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korea Desrided in Yasunari Kawabata's Literature

  • 日本硏究
  • 2008, (24), pp.175-190
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2008

LeeJaeSung 1

1중앙대학교

Candidate

ABSTRACT

本稿では、川端康成文学のなかに描かれた韓国・朝鮮に向けての視線に焦点を合わせて考察した結果、次のような結論に到達した。  まず、関東大震災の時、朝鮮人暴動の流言を信じる愚かで冷酷な日本人が多数発生したが、一方ではそういう日本人のあり方を憎む日本人も決して少なくなかった。宮島資夫の「真偽」を高く評価した川端もそのような一人だった。しかも、日本社会で差別を受ける朝鮮人達の立場も、冷静に見通した川端は、朝鮮人を他者として見る差別的視点を排し、過去に執着せず、現在に立ち向かっていく生き方を提示した。  そして、川端が作中に点景として描いた朝鮮の人達の姿は、概して、物静かで、慎み深く、我慢強い。しかも、それらは、乱暴だったり、慎みを欠いたりする日本人達と対比する形で書かれることが多い。「死者の書」には、新鮮で活発で可憐な朝鮮の娘が登場し、その娘に対する主人公の、切ないまでの憧憬が描き込まれている。しかも、朝鮮の民謡が引用され、それに対する川端の魂の郷愁が表現されている。  また、朝鮮の舞姫崔承喜の舞台を見た川端は、ためらわずに「日本一」との折り紙を付けたが、それは彼女の踊りが日本化されていたからではなく、。朝鮮民族の苦悩を最も鋭く表現していると見たからである。  ようするに、川端は朝鮮・韓国に特に深く関わったということはないが、出発の頃から晩年に至るまで、折に触れて、目に映る朝鮮の人達の姿を作品の中に点景として描き、また朝鮮民族の苦悩を思いやり、朝鮮・韓国の状況や歴史はやはり無視できないものとして認識していた。

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This paper was written with support from the National Research Foundation of Korea.