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A Research on The Postwar Autobiography by Abe Yosisige

  • 日本硏究
  • 2011, (30), pp.411-434
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2011

Jaechul Choi 1

1한국외국어대학교

Accredited

ABSTRACT

安倍能成(一八八三-一九六六)の『戦後の自叙伝』(1959)をテキストとして、戦後社会作りに果たした安倍の役割と思考の流れ、戦後の世態等について理解しようとした。ここでは、『戦中戦後』とその他の安倍の散文集を参考にして、『戦後の自叙伝』の第一高等学校校長時代と文部大臣時代を中心に考察してみた。戦後にも積極的に発言している安倍は、講演と雑誌投稿、放送等を通じて自分の意見を表明し、青年には将来の日本を担うことを呼び掛け、一般人には戦後の回復と志向点を、政府には政策の方向を提案したりした。自伝というのは、筆者の建前よりも本音を読む楽しみの方が大きい。自立心の強かった安倍は、率直な性格の持ち主で、辛辣な人物評を記したり、言いたいことを言う人であった。現実順応的で、保守的な立場を取りながら、個々の政策の誤謬と思うことに対しては批判をも辞さないし、信念の人で自分が当たり前と思うことについては我執を張る頑固さもあり、人間交渉の苦衷を吐露したりしている。盛んに民主主義が唱えられていた、戦後という変革の時代の、軽薄極まる世情の情けなさをも指摘している。安倍は一高校長として、青年学徒に向け、戦後日本の立ち直りのための思考の定立と役割を果たすことを強調している。また、文部大臣としては戦後の連合国軍司令部GHQとの協力の下で民主主義教育の実施のために勤めた。貴族院議員としては憲法改正特別委員会の委員長の役目を担い、主權在民、軍備撤廃・戦争抛棄を主な内容とする、新憲法を作る大役を果たしている。安倍としては、象徴的な天皇制維持という国体の確立は大事であった。それから、教育刷新委員会委員長として、人間性の開発と民主的平和的な市民を養う、等という教育の目的と、教育の自律性と学問の自由を尊重するという教育の方針、學制改編と義務敎育等の教育の原則を開陳した。やがてこれが教育基本法の骨子になり、戦後教育の方向を決めることになった。また、安倍は学習院院長兼理事長として、二十年間私学の学習院建設の主役の任務に尽力した。安倍能成は散文集を多数出版している知識人として知られ、戦後社会作りに関与することになった。激変の時代に、その場を担った一人の人物の役割と考え方を見ることができた。

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