@article{ART001135374}, author={村松正明}, title={八代集に於ける夢の一考察}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={23}, pages={41-58}
TY - JOUR AU - 村松正明 TI - 八代集に於ける夢の一考察 JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 23 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 41 EP - 58 SN - 1226-3605 AB - 古代人は夢による神や仏のお告げを求め、夢の予言的な機能を信じて將來を占ったりした。ところが万葉集から中古の古今集、そして中世の新古今集へと時代が推移するにつれて、夢の神秘性は特に和歌の世界において徐々に薄れていった。本稿では、夢の歌が古今集から新古今集までの八代集を通じて如何に変遷していったか、歌の特徵や歌人たちの夢に對する認識、また時代背景などに注目して考察した。
万葉集では實際に見る具体的な夢が詠まれていたが、古今集になると觀念化・情趣化した夢が詠まれるようになった。また夢の賴りなさを詠むようにもなり、後撰集からは「はかなし」という語を直接夢の歌に詠み込むようになった。更に「世の中」などといった、はかないものを喩えるのにも夢が使われるようになった。
拾遺集から詞花集にかけては、夢は比喩の多用によって歌語としての新鮮味を次第に喪失し、次第に忘れられた存在となった。しかし千載集において四季歌や雜歌、釋敎歌など、戀歌以外の部立にも廣く進出して、復活を果たした。それは「本歌取」の技法が發達したからである。雜歌の夢は現世のはかなさを詠嘆した無常の歌が殆んどで、釋敎歌では煩惱の迷いから覺めることのない愚かしさや、迷いから解脫した悟りの境地などが表現されている。
新古今集の夢の歌は八代集の中で一番比率が高く、四季部にも多數進出した。しかも單に歌數が多いだけではなく、四季折々の季節感に応じて繊細に捉えられた夢は幻想的な象徵に昇華しており、新古今集の歌風を端的に表している。また戀歌の夢は戀3と戀5に多く入集しており、夢は戀のかなり進展した段階において多く詠まれるようになった。
KW - DO - UR - ER -
村松正明. (2004). 八代集に於ける夢の一考察. Journal of Japanese Culture, 23, 41-58.
村松正明. 2004, "八代集に於ける夢の一考察", Journal of Japanese Culture, no.23, pp.41-58.
村松正明 "八代集に於ける夢の一考察" Journal of Japanese Culture 23 pp.41-58 (2004) : 41.
村松正明. 八代集に於ける夢の一考察. 2004; 23 : 41-58.
村松正明. "八代集に於ける夢の一考察" Journal of Japanese Culture no.23(2004) : 41-58.
村松正明. 八代集に於ける夢の一考察. Journal of Japanese Culture, 23, 41-58.
村松正明. 八代集に於ける夢の一考察. Journal of Japanese Culture. 2004; 23 41-58.
村松正明. 八代集に於ける夢の一考察. 2004; 23 : 41-58.
村松正明. "八代集に於ける夢の一考察" Journal of Japanese Culture no.23(2004) : 41-58.