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TheAspectandCharacterof 'Toutya (A game of tea)' in The Japanese Middle Ages

  • 日本硏究
  • 2008, (24), pp.277-296
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2008

ParkJeonYull 1

1중앙대학교

Candidate

ABSTRACT

闘茶の具体的な事例を調査整理し、その様相と背景を把握し、當時に否定的な評価を受け始めてから消滅するまでの過程を検討してその性格を明らかにしようとするのが本稿の目標である。 闘茶は茶の味すなわち味覚の纎細さを競う良い意味での知的遊びの一種だった。しかし、遊びの空間と方式が贅沢さを帯びるようになり、さらに金品をかける勝負事に発展すると闘茶は警戒されやがて禁止の対象に至る。 闘茶は日本茶道史の一部分として把握しなければならない。伝統文化としての日本の茶道は中国から茶が輸入され寺院を中心に広がった。中世に至ると多くの人が集まり一座をなして茶の味を當る遊び、すなわち闘茶が盛んとなり遊び方と規模にも大きな変化が起こり、とても多様な形態を見せている。 茶の裁培地域の拡大と増産によって、飲茶を楽しもうとする人が多くなったということと一座を組み小規模の共同体として茶を一緒に楽しもうとする傾向にともなって茶を飲みながら茶の味や香を聞き分けながらゲームをする闘茶が発生したと考えられる。一番古い闘茶の記録は京都で1343年の巡立茶という用語で現われる。引き続き本非十種という十種類の本茶と非茶の味を當てる方式、四種十服といってそれぞれ四種類の茶を十杯ずつ飲む方式、総百杯の茶を飲みあてる闘茶の方式などが登場した。 このように遊び方が多様になるにつれて、より積極的に茶を楽しもうとする欲求に触発され、勝負を出すことで止まらなかった。勝者に金品を与える慣行が生じ、やがて博奕に変質されるに至る。闘茶の行われる空間の室内(しつらい)はより豪華に飾りたてるようになっただけでなく飾り方に決まった様式が生まれ、競い合うほどになる。室町時代に入りその有り様は極致に達し、闘茶は連歌とともに博奕に扱われ禁止の対象になる。 闘茶の持つこのような否定的要素が社会問題化すると、闘茶以外の方式で茶を楽しもうとする傾向が現れる。闘茶に対する社会的反発あるいは反省は、室町後期に書院の茶という新しい飲茶の様式を生みだした。今日の日本茶道の茶禅一味という精神世界とわびという美意識を根幹にするわび茶を成立させる契機となったことに注目せざるを得ない。

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