@article{ART000929762}, author={임종석}, title={엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={20}, pages={225-242}
TY - JOUR AU - 임종석 TI - 엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ― JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 20 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 225 EP - 242 SN - 1226-3605 AB - 遠藤周作は日本文學史において消し難い足跡を殘した作家である。キリスト敎文學という觀点からみれば、他の誰にも眞似することのできない、彼のみに可能な力量を發揮した作品を殘している。
沈黙の世界では、イエスが主人公のロドリゴに自分(踏繪)を「踏むがいい」と言うイエス像を造形し、登場させたかとおもうと、死海のほとりの世界では、無能で無力でありながら、愛一つだけで滿たされた同伴者としてのイエス像を登場させ、他の登場人物たちの心をつかんで離してくれない。
どちらも聖書のイエスの姿とは異なるイエス像であるため、優れた文學性にもかかわらず、遠藤はキリスト敎から集中的に飛んでくる矢を耐えなければならなかった。どの宗敎にも経典はあって、彼らの信仰はそれに根をおろしている。だから自分たちの経典にあわない信仰の行爲が見つかれば、異端という非難の絨毯爆擊を免れないのである。遠藤は聖書とは異なるイエス像を浮彫りにして自分の作品世界に登場させたため、敎界からの非難は当然といってよいだろう。
にもかかわらず、遠藤文學の硏究者たちはほとんど礼讚のみに終始している。もちろん宗敎と文學との間には區別がある。しかしキリスト敎文學はキリスト敎に關するものである以上、キリスト敎の觀点から作品をみるという立場は間違ったとは言えない。クリスチャンではない硏究者たちが、アウトサイダーとしてキリスト敎文學を論ずることを防ぐことはできず、また防いではならないように、クリスチャンがインサイダーとしてキリスト敎文學を話すのも自然なことであろう。
キリスト敎のインサイダーである筆者がみた死海のほとりのイエス像は聖書のイエス像とはその姿が全然違う(この点においてはアウトサイダーの觀点も同じであろう)。史實のイエス像でもなく、事實のイエス像でもない。キリスト敎のイエス像ではなく、遠藤という一人の優れた作者が自分の心にあう一人の人間を浮き彫りにしてイエスという名を与えたのにすぎないのである。歷史のなかのイエス、すなわち、實際に存在したイエスは聖書のなかのイエスなのである。聖書より信憑性のあるイエスに關する資料が見つからない以上、この結論に對する如何なる挑戰も許されないのである。 KW - DO - UR - ER -
임종석. (2004). 엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―. Journal of Japanese Culture, 20, 225-242.
임종석. 2004, "엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―", Journal of Japanese Culture, no.20, pp.225-242.
임종석 "엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―" Journal of Japanese Culture 20 pp.225-242 (2004) : 225.
임종석. 엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―. 2004; 20 : 225-242.
임종석. "엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―" Journal of Japanese Culture no.20(2004) : 225-242.
임종석. 엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―. Journal of Japanese Culture, 20, 225-242.
임종석. 엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―. Journal of Japanese Culture. 2004; 20 225-242.
임종석. 엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―. 2004; 20 : 225-242.
임종석. "엔도 슈사쿠의 『사해의 주변』의 세계 ― 예수像을 중심으로 ―" Journal of Japanese Culture no.20(2004) : 225-242.