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<고백>의 시대와 <자기개조>의 욕망

  • 日本硏究
  • 2012, (32), pp.357-380
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2012

Jeehyung Lee 1

1숙명여자대학교

Accredited

ABSTRACT

 本論文は島崎藤村の小説『新生』と同時代の朝鮮の女性雑誌『新女性』における<告白>の分析を通して、<告白>という行為に内包された論理と意味について考察したものである。告白は制度であると同時に欲望である。<母性保護論争>という同時代の社会文化的コンテクストと連動する『新生』の告白は、告白主体の<改造>を齎すものではあるが、男女告白主体の告白の結果は明らかに性的不公平を内面化させる。『新女性』は1920年代の朝鮮を代表する女性雑誌である。とりわけその記事編成において注目すべきことは男女の<告白>形式の記事である。男女の告白は、女性の告白が現実に対する切実な問題意識に基づいた実践であるに対して、男性の告白は文化的趣向に基づいた選択肢の一つに過ぎない。 こうした『新生』と『新女性』の両テクストにおける<告白>は同一性と差異を同時に露呈する。両者ともに啓蒙主義的視座に基づき、男性の告白で女性は男性の欲望を投射する媒介に機能するのみという点で両者は同様である。一方、差異は両テクストの女性告白主体の存在論的位置の差異によって齎される。被植民者であると同時に女性である朝鮮の女性は<二重の他者>と言える。だが、逆説的にこの二重の他者性のためにより問題意識を内面化させられた朝鮮女性の告白は、一層権威に対する<転覆的潜在力>を持つようになった。男の告白に収斂される節子の告白に対して、『新女性』の女性告白は主体化を志向する存在的欲望を明らかに露呈する。このように近代は<告白の時代>であった。告白は啓蒙と繋がって必然的に差異化をも伴う。しかし、その構造は二項対立的な図式に還元される機械的な性質のものではない。依然とした矛盾の時代のなかでも差異の隙間に入り込みその亀裂を通して自らの立脚点を確保していく近代<女性>の<告白>がそれを立証する。

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