@article{ART000961824}, author={하 태 후}, title={아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰}, journal={Journal of Japanese Culture}, issn={1226-3605}, year={2004}, number={23}, pages={109-126}
TY - JOUR AU - 하 태 후 TI - 아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰 JO - Journal of Japanese Culture PY - 2004 VL - null IS - 23 PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak) SP - 109 EP - 126 SN - 1226-3605 AB - 作品鼻を吉田精一氏は原話と違って芥川が表現しようとしたのは「懷疑的な精神」や「利己的な人間性」であるという。しかし作品の基底ははたして「利己的な人間性」を描くところにあるのか。また吉田精一氏は「自己を把握すること弱く、他人の眼にうつる自分の姿に始終注意をひかれるばかりで、自己を絶對的に生かし得ない鼻長內供の姿は、やがて彼が眺めた人間性の本然の相」であると指摘する。
中村元氏は早く日本人の思惟方法について、「現象をはなれた境地に絶對者を認めようとする立場を拒否するにいたる傾き」があることを指摘する。これは<人間=絶對者>という等式として成立するが、この時の絶對者とは西歐のキリスト敎のいう、いわゆる超越的存在である絶對者とは異る。また、ルース・ベ礻ディクト氏は菊と刀で、西歐的な道德の絶對基準と良心の啓發を重視する罪惡感を基調とした文化とはっきリ異なった、道德的絶對基準を欠く恥辱をなによリおそれる日本文化の存在を認める。
作品鼻は最初から最後まで內供を凝視する他人の話で一貫している。正確に言えば自身を凝視している他人の目よりも內供自身がそのように感じる自意識の描寫かも知れない。いずれにせよ、ここには自分と他人との關係のみがあって、自分と超越者、また、他人と超越者の關係は見えない。卽ち超越者を頂点にした自分と他人の關係は見えない。作品はこの一点を軸に展開される。この一点を穿鑿していけば、そこには禪智內供のみでなく、日本人が共通的に持っている、「世評」によって行動する価値觀に直面する。その価値觀とは「恥」、奐言すれば、「人間關係」を中心にする<神なき世界>の思想に到達する。これが內供の行動方式であり、日本人の行動方式であることを芥川は作品鼻を通して見事に描いている。
KW - DO - UR - ER -
하 태 후. (2004). 아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰. Journal of Japanese Culture, 23, 109-126.
하 태 후. 2004, "아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰", Journal of Japanese Culture, no.23, pp.109-126.
하 태 후 "아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰" Journal of Japanese Culture 23 pp.109-126 (2004) : 109.
하 태 후. 아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰. 2004; 23 : 109-126.
하 태 후. "아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰" Journal of Japanese Culture no.23(2004) : 109-126.
하 태 후. 아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰. Journal of Japanese Culture, 23, 109-126.
하 태 후. 아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰. Journal of Japanese Culture. 2004; 23 109-126.
하 태 후. 아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰. 2004; 23 : 109-126.
하 태 후. "아쿠타가와 류노스케의 『코』 고찰" Journal of Japanese Culture no.23(2004) : 109-126.