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DemiseofArtforArt'ssakebyAkutagawaRyunoske-CenteringAroundtheDeathWorldDescribedin'GengkakuSanbang'-

  • 日本硏究
  • 2008, (24), pp.157-174
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2008

Youn Sang Hyun 1

1한국외국어대학교

Candidate

ABSTRACT

1926年、芥川は‘僕の母は狂人だつた’(「点鬼簿」)と告白するとともに、實母ふくの遺傳、すなわち狂人の子であることを肯定している。これは狂氣の遺傳による死ぬのではなく、天才による生を志向しようとした彼にとって、まさに死を告げることであろう。  芥川は自分の文學創作において1915年「羅生門」を出發點とし、以後作品の中で狂人と愚人を登場させ、彼らを超人と聖人に變え、藝術至上主義を完成しようとした。同時にこのような藝術至上主義の中で、自分の決められた運命も克服しようとしたのである。しかし、現在精神的、肉體的な衰弱や不眠症からくる幻聽、幻覺は徐々に狂氣の遺傳を認識させ、いつか自分も實母ふくのように發狂して死んでしまう不安を深めている。そして、この不安こそ今まで追求してきた藝術至上主義の終焉にまでもたらしているのである。特に、當時彼の內面世界を投影したと思われる作品「玄鶴山房」は、實際彼の日常世界における不安や死をそのまま現わしていると言えよう。その中でも甲野の姿は一時藝術上の神になろうとした若い芥川にとって、結局神も、常人もなれなかった一人の狂人 -惡魔的な存在- の姿を見せている。  このように芥川は自分の運命を乘り越えるため始まった藝術至上主義への飛翔が自分の運命を受け入れる瞬間、藝術至上主義は墜落してしまい、またしても初期作品の世界へ戻るしかなかった。しかし、そこには過去にあった感傷的、抽象的死ではなく、實際的、現實的死が待っていたのである。

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