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A Study on Pipatiroma Regent in Southbound

  • 日本硏究
  • 2011, (30), pp.435-452
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2011

Kim Yongui 1

1전남대학교

Accredited

ABSTRACT

本稿は、奥田英朗の『サウスバウンド』に語られたパイパティローマ伝説を取り上げ、パイパティローマ伝説が小説の中にどのように受け入れられたかを明らかにしようとしたものである。まずパイパティローマについての文獻記錄と口傳記錄の比較にによって、両者の間に見られる語り方の相違について指摘した。この問題については、これからも追究していきたい。『サウスバウンド』の筋の展開は、上原家の東京生活を中心として述べられた前半部、また東京から沖縄へ引っ越してからの生活を中心として述べられた後半部、というふうに分けて理解することができる。特に前半部には、東京が小説の主な舞台になっいるにもかかわらず、小説のいたるところに、沖縄を表象する様々な小道具が動員されている。本稿では、サ-タ-アンダ-ギ-、琉球空手、珊瑚礁などを取り上げ、この点についての分析が行なわれた。つまりそれらの小道具は、「沖縄」という文化アイデンティティーを表わす象徴であり、日本社会から沖縄社会に、さらに沖縄社会からパイパティローマに向かうための飛び石のような意味を持っていたと言える。その中でも、琉球空手の場合は、日本社会からの暴力に身を守る社会的道具、もしくは文化的な防御手段という、より積極的な意味がこめられていた。ところで、この小說には意圖的に沖縄と日本本土という二元論的な對立構圖が設けられている。その對立構圖の一つの軸は、西表島の小學校に象徵される沖縄社会と學習院で象徵される日本社會である。言うまでもなく、前者のほうは平等社会であり、後者のほうは階級社会である。もう一つの対立構図は、上原家が波照間の人々の好意によって住み着いた西表島で展開される。即ち西表島のリゾート開発をめぐる地域社會と中央資本との對立である。結局後者の對立で「敗れた」ことが原因になって、いよいよ上原夫婦はパイパティローマという楽園を目指すようになる。『サウスバウンド』には、パイパティローマが秘密の樂園、国家權力から離れた自給自足の世界、そして戰爭も起らない自由なコミュニティー社会として描かれている。言い換えれば、これは巨大資本が蔓延し、人間同士のコミュニケーションが取れなくなった、また國家權力によって個人の自由が抑圧されている(と見なされた)日本社會に対する痛烈な批判の意味がこめられていると言えるであろう。

Citation status

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This paper was written with support from the National Research Foundation of Korea.