@article{ART000961703}, author={정 순 분}, title={王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={23}, pages={23-40}
TY - JOUR AU - 정 순 분 TI - 王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に- JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 23 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 23 EP - 40 SN - 1226-3605 AB -
王朝時代、中でも平安初期は、三代勅撰漢詩集の編纂によって漢詩文が一大盛期を迎える。この時期は、<漢風謳歌の時代>や<國風暗黑の時代>と称されるように、もっぱら<漢>的な要素が大きかった。その後、平安漢詩文は中國の漢文學を多く攝取、受容し日本的な展開を見せるようになり、段々と異國の言語(思想․觀念)によって自國の思想や感性が固有のものとして覺醒され、より豊かで可能性に富んだ國的文化として釀成していく。その漢詩文受容の過程は、<漢>から<和>への影響を基本としながら、一方では兩者の価値が相對的に接近し<和>から<漢>への影響も顯著になってくる。
その中で、藤原公任は、当時和漢兼作者として名が高く、歌壇や文壇を主導していた人物である。常に漢詩文受容の問題に苦心し、まわりの人にも漢詩句を和歌に詠みなおす方法を試していた。
公任の漢詩世界を具体的に見てみると、<落花>の詩においては散りかかる花びらを贊美の念で描き、<漢>の詩想を基盤にした上、舞姬の比喩によって花びらの幻想的な姿を描き、 <和>の情緖を盛り込む。また、<山家>の詩においては、山里暮らしを悠々自適な精神で捉え、白樂天の思想を受け継いだ上、<錦><機><織る>のような緣語によって表現技法を和歌の常套的なものにしている。
王朝時代は、<和>と<漢>の二重性を保ちつつ、受容と反發という過程を繰り返しながら新しい表現の基盤を作り出していた時期である。そのような表現(觀念や發想)の和漢對比の二元的、多層的樣態は、当時の文壇をより豊かで個性的にする原動力として作用するが、それには <和>と<漢>兩方を行き來しながら表現方法を考案、樣式化していた、和漢兼作者の存在があったと考えられる。 KW - DO - UR - ER -
정 순 분. (2004). 王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-. Journal of Japanese Culture, 23, 23-40.
정 순 분. 2004, "王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-", Journal of Japanese Culture, no.23, pp.23-40.
정 순 분 "王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-" Journal of Japanese Culture 23 pp.23-40 (2004) : 23.
정 순 분. 王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-. 2004; 23 : 23-40.
정 순 분. "王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-" Journal of Japanese Culture no.23(2004) : 23-40.
정 순 분. 王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-. Journal of Japanese Culture, 23, 23-40.
정 순 분. 王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-. Journal of Japanese Culture. 2004; 23 23-40.
정 순 분. 王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-. 2004; 23 : 23-40.
정 순 분. "王朝漢詩文における<和>と<漢>-藤原公任の作品を中心に-" Journal of Japanese Culture no.23(2004) : 23-40.