@article{ART001854164},
author={고민정},
title={The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the },
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2014},
number={60},
pages={227-242},
doi={10.21481/jbunka..60.201402.227}
TY - JOUR
AU - 고민정
TI - The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2014
VL - null
IS - 60
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 227
EP - 242
SN - 1226-3605
AB - 押井守は<攻壳机动队>、<イノセンス>でコンピュータ工学科、インターネット、サイボーグ、ロボット工学などのハイテクの発展のために、人類は自分の魂と体を喪失する危機に瀕している暗い未来を描いている。そして、その中で‘人間とは何なのか’、‘人間が人間として存在するための条件は何か’という、人間のアイデンティティを探求する。ハイテクはデカルトの心身二元論を物理的に実現させた。すなわち、人間の身体的·精神的能力を飛躍的に向上させたが、逆に人間の魂を演算可能な情報と記憶に、肉体を機械部品に還元させた。押井守は、<攻壳机动队>では分離された精神と肉体の中で、精神、記憶が、<イノセンス>はで体こそが人間を人間らしくしてくれる条件だと考えるようになった。<イノセンス>は、技術によってますます機械に近づく人間の他者としての技術によってますます人間に近づく人形、ロボットを登場させる。ハダリは、人間の姿に似ているだけでなく、外部から入ってきた魂、ゴーストによって動く。ハダリこのような動きは、ー細い糸で結ばれている人形師魂の動き通どおりに動く傀儡の動きと同じである。ところが、ハダリこのような動きは不気味な感じを誘う。ハダリの不気味さは何処から来るのかと言えば、外見上は生きている様に見える物が、本当に生きているのかどうかと言う疑惑、その逆に、生命の無い事物がひょっとして生きているのではないかと言う疑惑だ。この疑惑が恐怖感に変換される理由をイェンチは慣れていることを不慣れにする「テクノロジー」で、フロイトは、隠されている「根源的衝動」で探す。イェンチはテクノロジーで作られたロボットは、人間とロボットとの間の境界をあいまいにすることで、不気味さを呼び起こすと見た。一方、フロイトは私達が恐怖を感じることは完全に新しい、または不慣れなものではないと主張しながら、慣れていてなじみだったが、抑圧によって慣れない恐ろしいこと変化するため、不気味なものになると見た。まだ自意識を持たない子供は人形に命があると信じるが、大人になって自意識が確立されると、これらの考えは抑圧される。つまり、人形が生きているではないかという疑惑がブーメランのように戻ってきて、人間自身が、実際には人形ではないか、機械部品に過ぎないではないかという恐怖に変わる。ハダリの不気味さは、押井守が観客に送信する、機械化を続けながら、現代人が失ってしまっている体への警告である。
KW -
DO - 10.21481/jbunka..60.201402.227
ER -
고민정. (2014). The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the . Journal of Japanese Culture, 60, 227-242.
고민정. 2014, "The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the ", Journal of Japanese Culture, no.60, pp.227-242. Available from: doi:10.21481/jbunka..60.201402.227
고민정 "The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the " Journal of Japanese Culture 60 pp.227-242 (2014) : 227.
고민정. The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the . 2014; 60 : 227-242. Available from: doi:10.21481/jbunka..60.201402.227
고민정. "The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the " Journal of Japanese Culture no.60(2014) : 227-242.doi: 10.21481/jbunka..60.201402.227
고민정. The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the . Journal of Japanese Culture, 60, 227-242. doi: 10.21481/jbunka..60.201402.227
고민정. The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the . Journal of Japanese Culture. 2014; 60 227-242. doi: 10.21481/jbunka..60.201402.227
고민정. The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the . 2014; 60 : 227-242. Available from: doi:10.21481/jbunka..60.201402.227
고민정. "The Uncanny of Familiar, yet Foreign Gestures in the " Journal of Japanese Culture no.60(2014) : 227-242.doi: 10.21481/jbunka..60.201402.227