。當時日本政府は六万人を越える失踪者探しに積極的に加わろうとしていなかった。時は所得倍増政策による経済成長の最中であり、失踪している者も社会の主流から外れている者ばかりである。失踪者の家族は警察という国家の制度の力を借りるのではなく、占師による呪術に頼る。前近代的に見える、そのような仕来りをカメラはじっと見つめているだけである。早川佳江と映画のスタッフは大島の家族や職場や仲間と取引先を訪ね、彼が失踪する前の足取りを徹底的に調べる。そして調べの過程で失踪している人間の真の姿がだんだん明らかになってくる。映画はここで失踪者探しという目的から外れ、一人の人間の裸の姿を探る方向へ廻る。それは大雑把に言うと、欲望に充実している人間であり、また本能に動かされている人間であるが、これこそ今村が映画人生で死ぬまで撮ろうと決意した対象であることが分かる。一方、今村は失踪者である大島探しの失敗を予見し、彼の婚約者である佳江の内面の探索を図るのだが、もう、彼女は他者とカメラを意識して俳優になってしまう。本物の佳江でない別人になったのである。不在の人間は本當の姿を現したが、存在している人間は自分を隠しているのである。スタッフは存在と不在の逆転という案外の事態に直面する。困っているスタッフに今度は大島と佳江の姉であるサヨとの関係が浮かび上がり、映画はまた新しい局面に向かう。大島の周辺の証言によると、大島とサヨは恋人同士であることに間違いない。しかし佳江と証人まで加わって二人の関係を追及し続けるのだが、サヨはまったく認めようとしない。映画は真実を取り囲んだ攻防戦となる。攻防戦が激しくなっているとき、いきなり今村監督がセットを飛ばせるよう命令を下す。真実の真偽も明らかになっていないまま争いは終わる。そして残ったのは、攻防戦で自分を守るため相手の攻撃から身を堅く守りつづけている裸の人間の姿のサヨである。映画はこの我執と執念深い裸の人間の姿こそ真実ではないかと、結論をつけている。そして最後には「映画は終りだ。しかし現実は終わらない」と言う今村の言葉とともに終わる。失踪(蒸発)した一人の人間を探すことから始まったこのドキュメンタリーは、何回かの方向を変えながら意外なところに辿り着く。そしてその辿り着いたところには今村が映像で表現し続けてきた、いわゆる「ウジ」の一つの典型が現れる。『人間蒸発』は蒸発している人間の記録でなく、このウジの記録であることがわかる。

Citation status

* References for papers published after 2023 are currently being built.