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1910년대 조선에서의 일본 전통음악 사정 1 ― 1915년~1917년 전반기의 『경성일보』기사를 중심으로 ―

  • 日本硏究
  • 2012, (32), pp.573-595
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2012

LEE, Jisun 1 山本華子 2

1숙명여자대학교
2洗足学園音楽大学

Accredited

ABSTRACT

 本研究では1915年から1917年前半期における『京城日報』の記事から、日本の伝統音楽に関する記事を抽出し、1910年代の武断政治期における日本の伝統音楽の受容状況について把握した。その結果は以下の通りである。 対象種目の中で、公演に関する記事が最も多かったのは、能楽である。京城では、観世、金春、金剛、宝生、喜多の5流派の団体が存在し、公演も行っていた。特に、稽古事として、上流階級の女性たちの間で謡曲や仕舞などが人気を博し、三味線を取り入れた今様能楽も受け入れられた程であった。 浄瑠璃公演に関しては、内外の名人と素人による2種類が行われた。愛好家には弁護士や商議の評議員などがおり、話題性のある素人奏者なども活動しており、彼らの発表の場もあった。 尺八に関しては、琴古流と都山流の公演が行われ、両派の流れを繋ぐ者が京城に居住していたことが分かった。特に都山流の創始者、中尾都山が朝鮮を訪問し御前演奏を行ったことは特記すべき事実であった。また、尺八の楽譜や稽古の広告などが多く載せられていたところから、能楽に劣らず、教習者が存在していたことが想定される。 近代琵琶に関しては、筑前琵琶の公演記事が毎年一度のペースで現れた。薩摩琵琶に関する記事は見られなかった。筑前琵琶奏者が京城で活動していたことがうかがえる。 いずれの種目に関しても、日本人が主な対象となっていたと思われ、当時の朝鮮人が積極的に日本の伝統音楽を身につけたり、鑑賞したという内容は確認できなかった。今後、1917年後半期より1919年の三一事件までの状況も調査し、武断政治期の朝鮮における日本の伝統音楽の受容状況について、総括的に見ていくことにする。

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