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아스카(飛鳥)․나라(奈良)시대의 旱魃과 宗敎的 對應에 관한 考察 ―『日本書紀』『続日本紀』의 기술을 중심으로 ―

  • 日本硏究
  • 2012, (32), pp.333-355
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2012

Si Jun Lee 1

1숭실대학교

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ABSTRACT

 古代日本人は地震や火山爆発, 嵐, 洪水, 津波など自然が齎す災害を避けるとか阻むために神仏に祈ったり、元号を代えたりした。本稿は飛鳥時代と奈良時代に発生した旱魃に対して当時の人々はどのような宗教的な対応をしたのか,主に国家的次元で 『日本書紀』,『續日本紀』の記述を中心に考察した。その結論を要約すれば次のようである。旱魃は結局農耕と直結する事項で日本の神話には天神が農耕の創始者であり、且つ主体であることを強調する農耕神話がある。天皇による水神祭やいわゆる「天皇四方礼」は天皇、水、農耕の密接な関係を雄弁に物語ってくれる。旱魃に対する仏教的信仰による対応は, 僧尼を請じて仏法僧の三宝に祈願したり、仏教経典を利用したりして晴雨を行った。経典の内容よりも経典そのものや関連儀式が晴雨に効能があったと認識したことと推定される。次に神祇信仰による対応であるが、供物を捧げる「奉幣帛」と名山大川で雨乞いをする場合, 特定の神に祈る場合とに分けられる。本来民間レベルで始まった「名山大川」の祈雨祭が減少し, その代わりに国家の主導する儀式が制度化されて強化されて特定の神を祭るようになったと考えられる。最後に旱魃の原因が君主と臣下の不徳さに対する天の譴責だという天人相関説であるが、問題は当時この思想がどれくらい内在化したかという事である。筆者は旱魃だけではなく、地震と疫病の場合においてもその用例が少なく, 平安時代に盛んだった御霊信仰と, 「物の怪」の認識を持ってこの時期を逆照明した場合, 天人相関思想の浸透は徹底的ではなかったと判断する。

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