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일본의 ‘공자묘 대중화’ 정책과 조선 내 공자묘 인식의 변화 -총독부의 공자묘 개방정책과 그 영향을 중심으로

Rhyu, Mina 1

1국민대학교

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ABSTRACT

本稿は、日本帝国主義の植民地政策が前近代時期の文化様式を変形させ、変容した事例を朝鮮の孔子廟をとおして分析したものである。1911年6月、朝鮮総督府は朝鮮王朝時代の孔子廟を開放し、一般大衆の 「公共の場」として用いた。孔子廟は、朝鮮王朝時代において支配集団で あった両班・儒林らの専有物であったが、植民地期になってから総督府に よって「大衆化」され、支配政策の宣伝の場所へと変わっていく。総督府は この政策を「儒教の普及」と「身分差別撤廃の象徴」であると宣伝し、孔子廟 運営に恩赦金を出した明治天皇をたたえた。ところで、実際こうして「大衆化」された植民地期朝鮮の孔子廟は一般大衆のよい「見物」になっていく。また、両班・儒林以外の集団でも孔子廟を利用するケースが登場した。しかし、こうした動きは孔子廟に対する大衆の認識を変えた分、孔子廟を前近代の秩序から維持しようとしていた集団との葛藤をもたらした。総督府は孔子廟を開放し、儒教の普及を完成したと宣伝したが、実際、朝鮮社会においては孔子廟を「外来のもの」として認識したことも多かった。また、総督府は直接管掌した孔子廟のみ運営を許可 していて、個人的な孔子廟の建立や運営は徹底的に防いだ。結局、総督府の 孔子廟開放とは画一的な孔子廟イメージを強いるものに過ぎなかった。戦後、孔子廟は総督府の大衆化政策を真似をし、大衆を包摂していく。今や韓国社会において「韓国精神を代表する儒教文化の伝統」として市民権を得た。植民地支配を経験した東アジアにおいてこうした孔子廟の事例を探すのはそれほど難しくないであろう。筆者は今後もこぅした事例を検討し、植民地経験を多核的な視点から取り上げたい。

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